日本の古代から中世にかけての陶磁器の生産と消費の背景には、技術と社会状況の変化が深く関わっています。ここでは、須恵器と中世の六古窯を中心にその背景を説明します。なお、ご質問にある土師器(はじき)については、提供された資料には直接的な記述がありませんでした。
須恵器の技術的・社会的背景
- 技術的背景:
- 陶土: 須恵器の使用陶土は、平野周辺の低い丘に露出する洪積層の粘土でした。
- 成形技術: 轆轤(ろくろ)成形が用いられました。
- 築窯法: 窯の築造は、丘陵斜面に細長い溝を穿ち、スサ入りの粘土で側壁と天井を築くのが通例でした。
- 焼成技術: 還元焔(えん)焼成から酸化焔に近い焼成が行われました。
- 社会的背景:
- この時代の茶を喫する習慣は、中国の唐風の茶が廃れ、平安中期には薬用や朝廷の特殊な儀式に限られるようになりました。そのため、中国の禅院で日常的に使われていたような優れた茶碗はほとんどなく、日本の山茶碗は非常に粗雑なものでした。須恵器は、茶碗としてよりも、日用品や儀式用器として機能的な役割を担っていたと考えられますが、資料からは具体的な用途や社会的な位置づけに関する直接的な記述はありません。
中世の六古窯(中世陶器)の技術的・社会的背景
中世陶器は、基本的に須恵器系に属するものであり、農民向けの日常雑器が主製品でした。しかし、その生産と消費の背景には、須恵器の時代からさらに発展した技術的・社会的変化が見られます。
- 全般的な技術的背景:
- 陶土の変化: 中世に入ると、窯の立地が転換し、より高い丘陵地の新三紀層の粘土が求められるようになりました。これは、大物づくりにふさわしい強度が要求されたためと考えられます。室町時代の中ごろまでは山土単味でしたが、室町後期には例外なく田土(たど)を混ぜるようになりました。
- 成形技術: 壺類は、須恵器の轆轤成形に対し、粘土紐を巻き上げて基本形を作り、その後、木を用いて器面を調整する「はぎづくり」という方法がとられました。大形の壺や甕は、木の台の上に砂をまき、円形の底板を作った後、粘土紐を巻き上げて高さを出し、乾燥させてからさらに紐土を継ぎ足す方法です。小形の壺類では、室町後期に水挽き轆轤成形が行われるようになりました。
- 築窯法: 築窯法においては、西日本の諸窯では未調査の丹波窯を除き、須恵器窯の築窯法を継承しているようです。
- 焼成技術: 初期には還元焔焼成が行われましたが、鎌倉時代中後期からは還元焔から酸化焔に近い焼成を行うのが特色となりました。酸化焔焼成への転換は、需要の増大に伴い燃料経済をはかるためであったという見方もあります。
- 全般的な社会的背景:
- 中世陶器は、農民向けの日常雑器として広く生産され、流通しました。
- 室町時代後期から桃山時代にかけて侘び茶の流行に伴い、茶碗や花入、水指などの茶陶が盛んに焼かれるようになります。この時期には、華やかな中国の茶碗が敬遠され、朝鮮産や和物の茶碗が主流となりました。
- 信長時代には国産陶器の価値が認められ、窯業技術が茶人の鑑賞に耐えうるほど発達しました。
各窯(六古窯とその周辺)の技術的・社会的背景
- 常滑窯(とこなめがま)
- 技術的背景: 平安末期の猿投窯から進出し、半島中央部で生産されました。常滑周辺は耐火度の低い黒土が豊富で、大形の壺・甕の焼成に適していました。
- 社会的背景: 舟運を利用した輸送に極めて便利だったため、常滑の大甕は青森県から鹿児島県まで日本全域に運ばれ、広範囲で使用されました。農民用の雑器だけでなく、経塚から出土する経筒外容器や蔵骨器のような高級品(三筋文系の文様を持つ中形経甕、三筋壺など)も生産されました。これらの高級品は、中国宋代の白磁四耳壺を模倣したものから派生したとされていますが、瀬戸窯のような忠実な模倣とは異なり、独自の変化を遂げた点に中央貴族社会と結びついた独自の世界が見られます。
- 渥美窯(あつみがま)
- 技術的背景: 常滑と同様に、耐火度の低い黒土を陶土とし、大形の壺・甕の焼成に適していました。
- 社会的背景: 常滑と同様に舟運の利便性を活かし、雑器の他に、刻文壺や秋草文壺のような中国陶磁の影響を受けた高級品も生産されました。渥美半島には74群400基近い古窯跡が確認されており、古窯跡の数では全国第四位の中世窯跡群です。
- 信楽窯(しがらきがま)
- 技術的背景: 中世に優れた壺を残した窯の一つで、他の窯が鉄分を多く含むのに対し、信楽は鉄分が少ない白い土で焼成され、赤く焼き締まることで明るく穏和な景色を生み出しました。大形の壺や甕類は、粘土紐を巻き上げる「はぎづくり」という成形法がとられました。
- 社会的背景: 室町後期には茶人が信楽の壺や擂鉢を茶の湯の器として見立てるようになり、天文年間の茶会記に水指の使用が見られます。その後、雑器の作風を基調とした「紹鴎信楽」や「利休信楽」といった茶陶が焼かれ、慶長年間には「新兵衛信楽」や織部好み風のものも作られました。江戸時代に入ると、茶陶の様式を示す呼称となり、「信楽腰白茶壷」のような献上品も著名になりました。桃山時代には備前と比べると生産組織は小さいものであったようです。
- 越前窯(えちぜんがま)
- 技術的背景: 花崗岩を基盤とする新第三紀層の砂質粘土を使用し、耐火度が高くやや鉄分が多いのが特徴です。成形は、轆轤で底板を作り、粘土紐を巻き上げて成形する技法が常滑と同様に用いられましたが、常滑のような連続した押印はありません。初期には灰釉、室町後期には刷毛塗りによる鉄釉も施されました。
- 社会的背景: 中世を通して生産が継続している窯業地の一つです。
- 備前窯(びぜんがま)
- 技術的背景: 伊部周辺の花崗岩由来の耐火度の高い粘土が用いられ、室町後期には田土が混ぜられました。壺の成形は底板を作り、粘土紐を巻き上げる紐輪積み成形で行われ、器面は篦削りや木調整で整えられました。口縁部の変化は乏しく、玉縁に変わるのが特徴です。室町後期から塗土(ぬりつち)の技術が始まり、これが「伊部手」(いんべで)として発展しました。焼成では、窯変や緋襷(ひだすき)といった独特の景色が生じました。
- 社会的背景: 永禄年間には茶会記に水指や建水が登場し、侘び茶の建水として圧倒的な人気を得ました。天正年間には花生も加わり、桃山風の作為的な作品が焼造されるようになりました。桃山の茶陶においては、備前焼の方が美濃よりも積極的に侘びの茶陶の注文を受けていたとも推測されています。
- 珠洲窯(すずがま)
- 技術的背景: 東日本でよく知られた須恵器系第二類に属する中世陶器です。還元焼成を踏襲しました。
- 社会的背景: 平安末期に中世陶器として始まり、鎌倉後期から室町初期には、日本海沿岸の各地から北海道まで広く流通し、越前と商圏を競い合いました。製品の種類は主に壺、甕、擂鉢の三者に限られていましたが、初期には碗類も作られました。しかし、室町時代中ごろを境に消えていく窯業地の一つです。
このように、日本の陶磁器は、古代の須恵器の時代から、中世の六古窯とその周辺の窯へと技術と社会の要請に応じた多様な発展を遂げました。特に中世後期以降は、茶の湯文化の隆盛が、陶磁器の生産と消費に大きな影響を与え、各地で個性豊かな茶陶が生み出されていきました。