中津川古窯跡群―山茶碗と壺甕の分化・併走

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中津川市西部の、中央本線と木曽川に挟まれた丘陵帯には東西に長く古窯が分布し、現在二十五基が確認されていますが、実数はその倍に達する可能性があります。
窯構造はいずれも東海に普遍的な山茶碗窯で、製品は①山茶碗・小皿主体、②壺・甕・擂鉢主体、③両者混在の三タイプに分かれ、壺・甕・擂鉢は常滑製と同系です。
素地は白色系で硬質、淡緑の自然釉〔注:窯内で灰が溶け生じた薄いガラス質層〕がかかる美麗な陶片が多く、完器はまだ少数しか知られていません。
母胎は平安後期に東濃へ拡散した灰釉陶窯で、その一支群である小石塚窯から継起し、12世紀に山茶碗化、鎌倉期に常滑の影響で壺・甕生産を開始、当初は碗皿と併焼しましたが、鎌倉末〜南北朝期に碗皿窯と壺甕窯へ分化しました。
しかし室町初頭には廃絶し、これは渥美(あつみ)をはじめ東海各地の山茶碗窯の終息と歩調を合わせ、壺・甕専業での存続が難しかった事情を示唆します。

要約(300–500字)
中津川古窯は東海型山茶碗窯の枠組みで、山茶碗群と壺甕群が併走・分化する生産編成をとりました。白色硬質胎に淡緑の自然釉を帯びる点が特色で、母胎は平安後期の灰釉陶窯系(小石塚窯)にさかのぼります。12世紀に山茶碗化し、鎌倉期に常滑の影響で壺・甕を導入、のちに窯を機能分化させましたが、室町初頭に廃絶しました。これは渥美など東海圏の山茶碗窯の終息傾向と同期し、大容器専業の継続困難という市場構造を物語ります。

【関連用語】

  • 常滑:壺・甕・擂鉢の標準様式を供給し中津川に影響。
  • 渥美:東海古窯圏の一角で、中世後期に衰退へ向かう。
  • 灰釉:中津川の母胎となる平安系施釉技術。
  • 美濃:中津川を含む東濃域の広域生産圏。