須恵器(すえき)〔注:古墳~平安期に広く用いられた高火度の無釉灰色陶〕と見まがうほど黒々とした地肌をもつ珠洲焼は、能登半島(のとはんとう)北東端の丘陵地に営まれた中世窯で、主産地は現在の石川県珠洲市周辺です。長らく須恵器と混同されましたが、昭和二十七~二十八年の「九学会能登総合調査」に続き、昭和三十八年の北国新聞社主催調査で中世陶器としての独自性が整理され、その位置づけが確立したことが記録されています。
北陸以北の日本海沿岸から東北・北海道南部にまで広域分布する一方で、古窯跡の発見数は十地点十六基と意外に少なく、現時点では珠洲市上戸町・宝立町周辺の南北五キロ、東西二キロに集中が見られます。確認例は馬諜峠・三崎町寺家クロバタケ・上戸町カメワリ坂(二基)・宝立町春日野法住寺(三基)・同西方寺(二基)・能登町行延・宝立町大畠・同橿原郷(二基)・同鳥屋尾・三崎町大屋ヒヤマ(二基)などで、内浦から外浦に及び、いずれも海岸から離れた丘陵上に築窯され、最古級のカメワリ坂窯は標高二百メートル超の高所に位置します。
製品構成は中世窯に通有の壺・甕(かめ)・擂鉢(すりばち)を主とし、初期には碗・皿・瓶(かめ)も併焼されました。甕は高さ七十センチ超の大甕と三十五センチ前後の小型に大別され、後者が圧倒的多数を占め、器面には条線状の叩目〔注:木型などで器面を締める際に生じる連続痕〕を施すのが通例で、ときにこれを磨消した精品もあります。壺は大小があり、両端をはね上げた独特の耳をもつ四耳壺が大形に多く、小形壺(高さ二十センチ前後)は短い口頸と肩・胴の櫛目文を特徴とし、古瀬戸風の横耳四耳壺や環状縦耳の双耳壺もまれに見られます。
擂鉢は浅い大平鉢で、珠洲では初めから高台を設けず、鎌倉中期以降は内面に櫛によるおろし目〔注:摩砕用の細溝〕を刻むのが標準化します。さらに珠洲窯の顕著な特質として、他の須恵器系中世窯に希な花瓶・浄瓶・瓶子(へいし)〔注:仏具としての供水器〕などの瓶類を焼いた点が挙げられ、宗教用具の需要に応答した生産性格がうかがえます。甕や壺の肩には箟(へら)描きまたは押印による窯印〔注:窯・工人・規格を示す標記〕を付すのも通例で、叩目を消し表面を磨き上げた精作では意匠性がいっそう強まります。
製作技術では、陶土は須恵器より耐火度の高い粗質土を主に用い、小石を多く含むため、焼成断面は多孔質でやや粗雑な胎を示します。成形は甕で、底部を轆轤(ろくろ)〔注:回転成形具〕で一定高まで立ち上げ、以後は紐巻き上げで継ぎ足し、板起こし・静止糸切り〔注:回転させず糸で切り離す底成形〕の両法が併存します。器面は型を当てて叩き締めるため条線の叩目を残し、初期には内面に青海波状叩目が残る例もあり、古代須恵器からの連続性を明瞭に物語ります。壺は大形で紐作り・箟調整が基本、小形は轆轤水挽きが多く、擂鉢は紐巻き上げで口縁端を初期から面取りするのが特色です。
焼成は製品の性状から燻焼還元焰焼成〔注:酸素の乏しい雰囲気で炭素を抱き黒灰色に発色〕と判断され、発掘例は西方寺・法住寺の二窯に限られますが、法住寺三号窯(鎌倉期)は全長九メートル超・焚口幅二・六メートル・焼成室最大幅三・六メートル・床勾配二六度、西方寺窯(室町期)は全長十二メートル・幅三・二メートル・天井高一・一メートル・勾配二八度で、須恵器窯より幅広・天井低めの形態を示し、焼成法自体は須恵器とほぼ同様とみて差し支えありません。
発生時期は、仁安二年(一一六七)銘の経筒(きょうづつ)外容器として用いられた富山県大岩日石寺(にっせきじ)裏山経塚出土の甕・擂鉢により、平安末には中世窯として成立していたことが確実です。この地域内に先行する須恵器窯は知られず、近隣最寄は約三十キロ西南の輪島市洲衛古窯群であるため、珠洲窯は中世化に際し、陶土事情とともに海上交通に適した内浦側丘陵へ立地を移し選んだと理解されます。
変遷は吉岡康暢氏により平安末~室町後期を八型式に編成されていますが、本稿では器種・口縁・文様などの変化から、十二世紀中葉~十六世紀前半を五期に大観します。第一期(平安末~十二世紀)は壺・甕・擂鉢を主に、供膳具の性格を一部残し、宗教用具や中国写しを試みた創成期で、薄手で斜め細条の叩文が多く、窯印は稀で、巴文壺は希少です。
第二期(十三世紀・鎌倉前~中期)はなお成形が丁寧で精品が多く、四耳壺や瓶子の生産が続き、擂鉢内面に櫛目のおろし目が普及し始め、肩の窯印は箟描きが主流です。第三期(十四世紀・鎌倉後期~南北朝)は最盛期で、器種は壺・甕・擂鉢に絞られ、瓶・碗皿は消滅、叩文は粗条となり、縦叩きで多面体化し綾杉状の文様へ変化、両端をはねた耳の四耳壺が多産し、円・菊の印花窯印も頻出、商圏は北は北海道まで拡大します。
第四期(十五世紀・室町前~中期)に入ると衰退が進み、器種は減少し形式化が強まり、壺・甕はほぼ多面体化、叩文は綾杉状で、大甕の口縁は玉縁化、壺の口頸は小型化します。擂鉢は内面おろし目が密になり、幅広い縁帯上面に櫛描装飾が施されるようになります。第五期(十六世紀・室町後期)は擂鉢など一部器種に縮減して延命を図りますが、やがて越前窯の隆盛に圧され、珠洲窯は閉幕を余儀なくされました。
要約(300〜500字)
珠洲焼は能登半島の丘陵に営まれた中世窯で、黒色の焼肌と須恵器に通じる技術を基盤に、壺・甕・擂鉢を中心とする日用雑器を大量に生産しました。古窯は十地点十六基が知られ、上戸町・宝立町周辺に集中します。陶土は耐火度の高い粗質土で、紐作りと轆轤を併用、条線の叩目や窯印を特色とし、焼成は燻焼還元焰で須恵器窯に近い構造を備えます。成立は仁安二年(一一六七)銘経筒外容器の出土で平安末に遡り、十四世紀に最盛期を迎えて北海道まで商圏を拡大、十五世紀に衰退し、十六世紀には一部器種に縮減ののち越前の台頭下で終焉しました。宗教用具や中国写しを含む初期の多様性と、のちの器種絞り込みが時代の需要と技術選択を物語ります。
【関連用語】
- 珠洲焼:能登半島北東部で焼かれた黒色の中世焼締陶。
- 須恵器:古墳~平安期の無釉高火度陶。珠洲はその技術系譜を継ぐ。
- 燻焼還元焰焼成:酸素不足で焼き、黒灰色を呈させる焼成法。
- 叩目:型や木べらで器面を締めた際の条線状痕跡。
- 窯印:窯や工人・規格を示す記号。箟描きや押印で肩部に付す。
- 四耳壺:肩部に四つの耳(取っ手状突起)をもつ壺。珠洲では両端をはねる独特形。
- 瓶子(へいし):仏教儀礼で用いる小型の注口器。
- 浄瓶:法会で用いる供水用の器。
- 青海波状叩目:半円波形が連続する叩き跡。初期珠洲に残存。
- 櫛目・おろし目:櫛で刻む細溝。擂鉢内面の摩砕用目立て。
- 轆轤(ろくろ):回転で成形・整形する器具。
- 板起こし:底板を切り出し胴部を載せて立ち上げる底成形法。
- 静止糸切り:回転させず糸で器底を切る技法。
- 紐巻き上げづくり:粘土紐を積層し胴を立ち上げる成形法。
- 経筒・経塚:経典を金属筒に納め埋納する装置・施設。編年の指標となる出土例が多い。

