信楽・備前・丹波について

この記事は約5分で読めます。

燃えるような赤みを帯びた肌に白く長石〔注:長石質の鉱物。溶けて流れることで景色をつくる〕が吹き出す信楽(しがらき)の壺、灰白色に締まった地に鮮やかな緑の釉〔注:溶融したガラス質の被膜。景色を生む〕が流れ落ちる丹波(たんば)の壺・甕(かめ)、赤黒い素地に朽葉色の自然釉〔注:薪灰が溶けて自然に付いた釉〕がかかる備前(びぜん)の壺――いずれも西日本の中世陶器を代表する名品群であり、器形や肌合いの地域性が、中世社会の土地ごとの個性をもっとも端的にあらわしています。

ここで西日本の中世陶器を論じるにあたり、その位置づけを先に整理しておきます。すでに瀬戸・美濃の項で述べたように、中世のやきものは大きく土師器系〔注:古代の低火度赤焼き土器の系譜〕・須恵器系〔注:古墳~中世の高火度硬質土器の系譜〕・瓷器系〔注:当時の用語で、施釉を含む硬質陶器・磁質の系統を指す〕の三系列に分かれ、伊賀・信楽・丹波は主に瓷器系、備前は須恵器系に属すると考えられています。

須恵器系とは、平安期に各地で焼かれた硬質の須恵器の系譜に連なるもので、第一に、鎌倉期に酸化焔〔注:空気を多く含む火炎。赤~褐色発色〕で茶褐色陶器へと転じた群、第二に、須恵器と同様に還元焔〔注:空気を絞る火炎。黒~灰色発色〕で灰黒色に焼く「続須恵器」的な群の二類に分かれます。ここで扱うのはこのうち第一類で、景色や用途において中世の民生と密接につながる器物群です。

須恵器系中世陶器の特色は、生産品目が壺・甕・擂鉢(すりばち)の三種にほぼ限定される点にあります。中世の窯では本来、碗・皿・鉢・瓶などの食器、貯蔵用の壺・甕、煮沸用の釜、仏器なども想定されますが、各地が一様に多品種を焼いたわけではありません。備前では創成期に碗・皿・瓶も見られるものの、鎌倉中期以降は壺・甕・擂鉢に収斂し、仏器を少量添える程度となります。伊賀・信楽・丹波の発生初期は未詳ながら、現存遺物の限りでは同じ三種が主で、室町後期になると片口小壺や苧桶(おおけ)〔注:麻糸を入れる桶。茶で水指に見立てられる〕、徳利・花瓶などの新顔が加わり、わび茶の隆盛に伴って茶陶〔注:茶の湯用の器の総称〕も焼かれるようになります。施釉の瀬戸・美濃を除けば、無釉の焼締陶〔注:釉を掛けず高温で締めた陶器〕で茶陶を産するのは西日本諸窯の際立つ特徴で、とくに信楽・備前は早くから茶会記に名が見え、畿内との結びつきの強さを示しています(諸茶会記に記録されている)。

では、なぜ中世において壺・甕・擂鉢がとりわけ重要になったのでしょうか。壺は須恵器以来の貯蔵容器ですが、中世では「種壺(たねつぼ)」の語が象徴するように農業と密接に関わり、種籾の貯蔵や、播種前に発芽を促す浸種に用いられました。平安末から広がる二毛作〔注:年に二度作付けする農法〕では浸種が生育に有効で、壺の需要を押し上げます。甕は水や酒の貯蔵に不可欠で、さらに農村で肥培技術が進むと「肥甕」としての役割が増し、平安以降の草木灰に加え、鎌倉期には糞尿肥料〔注:人畜の尿・糞を発酵利用する肥料〕も使われ始め、大型甕の出現と呼応します。擂鉢は調理具として日常生活に欠かせない器で、三者はいずれも「雑器」でありながら農の発展とともに量的需要が高まったのです。

また壺・甕は宗教的用途でも重要でした。平安後期以降の経塚造営では経筒の外容器として、火葬の普及に伴っては蔵骨器〔注:荼毘後の骨を収める容器〕として広範に用いられ、各地の調査で膨大な使用量が知られます。加えて、丹波でとくに例が多い銭甕〔注:銭を貯める甕〕も見逃せません。宋銭の大量流入で貨幣経済が進むと、畿内の先進地域では年貢の銭納化が早くから進展し、農村でも貨幣が浸透、甕が蓄銭容器として活用されました。こうした社会経済の推移が、三器種の生産と流通を支えたのです。

製作技術の総括的特徴を見ます。まず陶土は、信楽・丹波・備前のいずれも須恵器より耐火性が高く、中世に入ると窯は立地を高位の丘陵へ転じ、新第三紀層〔注:比較的新しい地質層。高耐火粘土を産する〕の粘土を求めました。大物製作に耐える強度が必要だったためで、室町中頃までは山土単味、室町後期には例外なく田土〔注:田の堆積粘土。可塑性を補うための混合土〕を混ぜるようになります。成形は、須恵器のろくろ成形に対し、中世では紐作りで胴を上げ、木製の箆(へら)〔注:表面をならし形を整える道具〕で肌を調整するのが基本です。大壺・甕では砂を敷いた木台で底板を作り、周囲に紐土を巻き上げ、一定の高さでいったん乾かして継ぎ足す「はぎづくり」〔注:分割上げの大物成形法〕を用い、箆削りや木箆(きべら)で縦横に面出しを行いました。

築窯は、須恵器窯と同様に丘陵斜面へ細長い溝を掘り、藁すさ入り粘土で側壁と天井を巻き上げる穴窯(あながま)〔注:単室の古式窯。強い還元~弱酸化まで幅を持つ〕を踏襲し、見た目は東海型に近い信楽でも、実際は大きく溝を穿って壁・天井を築く方式です。焼成は、瓷器系が還元から弱酸化へ幅を持つのに対し、西日本諸窯は初期に強い還元焼成、鎌倉中後期以降は還元から酸化に近い焔へと運用幅を拡げ、素地発色と灰被りの景色を意図的に引き出していきました。


要約(300–500字)
西日本の中世陶器では、信楽・丹波・備前が地域固有の肌と景色で名高く、系譜上は伊賀・信楽・丹波が瓷器系、備前が須恵器系に位置づけられます。主要製品は壺・甕・擂鉢で、二毛作や肥培技術の進展により農業と密接に連動して需要が拡大し、宗教用(経塚外容器・蔵骨器)や貨幣経済(銭甕)でも大量に用いられました。技術面では、新第三紀層の耐火粘土を用い、大物に適したはぎづくりと箆調整、丘陵斜面の穴窯築造、初期還元から中後期の弱酸化寄りまでの柔軟な焼成運用が共有され、室町後期には田土混用や器種多様化、茶陶化が進行しました。

【関連用語】  
- 信楽:近江・甲賀の古窯。白土が仄赤く焼き締まる景色で壺に名品が多い。  
- 丹波:丹波篠山周辺の古窯。灰白の地に緑釉の流下景で知られる。  
- 備前:岡山の古窯。鉄分多い土で赤~黒の焼締肌と自然釉が特色。  
- 土師器系:古代赤焼き土器の系譜。中世では限定的に継承。  
- 須恵器系:高火度硬質土器の系譜。中世では壺・甕・擂鉢が主。  
- 瓷器系:施釉を含む硬質陶器・磁質系統の総称として用いられた区分。  
- 焼締陶:無釉高火度で素地を緻密化させた陶器。  
- 自然釉:薪灰が高温で溶融付着した釉景。  
- 還元焰/酸化焰:窯内の酸素量で発色が変わる焼成雰囲気。  
- はぎづくり:大物成形で胴部を継ぎ上げる紐作り技法。  
- 箆目:箆で表面を削り整えた痕跡。景色として尊ばれる。  
- 経塚:経筒を埋納した塚。外容器として壺・甕が用いられた。  
- 蔵骨器:火葬後の遺骨を納める容器。中世に大量使用。  
- 銭甕:蓄銭用の甕。宋銭流入と貨幣経済化で普及。  
- 田土:田の粘土。可塑性付与のため山土に混ぜる調合土。  
- 新第三紀層:耐火性に富む粘土を産する地層。大物製作に適す。