古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集 な行
な
中里太郎右衛門(なかざとたろうえもん)
唐津焼の代名詞とも言える中里家。元和元年(1615年)に唐津藩の御用窯となって以来、実に400年近い歴史を持ち、現在は14代目。
先代の13代無庵氏(人間国宝)は、佐賀、長崎の両県に広がる古唐津の窯趾を発掘調査し、桃山時代の成形法や焼成法を研究し叩き技法を再現しました。
古唐津に関する書物も多くあり、このHPを作るのにも参考にしました。
鍋島(なべしま)
佐賀鍋島(なべしま)藩の御用窯(ごようがま)で作られた焼き物は「鍋島」と呼ばれ、その独特の様式は「鍋島様式」といわれています。
御用窯の鍋島藩窯は、1628年(寛永5年)に有田の岩谷川内に設けられ、1675年に伊万里市大川内山(おおかわちやま)に移されています。
この窯では主に藩の用品、大名への贈答品、幕府への献上品が焼かれています。
色絵磁器を中心として染付、青磁、銹釉、瑠璃釉などがあり、本窯焼成までを伊万里の大川内で造り、赤絵付けは今右衛門によって代々絵付けされた
茄子(なす)茶入
唐物のなかでも格の高い茶入の一種。
形は、丸形で下膨れの茄子の形に似ています。
漢作茄子茶入(かんさくなすちゃいれ) 銘 茜屋が有名です。
栗色に近い黒飴釉がむらなくかかり、ところどころ蛇蝎釉が雪崩ている。
『玩貨名物記』に「唐物小壺」の筆頭に、「あかねやなすひ 尾張様」と記されており、尾張家の茄子茶入として有名であったことがわかる。
もと堺の茜屋吉松が所持していたので、「茜屋」と呼ばれた。
茜屋吉松ー徳川家康(駿府御分物)ー初代義直と伝来した。『玩貨名物記』所載。
生掛け(なまがけ)
素焼き(すやき)をせず、釉(うわぐすり)を掛けて焼く方法。本来は、素焼き後に施釉(せゆう)するが、厚手の焼き物に生掛け(なまかけ)が多くあります。
海鼠釉(なまこゆう)
信楽(しがらき)や高取(たかとり)などに多く、類似の釉薬(ゆうやく)を二重掛けして釉(うわぐすり)の流動によって、斑紋や流紋などを表現。
鉛釉(なまりゆう・えんゆう)
主成分が酸化鉛である釉薬(ゆうやく)。低火度(ていかど)で溶け、三彩(さんさい)や緑釉(りょくゆう)、楽焼(らくやき)の釉(うわぐすり)、色絵具(いろえのぐ)などに用います。
南蛮手(なんばんで)
沖縄・台湾・中国南部から東南アジアあたりで焼かれた無釉で焼締陶を指します。
南蛮とは元来茶人・道具屋仲間の慣用語で明治以前は外国,特に南洋方面からの輸入品を指した名称でした。我国にも同じような焼き物に、備前焼・常滑焼・越前焼等々があります。
に
濁し手(にごしで)
米のとぎ汁のような乳白色で色絵(いろえ)が美しく映え、伊万里(いまり)・柿右衛門様式(かきえもんようしき)の磁器(じき)に用いる素地(きじ)。
乳白色、米汁手とも書きます。
二彩唐津(にさいがらつ)
鉄の褐色、銅による緑色の二色で文様が施された唐津焼。
刷毛目の上に鉄と銅の絵の具を用いて文様を描いたもので、鉄は茶色に、銅は緑に発色します。
松の絵が最も有名ですが、竹・梅・唐草・山水などが描かれているものや、鉄や銅を柄杓で流しかけたものもあります。
錦手(にしきで)
赤・緑・黄・紫・青色などの上絵付け(うわえつけ)したもの。
色絵(いろえ)・赤絵(あかえ)のことで、主に伊万里(いまり)のものに用います。
古伊万里に多く見られ、さらに金彩が加わります。
如意雲(にょいうん)
如意頭のような形をもってあらわされた雲の文様のこと。
如意頭(にょいとう)
如意は仏教用具のひとつで棒状をなしたもの。
この如意の頭部に見られるスペードに似た形状を指す。
仁阿弥道八(にんなみどうはち)
京焼(きょうやき)の陶工(とうこう)で奥田頴川(おくだえいせん)に師事。
窯を粟田口から東山に移し、古今の東洋陶磁を製作。
仁清(にんせい)野々村仁清(ののむらにんせい)
京焼(きょうややき)の江戸時代の陶工で京焼色絵の創始者で、卓越した轆轤技と優れた意匠、色彩感覚の持ち主です。
野々村仁清は丹波の出身で、京都御室仁和寺門前の御室焼を指導し、京焼色絵陶器の完成者として有名です。
茶壷に多くの優品を残しており、見事なまでの轆轤の技を見せ、上絵具と金泥を使い、立体意匠の魅力を充分に生かして、気宇の大きな狩野派風の絵を描いています。
ぬ
布目(ぬのめ)
素地(きじ)に残る布目の跡。
麻布を敷き、型から素地(きじ)をはがしやすくするためだが、織部焼(おりべやき)では一種の装飾法として利用されています。
ね
鼠志野(ねずみしの)
白い素地(きじ)に鬼板(おにいた)の泥奬を掛け、ヘラなどで掻き落とし(かきおとし)、その上に長石釉を掛けて焼成すると、鼠色の器面に掻き落とした模様が白く浮かび上がる志野の一種。
鬼板の鉄分含有分が少なかったり、化粧がけが薄かったり、その他窯の調子で赤く発色したものを赤志野と呼ばれています。
根付(ねつけ)
印篭や巾着など、提げ物や袋物が腰からずり落ちないために帯の間に挟む用具。
「根付」の語源は諸説ありますが、提げ物の根元に結び付けられて、着物の帯の上に引っかけて提げられたことから、”根付”と呼ばれたようです。歴史上、文献で最初に”根付”という語が現れるのは、寛文十一年(1671年)の『寶藏』が最初だといわれています。
の
禾目天目(のぎのめてんもく)
中国福建省にある建窯で造られていた天目茶碗には、口縁部が強く反るタイプのものと、あまり反らないタイプ(いわゆる天目形)の2種類があり、この碗は後者の一例。
建窯の天目茶碗にかけられた黒い釉薬には、茶色や銀色の細かい縦筋が無数に見られるものが少なくない。
日本では、これを稲の穂先の芒(禾)に見立てるため、この種の釉薬がかかった天目茶碗を禾目天目と呼んでいます。
登り窯(のぼりがま)
傾斜面を利用し、複数の長方形の焼成室がしだいに登っていくように築かれた窯。
割竹式(わりたけしき)と連房式があります。
16世紀末頃、朝鮮半島から伝わったと考えられており、唐津窯が最も古く以後全国に広まった。
割竹式登窯(わりたけしきのぼりがま)
朝鮮半島から伝わった登窯の一種。
2つに割った竹を、伏せたような形をしています。
炎が一房ごとに回る連房式とは異なり、窖窯のように真っ直ぐ走ります。