「肥前陶磁史考」は日本の陶磁器の歴史において肥前地域をどのように位置づけているのか?

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【原文】[Original text]

「肥前陶磁史考」は日本の陶磁器の歴史において肥前地域をどのように位置づけているのか?

「肥前陶磁史考」は、日本の陶磁器の歴史において肥前地域を**「我邦陶磁史の中枢を成すもの」**と位置づけています。本書は、肥前の各窯の沿革や焼物の種類を記述することで、この地域が日本の製陶業の根源地であり、全国の製陶地との関係を理解する上で不可欠であると説いています。

具体的には、以下の点で肥前地域の重要性を強調しています。

  1. 朝鮮系製陶の始祖: 我が国における朝鮮系の製陶として最古の歴史を持つのは、肥前国上松浦の唐津焼であるとされています。仁治3年(今から693年前)の加藤春慶が瀬戸で開窯した時代、あるいはそれ以前において、唐津焼のような優れた陶器が製作されていたことは、当時の日本において他と比較するものがないほど、その古さと発達ぶりを示しています。また、関西方では焼物の総称として「唐津物」が、磁器の総称として「伊万里物」が用いられるほど、その影響力は広範であったと記されています。
  2. 磁器発祥の地: 日本における最初の磁器発祥地は、肥前の上白川窯、すなわち天狗谷をおいて他にはないと断言されています。有田焼の誕生は、食器として清潔で透明な磁器の時代を創造し、日本の製陶界に「大いなる革命」をもたらしました。この白磁の製造は他の地域の窯元から大いに羨望され、各地でその製法を習得しようと努められ、結果として白磁の製作熱が全国的に勃興し、従来の陶器(黒物)製作にとって代わることになったとされています。
  3. 磁器の代名詞: 白磁の生産が他の地域でまだ見られなかった時代において、肥前から搬出される製品は「伊万里焼」が磁器の代名詞とされるほど、その存在感は絶大でした。

このように、「肥前陶磁史考」は、肥前地域が日本の陶磁器、特に磁器の歴史において、その源流となり、技術革新を牽引し、全国に影響を与えた「中枢」であると明確に位置づけています。

【英語訳】[English translation]

How does “肥前陶磁史考” position the Hizen region within the history of Japanese ceramics?

“肥前陶磁史考” presents 肥前 as “the core of our nation’s ceramic history,” arguing—through accounts of each kiln’s lineage and the varieties of ware—that the region is a cradle of Japan’s pottery industry and indispensable for understanding its ties with production centers across the country.

Specifically, it highlights the importance of 肥前 as follows:

  1. Progenitor of Korean-lineage pottery: It states that the earliest Korean-lineage ceramics in Japan are found in 唐津焼 from 肥前国上松浦. By 仁治3年 (some 693 years ago), when 加藤春慶 opened a kiln at 瀬戸—or even earlier—refined wares like 唐津焼 were already being produced, evidencing antiquity and advancement unmatched elsewhere in Japan at the time. It also notes that in 関西方, the generic term for pottery was 「唐津物」 and for porcelain 「伊万里物」, attesting to the breadth of their influence.
  2. Birthplace of porcelain: It asserts that Japan’s first birthplace of porcelain was 肥前’s 上白川窯—namely 天狗谷—with no rival claim. The rise of 有田焼 ushered in an era of clean, translucent porcelain tableware and brought a “great revolution” to Japan’s ceramic world. White-porcelain production was widely coveted by kiln masters elsewhere; efforts to learn its methods sparked a nationwide boom in 白磁 that ultimately displaced the prior emphasis on pottery (黒物).
  3. A byword for porcelain: When white-porcelain production had yet to emerge in other regions, products shipped from 肥前—branded as 「伊万里焼」—became virtually synonymous with porcelain.

Thus, “肥前陶磁史考” clearly positions 肥前 as the core that originated key traditions, drove technological innovation, and influenced the entire nation—especially in the history of porcelain within Japanese ceramics.

【中国語訳(原文から簡体字)】[Chinese Simplified from Japanese]

《肥前陶磁史考》如何界定肥前地区在日本陶瓷器历史中的位置?

《肥前陶磁史考》将肥前定位为**“我邦陶磁史之中枢”**。通过记述肥前各窑的沿革与器类,主张此地乃日本制陶业之根源地,并且是理解其与全国各产地关系所不可或缺的关键。

具体而言,书中从以下方面凸显肥前的重要性:

  1. 朝鲜系制陶的开创者: 日本最早的朝鲜系制陶被认为出自肥前国上松浦的唐津焼。到仁治3年(距今约693年)加藤春慶在瀬戸开窑之时,甚至更早,类似唐津焼的精良陶器已然制作,其古老与发达程度在当时的日本无以伦比。并记载在关西方,烧物的通称为「唐津物」,而磁器的通称为「伊万里物」,其影响由此可见一斑。
  2. 磁器的发祥之地: 日本最初的磁器发祥地被断言唯有肥前的上白川窯,即天狗谷。有田焼的诞生开启了洁净透明之餐具用磁器的时代,为日本制陶界带来“巨大的革命”。白磁的制造令他地窑元极为艳羡,各地竞相学习其法,终致白磁热在全国兴起,并取代了以往以陶器(黒物)为主的制作。
  3. 磁器的代名词: 在他地尚未见白磁生产之时,自肥前外销的制品——「伊万里焼」——几乎成为磁器的代名词,存在感极为强大。

由此可见,《肥前陶磁史考》明确将肥前界定为日本陶瓷器、尤其是磁器史上的中枢:其为源流所在,牵引技术革新,并对全国产生深远影响。

【中国語訳(原文から繁體字)】[Chinese Traditionalfrom Japanese]

《肥前陶磁史考》如何界定肥前地區在日本陶瓷器歷史中的位置?

《肥前陶磁史考》將肥前定位為**「我邦陶磁史之中樞」**。透過記述肥前各窯之沿革與器類,主張此地乃日本製陶業之根源地,亦為理解其與全國諸產地關係所不可或缺的關鍵。

具體而言,書中從以下面向強調肥前之重要性:

  1. 朝鮮系製陶的開創者: 日本最早的朝鮮系製陶被認為出自肥前國上松浦的唐津焼。至仁治3年(距今約693年)加藤春慶於瀬戸開窯之時,乃至更早,類似唐津焼之精良陶器已經製作,其古老與發達程度在當時日本無可比擬。並記載於關西方,燒物之通稱為「唐津物」,而磁器之通稱為「伊万里物」,其影響之廣可見。
  2. 磁器的發祥之地: 日本最初之磁器發祥地被斷言唯有肥前之上白川窯,即天狗谷。有田焼的誕生開啟了潔淨透明之餐具用磁器時代,為日本製陶界帶來「巨大的革命」。白磁的製造令他地窯元極為艷羨,各地競相習得其法,終致白磁熱全國興起,並取代以往以陶器(黒物)為主之製作。
  3. 磁器的代名詞: 在他地尚未見白磁生產之時,自肥前運出的製品——「伊万里焼」——幾乎成為磁器的代名詞,其存在感極為強大。

由此可見,《肥前陶磁史考》明確將肥前定位為日本陶瓷器、尤其磁器史上的中樞:既為源流所在,亦牽引技術創新,並對全國產生深遠影響。