古唐津の種類

古唐津の種類について

古唐津の用語

奥高寵(おくこうらい)

名称について昔から各種の説があり、曖昧模糊とした点が多い。
米量(よねばかり)、根抜(ねぬけ)は奥高麗の一種です。
奥高麗茶碗は高麗茶碗を手本として作られたもので、井戸、熊川(こもがい)、呉器、柿の蔕(へた)などの形をしています。

土は狐色のざんぐりした土や、縮緬皺(ちりめんじわ)のよく出たものと少ない土とがあります。
釉は長石釉で、白、枇杷色、薄い柿色、淡い青磁色など様々です。

奥高麗茶碗の出土した窯は焼山、窪屋の谷、藤の川内、市ノ瀬高麗神、川古窯の谷、葭(よし)の元、大草野などの諸窯があります。

瀬戸唐津(せとからつ)

奥高麗同様きわめて暖味な名称です。
瀬戸唐津には本手と皮鯨手の二種があります。

1.本手瀬戸唐津砂気の多い白土で縮緬皺(ちりめんじわ)がよく出ています。
釉は長石釉で灰白、白、枇杷色等となり、高台削りの部分に梅花皮(かいらぎ)が出ています。
青井戸、そば、熊川、呉器の形があり、見込に鏡、目跡は3箇所または4か所ある。


2.皮鯨手青井戸、そば形の本手瀬戸唐津を写したものが皮鯨手です。
白土の漉土で見込にある鏡に目跡ときんが三か所あり、高台内の兜巾の部分に艶がある。
長石釉が枇杷、灰白等に発色しています。
口辺部に鉄絵の具が塗られ、あたかも鯨の皮に似ています。
そういうところから皮鯨ともいわれました。

朝鮮唐津

元来は朝鮮産か唐津産かの区別のつかないところからきた名称です。
叩き作りで、底は板おこしになり、貝高台または籾殻(もみがら)高台で内部に青海波文があり、土灰釉か鉄飴釉をかけ、重量は軽い。
韓国では伊羅保といっています。
今日一般にいっている朝鮮唐津は、叩きまたは板おこしで作り、藁灰釉と鉄釉とをかけわけたものです。

絵唐津

古唐津のほとんどの窯で絵唐津を焼いています。
唐津では黒錆(くろしゃび)といい、瀬戸では鬼板と呼ばれる鉄を含んだ岩石を良く砕き、擂り潰して水で溶かして、文様をかき、長石釉をかけています。
珍しい例として藁灰釉をかけたものがあります。
斑絵唐津です。
また染色の型紙を使って文様をかいた摺り絵唐津もあります。
絵唐津の意匠には李朝直伝のものと、日本化された織部風なものがあり、志野、織部と全く同一のものが多く見られます。
初期の頃の唐津には草花の単純に素朴な絵柄(今の我々には何の絵柄か理解できないのが多い)が多かったようですが、織部好みの影響が入ってきた頃よりデザイン的で画材も豊富になり、筆使いも繊細になって陰と陽の使い方が出てきて、より図案的なってきたように見受けられます。志野、織部とよく似ているものが多いようです。

彫唐津

彫絵唐津胎土が軟らかいうちに、簡単な文様をかき落したものを彫唐津といい、彫文様にそっで鉄砂を流しかけたものを彫絵唐津という。
彫唐津、彫絵唐津に長石釉をかけたものが、飯洞襲窯から出土しています。
水指、花生、徳利等に簡単な文様を彫って、木灰釉、鉄筆をかけた物が藤の川内、阿房谷、楽屋の谷、焼山等の諸窯から出土しています。

黄唐津・青唐津

土灰釉に含まれています。
鉄分が還元焔で青く、酸化焔で淡黄褐色に発色したもので、青磁系の釉で、透明性が強い。
古唐津のいたるところの窯で使われています。

黒唐津・蛇喝唐津

土灰釉中の鉄分が多くなったもので、古唐津のほとんどの窯にあります。
岩石や粘土中に含まれている鉄の量の多少や、チタン、マンガン、クロームその他の不純物によって黒、飴、柿色等に発色します。

黒唐津の一種に蛇喝唐津があります。
黒釉薬をかけ、その上に失透性の長石釉をかけたもので、長石釉の下から鉄釉がにじみでて蛇やトカゲのように見える。

斑唐津

藁灰を主成分とした釉で、釉の性質上、釉にむらむらができるところからきた名称であります。
斑唐津を焼いた窯は帆柱、岸岳皿屋、道納屋谷、山瀬、大川原、椎の峯、藤の川内、阿房谷、道園などの諸窯があります。

三島唐津

慶長の役後渡米した韓国南部地方の陶工達により李朝三島の技法が伝えられ、有田磁器発生後磁器窯にならなかった椎の峯山、弓野山、小田志山、庭木山等の諸窯で発達して唐津特有のものになりました。

元来、鉄分の多い土を白くみせるため刷毛目、粉引の技術を使って白土で化粧するもので、刷毛目、粉引のままのものもあるが、たいていは白化粧のあと柄で文様をかいた櫛刷毛目、文様を線彫りした彫三島、染物の型紙を使って文様をかいた型紙刷毛目や、鉄と銅で文様をかいた二彩唐津、線彫りや印花のあと白土、赫土を塗り込んで表面を削って文様を出す象巌、白土化粧の上から鉄または呉須で文様をかいたもの等多種多様あります。


引用
野趣の美 古唐津の流れ -桃山から江戸- 林屋晴三 13代中里太郎右衛門.

古唐津の技法

成整形

碗や皿・鉢などは蹴ロクロを利用して水引成形し、ケズリによって調整を行います。
また瓶・壼・甕など大型の袋物は、巻上成形後叩きによって整形するものが認められます。
内面に当て具をもち、外面から叩き具で叩いて薄く調整します。
内面に残る当て具痕は、はじめ同心円状の当て具が利用されますが、寛永年間(1624~43)ころからは格子目状の当て具痕が多く見られるようになります。
あてぎは青海波文となります。

釉薬

草創期に位置づけられる帆柱・皿屋窯・山瀬など岸岳系唐津諸窯では、白濁した藁灰釉を多用したいわゆる斑唐津の碗・皿が多く焼かれています。
ほかに鉄釉・長石釉・石灰釉(長石+土灰[木灰])などもみられますが、最も盛んに用いられるのが灰釉です。
とくに濃い暗緑色の灰釉は初期の唐津に多くみられますが、高台部分は無釉のものが殆どで、同時期の瀬戸美濃製品とは異なる様相を示しています。
慶長以後はしだいに藁灰釉によるものや濃い暗緑色の灰釉・長石釉が少なくなり、透明度の高い石灰釉が中心となります。また同時期には高台部に施釉した碗・皿が現われるようになります。

装飾文様

初期の唐津製品の主な装飾技法は鉄絵によるもので、一般には絵唐津と総称されます。
植物文を中心に動物文や器物文などが描かれますが、簡略化された表現が多いため、題材が不明なものも少なくありません。
また、碗・皿の口縁部に鉄を塗って装飾する「皮鯨手」も盛んに製作されます。慶長元和以降は鉄絵が急速に減少し、かわりに白化粧土を用いた刷毛目や、象嵌によるいわゆる三島手、緑・褐色顔料で彩色した二彩手など新しい技法が出現します。

窯詰め

古唐津を時期的に分類する指標として、目積み方法の変化をあげることができます。
目積みは、皿などを重ねて焼く場合、製品同士の溶着を防ぐために、団子状の「目」と呼ぶものを挟んで焼成する技法ですが、初期には製品と同様の粘土をまるめた胎土目が利用され、耐火性の強い砂を固めた砂目は、慶長の役後連れ帰られた朝鮮陶工たちによってもたらされた新しい技術であることが明らかになっています。
このほか貝を使用する貝目や石灰岩を用いる陶石目などが用いられました。

引用
中里太郎右衛門 1977「唐津の歴史と陶技」愛蔵版日本のやきもの5