【原文】[Original text]
朝鮮出兵が日本の陶磁器生産、特に白磁の導入にどのような影響を与えたのか?
豊臣秀吉による**朝鮮出兵(文禄・慶長の役)**は、日本の陶磁器生産、特に白磁の導入に計り知れない影響を与え、日本の製陶史における「大いなる革命」の契機となりました。
「肥前陶磁史考」によると、その影響は主に以下の点で見られます。
- 熟練した陶工の大量渡来: 朝鮮出兵を契機として、**「朝鮮から多くの優れた陶工が日本に渡来した」**と記されています。彼らは朝鮮では賤民階級に属することが多かったものの、日本では各地の諸侯に手厚く迎えられ、製陶技術の発展に大きく貢献しました。
- 磁器製造技術の導入:
- 慶長3年(1598年、朝鮮出兵中)には、鍋島直茂が多久長門守政順に命じ、韓人李參平に今山で青磁を焼かせたとされています。これは、朝鮮出兵後に朝鮮系の陶工が日本で磁器を製造した具体的な初期の事例として挙げられます。
- 鍋島直茂が朝鮮から帰陣する際、釜山の陶工・範丘とその一族十余名を連れて帰り、秀吉の命により白鷺山で茶器を焼かせたという記録もあります。
- 加藤清正に従って慶長3年に唐津に上陸した韓人の陶工・尊階も、一旦帰国した後、慶長5年に再び渡来し、細川忠興に招かれて豊前で上野焼を創始しました。
- 特に有田地域では、鍋島直茂が宗歓という韓人を介して吉州(朝鮮)にいた南京(中国)の製陶技術を持つ熟練工8名を日本へ招き、有田皿山を「三国一の細工土」が見つかる「日本第一の御宝産」とする製陶の基礎を築いたと詳細に記されています。これは、高度な磁器技術の導入を示唆しています。
- 磁器の原料(磁石)の発見: 李参平は、有田の乱橋において、偶然に泉山(いずみやま)で磁器の原料となる「磁石」(陶石)を発見したとされています。彼がこの磁石を用いて試焼を重ねた結果、硬質な磁器製造の完成に至りました。これは、日本の磁器生産の基盤を確立する上で決定的な出来事でした。
- 白磁生産の確立と「大いなる革命」: 日本人の「潔癖性」から、衛生的で清潔な「白磁」の必要性が高まっていました。このような時代背景と、渡来した韓人陶工たちの技術が結びつき、有田における磁器の発祥は**「我製陶界に大いなる革命」**をもたらしたと評されています。白磁の製造は他の地域の窯元からも羨望され、各地でその製法が習得され、結果として「白磁の製作熱」が全国的に勃興し、従来の陶器(黒物)製作に取って代わることになりました。
- 「伊万里焼」が磁器の代名詞に: 白磁の生産が他の地域でまだ見られなかった時代には、肥前から搬出される製品は「伊万里焼」が磁器の代名詞とされるほど、その存在感は絶大でした。
このように、朝鮮出兵は単なる軍事行動にとどまらず、熟練した陶工と技術、そして新たな原料の発見を日本にもたらし、日本の陶磁器、特に白磁の歴史に決定的な転換点をもたらしました。
【英語訳】[English translation]
How did the 朝鮮出兵(文禄・慶長の役) shape Japan’s ceramic production, especially the introduction of 白磁?
According to “肥前陶磁史考,” the campaigns triggered a profound shift—an opening for a “great revolution” in Japan’s ceramic history—most clearly seen in the adoption of porcelain.
- Large-scale arrival of skilled potters: The text notes that “many outstanding potters came from 朝鮮 to Japan.” Though often of low status in 朝鮮, they were warmly received by regional lords in Japan and greatly advanced ceramic techniques.
- Introduction of porcelain-making technologies:
- In 慶長3年(1598年, during the campaigns), 鍋島直茂 ordered 多久長門守政順 to have the Korean potter 李參平 fire 青磁 at 今山—an early concrete case of porcelain production in Japan by immigrant artisans after the war.
- When returning from 朝鮮, 鍋島直茂 brought back the Busan potter 範丘 and over ten family members; by 豊臣秀吉’s order they fired tea wares at 白鷺山.
- The Korean potter 尊階, who landed at 唐津 with 加藤清正 in 慶長3年, returned home once, then re-entered Japan in 慶長5年 to found 上野焼 in 豊前 at the invitation of 細川忠興.
- In 有田, 鍋島直茂—through the Korean 宗歓—invited eight expert workers from 吉州(朝鮮)versed in 南京(中国) techniques. This laid foundations for 有田皿山, described as a “日本第一の御宝産” based on finding the finest working clay, 「三国一の細工土」, indicating the importation of advanced porcelain know-how.
- Discovery of raw materials (porcelain stone): 李參平 is said to have discovered 磁石(陶石) at 泉山 near 乱橋 in 有田. Through repeated trials with this stone, he achieved hard-paste porcelain—decisive for establishing Japan’s porcelain base.
- Establishing white-porcelain production—the “great revolution”: Social preferences for cleanliness heightened demand for hygienic 白磁. Combined with immigrant techniques, the birth of porcelain in 有田 is assessed as 「我製陶界に大いなる革命」. Kilns nationwide coveted the methods, learned them, and a white-porcelain boom rose across the country, supplanting earlier black-ware production.
- “伊万里焼” as a byword for porcelain: When other regions had yet to produce 白磁, products shipped from 肥前—伊万里焼—became virtually synonymous with porcelain.
In short, the campaigns were not merely military actions; they brought artisans, techniques, and crucial raw materials that pivoted Japan’s ceramic history—especially the advent of 白磁—at a decisive turning point.
【中国語訳(原文から簡体字)】[Chinese Simplified from Japanese]
朝鮮出兵(文禄・慶長の役)如何影响日本的陶瓷生产,尤其是白磁的引入?
据《肥前陶磁史考》,此次战争成为日本制陶史“巨大革命”的契机,其影响主要体现在:
- 大量熟练陶工的渡来: 记载称**“朝鮮有许多优秀陶工来到日本”**。他们在朝鲜多属贱民阶级,但在日本受到诸侯厚遇,对制陶技术进步贡献显著。
- 瓷器制造技术的导入:
- 慶長3年(1598年,战争期间),鍋島直茂命多久長門守政順使韩国陶工李參平在今山烧制青瓷——这被视为战后朝鲜系匠人在日本进行瓷器生产的早期实例。
- 鍋島直茂从朝鲜回师时,携釜山陶工範丘及其十余位家属归国,奉豊臣秀吉之命在白鷺山烧制茶器。
- 随加藤清正于慶長3年登陆唐津的韩国陶工尊階,一度返国,后于慶長5年再度来日,受細川忠興之邀在豊前创始上野焼。
- 在有田,鍋島直茂经由韩国人宗歓招来吉州(朝鲜)具备南京(中国)制瓷技艺的8名熟练工,奠定有田皿山的基础,被称“三国一の細工土”与“日本第一の御宝産”,表明高阶瓷技得以引入。
- 瓷器原料(磁石)的发现: 相传李參平在有田的乱橋附近偶然发现泉山的磁石(陶石)。他以此多次试烧,最终完成硬质瓷的制造,这对日本瓷业根基的确立具有决定性意义。
- 白磁生产的确立与“巨大革命”: 出于日本社会对清洁的偏好,对卫生洁净的白磁需求高涨。加之渡来匠人的技术,有田的瓷器创制被评为**「我製陶界に大いなる革命」**。其后各地竞相学习,白磁热在全国兴起,并取代以往以黑物为主的制作。
- “伊万里焼”成为瓷器代名词: 在他地尚无白磁生产之时,肥前输出的制品——伊万里焼——几乎成为瓷器的代名词。
总之,朝鮮出兵不仅是军事行动,更将匠人、技术与关键原料带入日本,使日本陶瓷,尤其白磁的历史发生了决定性的转折。
【中国語訳(原文から繁體字)】[Chinese Traditionalfrom Japanese]
朝鮮出兵(文祿・慶長之役)如何影響日本之陶瓷生產,尤其白磁之導入?
據《肥前陶磁史考》,此役成為日本製陶史「重大革命」之契機,其影響主要如下:
- 大量熟練陶工的渡來: 載稱**「朝鮮有許多優秀陶工來到日本」**。彼輩在朝鮮多屬賤民階級,然於日本受諸侯厚遇,對技術進步貢獻卓著。
- 瓷器製造技術的導入:
- 慶長3年(1598年,征戰期間),鍋島直茂令多久長門守政順使韓人李參平於今山燒製青瓷——為戰後朝鮮系匠人在日本製瓷之早期實例。
- 鍋島直茂自朝鮮還軍時,攜釜山陶工範丘及其十餘名族人歸國,奉豊臣秀吉之命於白鷺山燒製茶器。
- 隨加藤清正於慶長3年登陸唐津之韓人陶工尊階,一度返國,復於慶長5年再來,受細川忠興之邀於豊前創始上野焼。
- 於有田,鍋島直茂由韓人宗歓轉介,自吉州(朝鮮)延聘通曉南京(中國)技術之8名熟練工,奠定有田皿山之基礎,被稱「三国一の細工土」、「日本第一の御宝産」,顯示高階瓷技之導入。
- 瓷器原料(磁石)的發見: 相傳李參平於有田乱橋附近偶得泉山之磁石(陶石)。其反覆試燒,終成硬質瓷之製作,成為日本瓷業基礎確立之關鍵。
- 白磁生產之確立與「重大革命」: 因重視潔淨,社會對白磁之需求漸增。結合渡來匠人技術,有田之瓷器創製被評為**「我製陶界に大いなる革命」**。其後各地爭相習得,白磁熱風行全國,並取代既往以黑物為主之生產。
- 「伊万里焼」成為瓷器代名詞: 他地尚無白磁之際,自肥前輸出的製品——伊万里焼——幾成瓷器之代名詞。
總之,朝鮮出兵不僅為軍事行動,亦將匠人、技術與關鍵原料引入日本,使日本陶瓷,尤其中之白磁,迎來決定性之轉折。