2025-09

秀吉の朝鮮出兵史

樂浪の古陶

【原文】樂浪の古陶 次に崇神天皇の十二年南部馬韓の地に建國せし百濟も亦、常に新羅の脅威に堪へす任那と共に我邦の保護の下にありしが、任那は欽明天皇の二十三年に百濟は天智天皇の二年に於いて何れも新羅の爲に滅亡するに至つたのである。而して是等韓民...
秀吉の朝鮮出兵史

秀吉の朝鮮役

【原文】秀吉の朝鮮役宗室の阻諌 秀吉が出兵を企圖する其以前に於いて、彼の内命を受けし鳥井宗室(博多の豪商に徳工門重勝と稱す。元和元年卒七十七才)が普く韓土を視察せし結果は、此企圖が甚だ不利なるを認めて頻りに阻諌せしも、秀吉毫も之を容れす、刧...
日本陶磁史年譜

「多治見窯」から「宮川香山」

【原文】多治見窯 明正天皇の寛永十八年、彌左工門景賴(景光の子)の養子加藤左工門景增(鮑津の松原太郎の四男)美濃國多治見(土岐郡)に開窯した。朝鮮役後の慶長開窯は別に後段にゆづり、なほ京焼を始め其他無数の陶山全國に勃興せるも、何れも後年に属...
日本陶磁史年譜

「美濃の中興」から「粟田焼」

【原文】美濃の中興 同慶長二年(1597年)久尻の加藤景延は、謹製せるところの白釉茶盤を正親町上皇に奉献して朝日焼の名稱を拝受し、そして同年七月五日筑後守に任せられた。(美濃焼中興の祖と稱せられし景延は寛永九年(1632年)二月二日卒し、大...
日本陶磁史年譜

「永樂焼」から「越中瀬戸」

【原文】永樂焼 同天正年間(1573-1593年)に於いて大和國奈良春日神社の器を作る陶工西村宗印(永祿元年(1688年)三月二十一日卒す)の男宗禪寧樂焼を創製した。彼は後年和泉の堺に轉せしが、孫善五郎宗全に至つて又京都に移窯したのである。...
日本陶磁史年譜

「景延と唐津窯」から「今戸焼」

【原文】景延と唐津窯 同天正十三年(1585年)八月十一日、筑後守景光卒(七十三才)せしが、長子四郎右工門景延又父に劣らぬ名陶家であつた。或時肥前唐津の浪士森善右工門なる者久尻へ来りし折、此地窯式の拙なるを難せしかば、彼は大いに覺る所あり、...
日本陶磁史年譜

「秀吉伊部の六姓を召す」から「織部の名陶家」

【原文】秀吉伊部の六姓を召す 同天正十年(1582年)三月、羽柴秀吉中國の探題として備前にあるや、或日伊部の土師家六姓の内大饗五郎左工門の家に宿り、其他の五姓森、木村、頓宮、金重、寺尾等を召して茶盌及花瓶等を作らしめた。之より秀吉は六姓の陶...
日本陶磁史年譜

「信長の瀬戸巡視」から「猿爪窯」

【原文】信長の瀬戸巡視 同永祿六年(1563年)十二月尾張の織田信長は、放鷹の途次領内瀬戸の陶業を巡視して、此地の新儀諸役(新しき課税)及鄉質又は所質(債務者が支拂の義務を果さゞる時に、其所有財産を差押へらるゝを鄉質と云ひ、又同じく何れの處...
日本陶磁史年譜

「美濃焼」から「南蠻物」

【原文】美濃焼 後土御門天皇の文明七年(1475年)、武藏國久良岐郡の人加藤景信美濃國惠那郡大川村に来りて陶器を製作した。之が美濃焼の始祖と稱せられてゐる。志野風 同文明年間(1469-1487年)義政の侍臣志野宗信(三郎左門と稱し香道の祖...
日本陶磁史年譜

鎌倉北條時代=加藤景正

【原文】 後堀河天皇の貞應二年四月(1223年)、深草の陶工加藤四郎左工門景正なる者ありて、越前國永平寺の開祖道元禪師(承陽大師建長五年八月二十八日寂五十四才)の入宋に從ひ天童山に至り、そして其附近の陶窯 (南方九江邊或は舟山列島の舟山窯又...
日本陶磁史年譜

「吉備津の開窯」から「鎌倉源氏時代」

【原文】吉備津の開窯 同天平七年三月十日、入唐大使多治比廣成、留學生吉備真備、僭玄昉等歸朝するや、彼地より伴ひ來りし陶工菜、備中國吉備津に於いて開窯し施釉の陶器を作りし傳へらる。行基焼 大僧正行基は又山背國清閑寺村字丸山(愛宕郡)に於いて、...
日本陶磁史年譜

「遣唐使始まる」から「唐三彩の陶器を作る」

【原文】遣唐使始まる 推古天皇の十五年七月三日、大禮小野妹子を隋に派遣されしが、爾來我邦より遺唐使なる者の一行屢彼地に渡航することゝなり、之より又製陶の發展を促かす媒介となったのである。法政改革時代筥陶司を置く 孝徳天皇の大化改新の際に於い...
日本陶磁史年譜

「百濟の高貴を招く」から「瓦工を献し奉る」

【原文】百濟の高貴を招く 雄略天皇製陶を盛んにすべしの聖旨あり天皇の七年歸化人西漢才伎(テビトは工人の意)歡因知利より、斯技に巧なる者韓土に多き由を奏聞す。天皇仍つて吉備の上道臣弟君に副使として遣はし、百済の陶部の高貴なる者を連れ帰り、河内...
日本陶磁史年譜

深湯瓷

【原文】深湯瓷 允恭天皇の四年九月九日、詔して探湯(誓湯)に依って各人姓氏の詐胃を正すことなつた。それは當時の迷信思想にて人々沐浴齋戒の上神に盟ひ、決して詐らざるの證として中の熱湯に手を浸して験する法にて、此頃より又弘く民間に行はるゝに至り...
日本陶磁史年譜

三韓出兵時代=唐津焼の始

【原文】三韓出兵時代=唐津焼の始 仲哀天皇の九年、神功皇后三韓(當時の朝鮮は馬韓、辰韓、辨韓に分立)を出兵せられ、其年の十二月肥前の上松浦の港(後の唐津)に御凱旋あるや、従ひ来りし韓土の陶工此地に帰化して製陶せるもの、これ後年唐津焼と稱する...
日本陶磁史年譜

日本陶史年譜2

【原文】神代=天御中主神 我神代史に徹するに、天御中主命が海濱の真砂に白き物の附着してゐるを嘗めて味を知りたまひ、眞土を水にて掘り凹める土器を造り、それに海水を入れ火を焚きて眞砂を煎し、其湯固まりて塩となることを発見し給ひきっと開闢記に記載...
日本陶磁史年譜

日本陶史年譜

【原文】我邦民族の種別 我邦の陶史を記述するには、先づ有史以前の民族について、概念的にも其發祥を辿る可き必要が生じて来る。元來我が日本島國がもと亜細亜大陸の一端なりしことは、マンモスの如き動物の遺骨や、平戸野島のガマノセ貝發見等にても證明さ...
人類と焼き物の製作

人類と焼き物の製作

【原文】原始人と土器 抑人類が青銅器時代より以前に於て、土器を造り創めたることは頗る遠きものゝ如く、今之を考察するに、初期古石器時代のネアンデルタール人の長き元始生活漸く終り。クロマニヨン人種や、グリマルデイス人種の後期古石器時代に至り、絵...
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