主要産地

唐津焼とは (其の四 桃山後期から江戸前期にかけて)

桃山後期から江戸初期の唐津焼の展開は、美濃陶芸と軌を一にして侘茶(わびちゃ)〔注:簡素・幽玄を尊ぶ茶の湯の様式〕の盛行が国産茶陶への需要を押し上げ、量産化を促した帰結とみられ、その端緒を大きく押し広げたのが文禄・慶長役でした。文禄元年、豊臣...
主要産地

唐津焼とは (其の参 唐津諸窯から)

唐津の諸窯から出土する陶片を総観すると、岸岳の飯洞甕や帆柱(ほばしら)窯、ないしその系譜に属する作が最古層を占め、器形・装飾ともに素朴で荒磯の魅力を帯びますが、文禄・慶長役を契機に朝鮮から多数の陶工が渡来して在来の陶工と合流し、各地に築窯し...
主要産地

唐津焼とは (其の弐 岸岳の諸窯)

昭和四十六年(1971年)に島根大学・浅海(あさみ)教授が実施した熱残留磁気測定〔注:焼成後に磁性体に残る磁化から焼成年代を推定する物理測定法〕の結果、岸岳の飯洞甕「下窯」は十六世紀末に操業を終えた可能性が高いと示されました。これは岸岳城主...
主要産地

唐津焼とは(其の壱 生い立ち)

現在わかっているかぎり、いわゆる唐津焼(からつやき)〔注:佐賀県唐津市周辺で焼かれた陶器の総称〕を焼いた窯は、佐賀県東松浦郡(ひがしまつらぐん)・伊万里(いまり)市・武雄(たけお)市・有田(ありた)町・長崎県佐世保(させぼ)市などに百基以上...
茶陶

伯庵茶碗(ばくあん ちゃわん)

黄瀬戸系の特異作として知られるのが「伯庵茶碗」です。名の由来は、幕府医官・曾谷白庵(そだに はくあん)が所持したことによると伝えます。瀬戸系のどの窯かは未詳ながら、土味や釉調から慶長(1596–1615)から元和・寛永頃の作と推定されます。...
主要産地

黄瀬戸(きせと)

桃山時代の美濃(みの)一帯では、やきものの様式がめまぐるしく展開しました。技術や作風は直線的に進歩するのではなく、戦乱の収束や茶の湯の流行といった外的刺激を契機に一気に跳ね上がり、景色(けしき)を一変させます。永禄(1558–70)から天正...
人名

織部とは(其の五 種類)

織部黒 作品の中心は茶碗で、瀬戸黒の系譜に歪みを強調して沓形に作る傾向が強く、黒釉の力強い光沢を基調に、時に長石釉を差して景色を重ねる例も見られ、まれに茶入も作られるが、全体としては茶碗様式の展開が主題であり、登窯化以前の穴窯焼成に連なる肌...
人名

織部とは(其の四 作風)

古田織部が美濃窯と深く関わり始めたのは天正後期と推測され、その段階で既に志野や黄瀬戸、瀬戸黒にも好みを示し得たはずで、もし彼の嗜好の核が意図的な「歪み」の美にあったとするなら、志野系の器にもそれを指摘でき、実際、瀬戸黒に歪みを加えた織部黒に...
人名

織部とは(其の参 様式)

慶長から元和にかけて美濃の窯で焼かれた織部焼は量・種類ともに膨大で、織部黒・黒織部・(青)織部の三系列を基軸に、花入・茶入・香合・茶碗・燭台・大小の皿鉢・向付など多様な器形と文様が展開し、とても一個人の好みだけで把握できる範囲を超え、産業的...
人名

織部とは(其の弐 生い立ち)

桃山末から江戸初にかけて、「織部好み」の茶陶は美濃のみならず伊賀(いが)・信楽(しがらき)・備前(びぜん)・唐津(からつ)など各地で焼かれたが、最終的に「織部」と総称されるのは美濃系の作であり、これは当時から古田織部と美濃窯場との結びつきが...
人名

織部とは(其の壱 名称)

織部焼〔注:美濃(みの)を中心に桃山末〜江戸初に成立した茶陶様式で、緑釉と大胆な造形・意匠を特色とする〕という呼称は、千利休(せんの りきゅう)の没後に天下第一の茶人として活動した古田織部(ふるた おりべ/重然)に由来すると古来伝えられ、す...
様式

志野焼とは(其の四 分類)

伝世志野の分類は、以前は大掴みであったが、現在は作行・釉法の差異にもとづき、無地志野(むじしの)〔注:文様を施さず白長石釉のみで景色を観る類〕、志野(絵志野)〔注:鬼板(おにいた)=鉄分多い赤土や鉄絵具で釉下絵付する類〕、鼠志野(ねずみしの...
様式

志野焼とは(其の参 半筒形)

半筒形(はんづつがた)〔注:口縁がほぼ水平で、胴はやや直立、全体に筒形(つつがた)を基調としつつ高さを抑えた茶碗形式〕が桃山様式としていつ始まったかは断定し難いが、室町後期から桃山初頭の和物茶碗の動向を総覧すると、契機は天正年間(1573–...
様式

志野焼とは(其の弐 志野の名称)

桃山期に美濃で焼かれた長石釉の器物を、今日では一般に「志野」と総称するが、同時代にその呼称が定着していたわけではない。記録上、「志野」の名が確実に現れるのは江戸中期・享保~元文期で、近衛予楽院(このえ よらくいん)の『槐記(かいき)』や、乾...
釉薬・技法

志野焼とは(其の壱 生い立ち)

「百草土(もぐさつち)」〔注:美濃(みの)周辺で産する粒子が粗く耐火性のある胎土〕でざっくり成形し、その上に柔らかな膚合いの白い長石釉(ちょうせきゆう)〔注:長石を主成分とする白色系の釉薬〕をたっぷり掛け、釉下に鉄絵具(てつえのぐ)〔注:酸...
釉薬・技法

瀬戸黒

瀬戸黒〔注:美濃(みの)で発達し、黒釉の漆黒を生かした茶碗様式。窯中から引き出して急冷する技法が核心〕は、黄瀬戸〔注:美濃焼の一種。黄褐色の釉を呈する〕と同様に、桃山期に突然生まれたのではなく、室町期に培われた施釉と焼成の伝統の上に成立した...
主要産地

瀬戸焼(7) 瀬戸の古窯

瀬戸(せと)の古窯については、従来の文献で挙げる数に相違が見られます。便宜上、本稿では『をはりの花』に記録されている古窯名を列挙しますが、古窯の総数はこれに限られません。とりわけ古い瀬戸の窖窯(あながま)〔注:横穴式の単室窯〕は移動性が高く...
主要産地

瀬戸焼(6)【江戸時代以降】

(一)概説徳川家康(とくがわ いえやす)が政権を確立し、その子・義直(よしなお)が尾張(おわり)に封ぜられると、瀬戸の陶祖一族を各地に分散させるのは不利と判断され、1610年(慶長15)2月5日、加藤利右衛門景貞(かとう りえもん かげさだ...
主要産地

瀬戸焼(4)【安土・桃山時代】

わが国の窯業技術は工芸の多くと同様に中国・朝鮮からの伝来を基盤とし、室町期までは総じて未成熟であったため、茶の湯で用いる器は唐物〔注:輸入陶磁の総称〕が主流で国産は顧みられませんでしたが、織田信長(おだ のぶなが)の時代に至って嗜好が国産へ...
主要産地

瀬戸焼(3)【藤四郎時代】

ここでいう「藤四郎(とうしろう)時代」とは、瀬戸の陶祖と伝えられる初代・加藤藤四郎景正(かとう とうしろう かげまさ/鎌倉時代)から、四世・藤四郎政蓮(まされん/室町初期)までの期間を指します。史実としては曖昧な区間ですが、伝承は根強く、ま...
主要産地

瀬戸焼(2)【発祥から室町時代まで】

尾張(おわり)国で陶磁が営まれた起源は明確ではありませんが、『日本後紀』弘仁六年(815)正月五日の条には「造瓷器生、尾張国山田郡の人、三家人部乙麿等三人、伝え習い業を成す」と記され、また『延喜式』には尾張国の瓷器〔注:古称で陶磁器の意〕の...
主要産地

瀬戸焼(1)【総説】【地域】

【総説】瀬戸焼(せとやき)〔注:愛知県瀬戸市を中心に産する陶磁器の総称〕は、わが国の製陶業における最大級の集積地として長い歴史と旺盛な生産を誇り、「瀬戸物(せともの)〔注:陶磁器の通称〕=陶磁器」を意味するほど名が広く定着しましたが、その背...
釉薬・技法

古瀬戸の製作技術

瀬戸(せと)が中世日本で施釉〔注:器面に釉薬を施す焼成法〕の中心地となり得た第一の理由は、耐火度の高い良質の陶土に恵まれていたためです。周辺に豊富に分布する木節粘土〔注:瀬戸周辺特有の耐火粘土〕は、猿投山(さなげやま)をなす花崗岩を母岩とす...
主要産地

瀬戸・美濃(中世の施釉陶器)

古瀬戸(こせと)は、美濃(みの)と並んで中世で唯一の施釉陶器〔注:器面に釉薬をかけて仕上げる陶器〕として知られ、名古屋市の東北東約20kmに位置する瀬戸(せと)市街地を取り巻く標高100〜200mの低い丘陵帯で焼かれました。狭義の瀬戸窯(せ...
主要産地

飯坂(いいざか)・亀山(かめやま)

東北各地の経塚や遺跡から出土する黒ずんだ陶器は、かつて一括して須恵器(すえき)〔注:古墳~平安期の高火度・無釉の実用陶〕と見なされましたが、昭和後期に珠洲焼(すずやき)の実態解明が進むと、日本海側沿岸から北海道にかけて出土する多くが珠洲焼で...
主要産地

珠洲(すず)

須恵器(すえき)〔注:古墳~平安期に広く用いられた高火度の無釉灰色陶〕と見まがうほど黒々とした地肌をもつ珠洲焼は、能登半島(のとはんとう)北東端の丘陵地に営まれた中世窯で、主産地は現在の石川県珠洲市周辺です。長らく須恵器と混同されましたが、...
主要産地

越前(えちぜん)・加賀(かが)

越前古窯〔注:中世に操業した窯跡群の総称〕が北陸最大級の中世窯として広く認知されるのは戦後で、以来二十数年の調査蓄積を背景に、在地研究者の水野九右衛門(みずの・くえもん)氏の尽力によって、断片的だった知見が実見調査と出土資料の集成でつながり...
主要産地

越前(えちぜん)・珠洲(すず)

越前と珠洲は、北陸を代表する中世陶器〔注:中世に各地で量産された日用陶器の総称〕です。越前は福井県南部(越前市から丹生郡の山地)で生産された無釉の焼締陶〔注:釉薬をかけず高温で素地を緻密に焼き締めた陶器〕で、褐色の地肌に自然釉〔注:薪灰が溶...
主要産地

丹波

丹波焼(たんばやき)は畿内西部の山間で興り、焼締陶〔注:釉薬をかけず高火度で素地を緻密化させた陶器〕の中では最も明るく洗練された姿を示します。鉄分の少ない灰白の素地に高火度焼成で淡い緑の自然釉〔注:薪灰が溶けて自然に付く釉景〕が流れ、耐火度...
主要産地

備前

昭和五十二年(1977)、香川県小豆島(しょうどしま)東方沖合約六キロの「水ノ子岩」北斜面の海底から大量の古備前(こびぜん)〔注:中世期の備前焼の総称〕が発見され、わが国初の本格的な水中考古学調査で引き揚げられたことは大きな反響を呼びました...
主要産地

信楽

赤く発色した火色〔注:酸化焼成で素地が帯びる朱〜赤褐の発色〕が全面にのび、白い長石〔注:高温で溶けやすい鉱物。溶融して白斑や流れ景を生む〕が噴き出した信楽(しがらき)の壺、肩に太い箆(へら)彫りで檜垣文〔注:斜め格子を連ねた幾何文〕を刻む大...
主要産地

信楽・備前・丹波について

燃えるような赤みを帯びた肌に白く長石〔注:長石質の鉱物。溶けて流れることで景色をつくる〕が吹き出す信楽(しがらき)の壺、灰白色に締まった地に鮮やかな緑の釉〔注:溶融したガラス質の被膜。景色を生む〕が流れ落ちる丹波(たんば)の壺・甕(かめ)、...
主要産地

備前とは

備前(びぜん)は、丹波・伊賀・信楽・珠洲(すず)などと並ぶ須恵器系〔注:古代の高火度硬質土器の系譜〕の古窯で、中世以来の系譜を保ちました。焼成は酸化焔焼成〔注:窯内の酸素を多く保つ焚き方。赤~褐色発色〕が基本で、室町後期までは特殊例を除き、...
主要産地

伊賀とは

桃山初期以前の伊賀焼(いがやき)〔注:伊賀国(現・三重県西部)で焼かれた中世~近世の陶器。茶陶〔注:茶の湯で用いる器の総称〕として名高い〕は、信楽(しがらき)と区別しにくい作ぶりでしたが、桃山期以降に本格化した茶陶の伊賀は、同時代の信楽とは...
主要産地

信楽とは

信楽(しがらき)の窯場はきわめて古い歴史をもち、他の中世古窯と同様に、古墳時代から平安時代にかけては須恵器〔注:高火度で焼いた灰色の硬質土器〕やその流れを汲む陶器を、穴窯〔注:斜面に穿った単室の登り窯以前の窯〕で焼成していました。鎌倉から室...
主要産地

中津川古窯跡群―山茶碗と壺甕の分化・併走

中津川市西部の、中央本線と木曽川に挟まれた丘陵帯には東西に長く古窯が分布し、現在二十五基が確認されていますが、実数はその倍に達する可能性があります。窯構造はいずれも東海に普遍的な山茶碗窯で、製品は①山茶碗・小皿主体、②壺・甕・擂鉢主体、③両...
主要産地

遠江(とおとうみ)の古窯跡群(概観)

遠江の古窯群も尾張・美濃と同様に平安期の灰釉陶を母胎として山茶碗窯へ転化し、碗・皿を主力に一部で壺・瓶を併焼しましたが、ここでは全体像のみを示すにとどめます。要約(300–500字)遠江では平安期の灰釉陶窯を基礎に中世の山茶碗窯が広がり、基...
主要産地

兼山(かねやま)窯跡群―常滑型大形容器への特化

可児郡兼山町の木曽川に面した支谷の丘陵に営まれた兼山窯跡群は、古城山地区四基・東山地区二基の計六基が確認され、発掘済みは古城山1号窯のみで全体像はなお限定的です。製品は常滑と同系の壺・甕が主体で、山茶碗・小皿・鉢はきわめて少なく、形態・色調...
主要産地

尾張・三河外の展開―美濃(みの)須衛窯と東濃の諸窯

美濃では、各務原(かがみがはら)市から岐阜市へ続く木曽川北岸の丘陵に美濃須衛(すえ)窯が広がり、現在百三十基余の須恵器〔注:高火度焼成の灰色無釉陶〕・瓷(し)器窯が知られ、うち瓷器窯は約二十基とされます。これらは須恵器廃絶後の10世紀に尾北...
主要産地

猿投諸地区の性格差と東山(ひがしやま)地区の台頭

中世の山茶碗窯は、前代の灰釉陶器が及んだ範囲をこえて分布し、旧来地域だけでも古窯跡が五百六十基確認され、破壊例を含めれば全域で八百基超と推定されます。製品は碗・皿中心ですが、初期には前代系譜の広口瓶や大形短頸壺も焼かれ、擂鉢(すりばち)は厚...
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