古唐津に魅せられて プロフィール 蝶よ蝶よ唐土の俳諧問はん  Profile 胡蝶楽群遊

胡蝶楽群遊について

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古唐津に魅せられて-胡蝶楽群遊工房 kokaratu.com

「同じ物は二度とできない」「同じ物は作らない」が手作りの考え方であるならば、世界に一つしかないもの「唯一無二」をコンセプトに作品作りを行っています。
このホームページは、その作品の性格をできるだけ表現してみました。
同じようなものでも、一つ一つ表情が違っているのを見てください。
胡蝶楽群遊が目指したもの、それは従来とは違う表現のスタイルです。

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古唐津に魅せられて-胡蝶楽群遊 ロゴ

「胡蝶楽群遊」の名前について

『荘子』斉物論篇の「胡蝶の夢」の話。

うらうらとした春の日のことだった。
荘子はうつらうつらと夢を見ていた。ふと気がつくと、自分がふらふらと胡蝶になっている。胡蝶となって空を翔び、花から花を上から眺めて遊んでいる。荘子は夢に胡蝶となったのである。けれども、夢のなかでは胡蝶そのものが荘子となってひらひらと飛んでいる。そのうち、その夢の中の胡蝶の目がさめて、荘子はふたたび荘子に戻っている。
荘子がすぐに目をさましたのではない。胡蝶がまず目をさまし、そうしたら、荘子の目がさめていた。
はたして荘子が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が荘子の夢を見たのであった、のか。どちらともいえないし、そのどちらともいえるようで――。
というような、現実は夢で夢の中も現実であるというような内容ですが、作品づくりにおいても同じようなことが起こります。
いろんな事に想いを馳せて作っていくうちに、できあがりを炎のから見ているような錯覚に陥ったり、夢の中で見たような作品ができあがったり、そんな事で工房名を「胡蝶楽群遊」としました。

出典:『荘子』斉物論篇の「胡蝶の夢」

胡蝶楽群遊 印影 蝶の印

胡蝶楽群遊から

胡蝶とは

『胡蝶』における「眞は我は人間にあらず」や「人とはいかで夕暮れに」などの語句はなんともいじらしく、健気であって、人間とそれ以外の生物という分け方や人間は特別な存在であるという考えがつまらなく感じられます。人間も自然の一部分にすぎないことを昔の人はどこか気付いていたのではないでしょうか。

出典:雅楽。高麗楽(こまがく)。高麗壱越(こまいちこつ)調の小曲。

胡蝶楽群遊

タイトルの俳句について

蝶よ蝶よ唐土の俳諧問はん (てふよてふよもろこしのはいかいとはん)

蝶よもしおまえがその蝶なら古代中国の俳諧はどんなものだったのか聞いてみたいものだ

「蝶よ、お前に唐土の俳諧がどんなものか聞いてみたいものだな。だいいち、お前は荘周と一にしてニならぬ身だから、周得意の寓言に詳しいはずだし、日本では俳諧は寓言なりと言っている。となると、お前には唐土の俳諧がよく分かるはずではないか。」


引用:新潮日本古典集成「芭蕉句集」

「荘周胡蝶の夢」の故事により、蝶を荘周に見立てているらしい。解説によれば「寓言は奇想天外な譬え話で道を説く『荘子』独特の筆法。談林はこの奇抜さを俳諧滑稽の本質と喧伝した。」とある。もともとの荘子の寓話は美しい。

「唐土の俳諧問はん飛ぶ胡蝶」
「起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶」
「起きよ起きよ我が友にせん酔ふ胡蝶」

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