須恵器

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須恵器(すえき)は5世紀初頭、朝鮮半島から伝わった製作技術により生まれた灰色の硬質陶器で、平安時代まで約700年間にわたり、土師器(はじき)と並んで日常生活の基本的な容器として広く使われました。須恵器の登場は、大陸由来の器種を含む多彩な容器群を日本にもたらし、壺・甕・瓶などの貯蔵容器、杯・高杯・碗・皿などの食器、擂鉢などの調理具、硯や水滴といった文房具、装飾須恵器や塔などの祭器まで、生活全般に関わる豊富な種類が存在しました。『古事記』『日本書紀』『延喜式』などの文献には杯・盞・平瓮・罐・坩・甕など50種ほどの名称が記録されますが、実物と対応できるものは限られます。考古学的には約120種に分類可能ですが、全時代を通じて均等に用いられたわけではなく、生活様式や時代背景に応じて器種の組み合わせが変化しました。これに基づき、須恵器の歴史は六段階に区分されます。

須恵器の特徴は、還元炎による高火度焼成と縦軸回転轆轤(ろくろ)による量産的成形技術にあります。これにより土師器よりも耐久性に優れ、器種の多様化が可能となりました。用いられる粘土は土師器が沖積層産であるのに対し、須恵器は耐火性の高い洪積層や新第三紀層の粘土でした。小型品は轆轤で水挽き成形後、底部を削って整形し、大型品は粘土紐を巻き上げ内外から叩き締める方法で作られました。そのため古墳期の須恵器には丸底・台脚付きが多く、壺や瓶は部位ごとに作り分けて接合しました。8世紀半ば以降は水挽き技法が進歩し、一塊の粘土から多数を成形することが可能となり、壺瓶類も平底で縦長の器形が登場しました。装飾には櫛目文・波状文・刺突文・竹管文などが施されましたが、時代が下るにつれ装飾性は薄れ、無文化していきます。台脚の透かし文様も初期は大きく多様でしたが、後には簡略化しました。

須恵器の窯は丘陵斜面に築かれた窖窯(あながま)で、長さ8〜10m、幅1.2〜1.5m、高さ1m前後の半円断面を持ち、天井や壁を粘土で覆った構造でした。初期は緩やかな15度前後の傾斜で、酸化炎から還元炎への燻焼を行い、器面は炭素粒で黒ずみました。6世紀以降は35度を超える急傾斜の窯が出現し、高火度の還元炎焼成によって灰色〜灰白色の色調が一般化しました。

従来、須恵器の生産は大阪府南部の陶邑窯(すえむらよう)で5世紀中葉に始まり、地方勢力を通じて拡散したとされました。しかし近年、福岡県小隈窯跡群など5世紀前半に遡る窯跡が発見され、多数の渡来人によって日本各地で多元的に生産が始まったと考えられるようになっています。その後、須恵器は六段階の変遷を経て平安時代まで継続し、東日本では11世紀末まで生産が続きました。

須恵器の変遷六段階

  1. 第一段階(5世紀初頭〜6世紀初め)
    南鮮的色彩を残す初期須恵器から日本化が進み、大和政権の支配強化に伴い統一的な須恵器が成立。祭祀色が強く、高杯・器台・装飾須恵器が目立ちました。
  2. 第二段階(6世紀中頃〜7世紀初頭)
    生産地が拡大し、群集墳の時期に一般農民層へ普及。粗製化が進む一方、轆轤技術が進歩し、高杯が長脚化、壺瓶類の頸部が細長化。地方色も現れ、鳥形瓶や鳥鈕付壺など新器種が登場。
  3. 第三段階(7世紀初頭〜後半)
    仏教伝来に伴う新技術導入で大きく変化。丸底の蓋杯や装飾須恵器が消滅し、台脚が退化。生活様式の変化と大陸からの新器種導入が背景にあります。
  4. 第四段階(8世紀〜9世紀初頭)
    古墳時代以来の器形が一新し、碗・盤・鉢類が登場。愛知県猿投窯で灰釉陶器が生産され、仏器類に影響。生産の中心が陶邑窯から猿投窯へ移行しました。
  5. 第五段階(9世紀初頭〜10世紀前半)
    西日本で須恵器が衰退し、猿投窯が灰釉陶器を全国に供給。対照的に北陸・関東・東北では生産が活発化しました。
  6. 第六段階(10世紀〜11世紀末)
    西日本では消滅する一方、北陸・東日本では11世紀末まで須恵器生産が継続しました。

要約
須恵器は朝鮮半島から伝わった技術を基盤に5世紀初頭に成立し、平安時代まで約700年間にわたって日本の生活を支えました。窖窯と轆轤による高火度還元焼成が特徴で、貯蔵容器から食器・調理具・文房具・祭器に至るまで多様な器種を提供しました。その歴史は六段階に区分され、初期の祭祀色の強い段階から、仏教文化の影響を受けた新器種の登場、灰釉陶器への移行、西国での衰退と東国での存続という流れをたどりました。最終的に11世紀末には中世陶器へと移行し、日本陶磁史における大きな転換点となりました。

【関連用語】

  • 須恵器:朝鮮半島由来の灰色硬質陶。轆轤と還元焼成で作られた。
  • 土師器:弥生式の後継で酸化焼成の赤色素焼陶。須恵器と並行して使用。
  • 窖窯(あながま):丘陵斜面に築かれた半地下式登窯。須恵器生産の基本窯。
  • 灰釉陶器:木灰を溶剤とする釉薬を施した陶器。猿投窯で生産が始まる。
  • 猿投窯:愛知県の大規模窯跡群。灰釉陶器を全国に供給。
  • 陶邑窯:大阪府南部の須恵器大規模生産地。5〜10世紀に栄えた。