信楽

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赤く発色した火色〔注:酸化焼成で素地が帯びる朱〜赤褐の発色〕が全面にのび、白い長石〔注:高温で溶けやすい鉱物。溶融して白斑や流れ景を生む〕が噴き出した信楽(しがらき)の壺、肩に太い箆(へら)彫りで檜垣文〔注:斜め格子を連ねた幾何文〕を刻む大壺や、茶の席で珍重された蹲(つくばい)〔注:手水用の水盤。陶製も作られた〕は、中世陶器のなかでも屈指の魅力を放つ作品群であり、その産地は滋賀県甲賀市信楽町、すなわち県最南端の山間盆地で、東南は三重県伊賀市、西南は京都府相楽郡和束町に接する南北に細長い地域に位置します。

とはいえ、信楽がいつ、どのように成立したかは未解明の点が多く、中世陶器として確実に鎌倉中期以前へ遡る資料は乏しく、平安の須恵器〔注:古墳~中世の高火度硬質土器〕や灰釉陶器との中間段階は、経筒外容器などを除けばなお不鮮明です;しかし近江の古代窯業が、5世紀末の鏡谷古窯跡群に始まる須恵器生産から、平安中期以降は蒲生郡日野町作谷窯・水口町春日の山の神窯で緑釉・灰釉陶器を焼き、尾張の瓷器系〔注:施釉を含む硬質陶器系統の総称〕窯の影響が及んだ事実を踏まえると、水口から野洲川を越えて一山先の信楽盆地に、その流れが北方から波及した可能性は高く、形態が常滑(とこなめ)と近似し、瓷器系中世陶器に属する信楽の源流も、平安中~後期の近隣瓷器窯に求められるでしょう。

信楽窯の分布

信楽の古窯跡は、北の宮町(みやまち)から南の長野・神山(こうやま)にかけて現在185か所が確認され、そのうち中世に属するものは46か所ですが、宮町・中井出古窯のように四基を一群とする例もあり、個々の窯基数は優に百基超と推定され、しかも南北に一様ではなく五群に分布が集中するのが特色です。

第一群は最北の宮町地区で、大戸川と隼人川を結ぶ線以北に12か所、第二群は両川の合流地点・黄瀬(きせ)・牧(まき)を中心に川西6か所・川東中牧1か所、第三群は勅旨(ちょくし)地区で川西9か所・川東宇田出3か所の計12か所、第四群は中心街・長野の西方山地に8か所・東側に2か所の計10か所、第五群は南東端で三重県境の神山地区に北新田1か所・五位の木3か所の計4か所で、さらに五位の木峠を越えた三重県側のオスエノヒラにも古窯跡が一か所認められます。

信楽の製品

中世信楽の主製品は、瀬戸・美濃を除く他の無釉焼締系と同様、壺・甕(かめ)・擂鉢(すりばち)の三種が中心で、碗や鉢など食器・調理具は少ないが、室町後期になると緒桶(おけ)〔注:円筒桶。水指に見立てられる〕・徳利・花瓶などが加わり、わび茶流行に伴って茶碗・茶入・水指・花入など茶陶〔注:茶の湯用の器の総称〕も焼成され、さらに経筒・舎利塔・瓶子〔注:神仏供御の器形〕など仏器も少数ながら作られました。

壺は大(高35〜50cm、しばしば50cm超)、中(20〜35cm)、小(20cm未満で15cm前後が多い)に大別され、形態は肩が張り胴が丸い丸胴型となで肩で胴の細い長胴型の二類があり、口作りは丸口、口縁を外に捻り返す捻り返し、口縁直下に突帯を設ける二重口、内面に凹線を入れるとい口、外方へ柔らかく曲げた玉縁風など変化がきわめて豊富です。

甕は大(高50〜60cm)と小(高25〜30cm)に分かれ、大甕は胴に比して口径が大きく、常滑に似たN字状口縁が多く、鎌倉中期以前の初期作ほど常滑近似が顕著で、時代が降ると幅広い縁帯の下端が頸に密着して内反り傾向を示し、小甕でも捻り返し・二重口・玉縁など口縁の意匠が多彩で、室町後期には丸胴・平底の飯胴甕〔注:飯の仕込み・保存に用いる平底小甕〕が現れます。

鉢では擂鉢が大宗を占め、大平鉢の口縁の一部を折り曲げて片口とした平底形で、鎌倉期の内面におろし目〔注:櫛目状の摩砕用刻線〕はなく、南北朝にかけて疎な櫛描き目が生じて以後、室町後期には密な交差目へと発達します;さらに南北朝〜室町期には片口小壺が増え、胴のふくらむ型と細身型があるが、備前のような大きな鳶口にはならず、室町中期以降は円筒の緒桶も出現し、初期の鬼桶水指はこの転用とみられ、室町末〜桃山には大鉢・花盤や各種茶陶が整い、肩の張った肩衝壺(いわゆる「おせんべ壺」)もこの期の信楽に特徴的です。

信楽の製作技術

周囲の山地は花崗岩帯で、使用土は蛙目粘土・木節粘土〔注:花崗岩の風化起源で石英・長石粒に富む耐火粘土〕と俗称される新第三紀〜鮮新・更新統の高耐火度粘土であり、盆地北部の黄瀬周辺は鉄分が多く石英・長石粒が少なめで焼き上がりは黒褐〜黒紫を呈し、中央の勅旨〜長野は信楽特有の赤い火色に白い長石の吹き出しが多く、東南の北新田・五位の木から伊賀領槙山にかけては長石含有が殊に多く、高火度で自然降灰と長石が混ざった青白い釉流れが出やすいのが地域差です。

成形は、壺・甕では円形底板を作り、太い紐土を巻き上げ一定高で乾かして継ぎ足す「はぎづくり」〔注:大形成形で胴を段階的に継ぐ技法〕を基本に、器面は箆削り・横撫で・上からの撫でで整え、小壺類は手轆轤(てろくろ)で水挽きし、意匠では肩に太い箆描きの檜垣文や縄目文〔注:縄状の平行刻線文〕が大中小の壺に典型的で、樹文系の退化文や稀に鳥文を箆描きする例も見られます。

焼成は丘陵斜面に壙(あな)を穿って構築する窖窯(あながま)〔注:単室または連結室の古式窯。還元〜弱酸化の幅を持つ〕を用い、従来発掘例はすべて焼成室中央に縦長の障壁で二分する双胴式で、単室窯は構造未詳ですが、筆者が調査した室町末の宮町・中井出一号窯は、幅約4mの広い壙を掘り、焼成室中央に人頭大の石を芯に詰めた障壁を築き、その上を天井で覆う長さ10mの焼成部と前後の燃焼・煙道を合わせ全長16.3mに達し、燃焼室側壁には貼石が配されるなど高火度に耐える堅固な窯体を示します。

信楽窯の変遷

平安末〜鎌倉前期には資料不足で空白が残るものの、全体は I鎌倉中〜後期、II鎌倉末〜南北朝、III室町初期、IV室町中期、V室町後期の五段階に区分でき、墓地の蔵骨器出土からみると平安末〜鎌倉前期は常滑使用例が多い一方、比叡山横川出土の経筒外容器の存在は空白が調査不十分に由来することを示唆します。

最古の墓地出土は三重県伊賀市・仏土寺の中形甕で鎌倉中期に遡り、古窯跡最古は長野地区西方の二本丸窯と、宮町地区東南端の半シ窯で、いずれも鎌倉中期の甕を産し、口作りや叩文が常滑と酷似し、信楽南北両端での並行発生を物語ります。

II期(鎌倉末〜南北朝)には応安二年(1369)墨書甕が知られ、幅広く内反る口縁帯と算盤玉形胴の広口形が典型で、この期から大壺に丸胴・長胴が併存し、檜垣文の有無も分化し、大甕のN字状口縁帯は頸に密着して内反り、擂鉢は稀に三条の粗いおろし目を示し、古窯跡は神山・北新田窯が代表で、以後室町後期まで操業が続きます。

III期(室町初期)には応永二十八年(推定)銘の中形壺があり、二重口の丸肩張り型が典型で、大壺ははぎづくり段差を明瞭に残すものが多く、窯ヶ谷窯(長野地区)の発掘が知られます;IV期(室町中期)は長禄二年(1458)墨書の擂鉢・蔵骨甕が基準で、擂鉢の目はまだ粗く、甕は胴に比して広口で口縁帯が頸に密着、壺では外反気味ながら玉縁風の口が出現し、南松尾窯(双胴式)など各群に広く分布して生産が最盛となり、長野東出窯からは短頸で締まった小壺や、目有無両様の擂鉢が出土します。

V期(室町後期)は永禄元年(1558)銘の四耳壺が基準で、肩丸・長胴・玉縁風口を備え、「永禄元年九月吉日 信楽 勅旨 染師満介作」と墨書され、中井出古窯からはこれに近い壺のほか横線文の飯胴甕・緒桶・花盤などが出土し、擂鉢は大小二種で密なおろし目が底で交差し、なお後続の桃山期窯として勅旨28号・9号窯があり、玉縁直立口の壺や胴のふくれた浅鉢、備前風口縁帯の大甕、碗・浅大鉢などが出土して、備前・丹波との技術交流をうかがわせます。


要約(300–500字)
信楽は滋賀県甲賀の山間盆地に展開した中世窯で、常滑に近い瓷器系の様式と花崗岩由来の高耐火粘土を基盤に、赤い火色に白い長石が噴く独自の景色を造り出しました。古窯は宮町から神山まで185か所(中世46か所)に及び、五つの群に集中分布します。製品は壺・甕・擂鉢が主で、室町後期に緒桶や茶陶が加わり、口作りや文様は多彩です。焼成は双胴式の窖窯が中心で、高火度に耐える構造を持ちます。変遷は鎌倉中〜後期から室町後期まで五段階に整理され、応安二年甕・長禄二年擂鉢・永禄元年四耳壺などの基準資料により、最盛の室町中期を経て桃山に至る生産の広がりと他窯との交流が確認されます。

【関連用語】  
- 火色:酸化焼成で素地が帯びる赤〜朱の発色。  
- 長石:融点の低い鉱物。溶融して白斑・流れ景となる。  
- 箆(へら):成形・表面調整に用いる木製工具。箆目は景色となる。  
- 檜垣文:斜格子を連続させた幾何学文。肩部装飾に多い。  
- 蹲(つくばい):手水用の水盤。信楽では陶製も作られた。  
- 瓷器系:中世区分で施釉を含む硬質陶器の系統。  
- はぎづくり:紐土を段階的に継いで大物を上げる成形技法。  
- 玉縁:口縁を外丸に厚く回して玉状に見せる口作り。  
- 捻り返し:口縁を外側へ反転させる成形。N字断面を生む。  
- 二重口:口縁直下に突帯や凹みを設けた二層的口作り。  
- 飯胴甕:丸胴・平底の小甕。保存・仕込みに用いる器形。  
- 蛙目粘土/木節粘土:花崗岩風化由来の高耐火粘土。石英・長石粒を含む。  
- 窖窯(あながま):斜面を掘り下げて築く古式の焼成窯。  
- 双胴式窖窯:中央障壁で二室に分けた窖窯構造。大窯に多い。  
- おろし目:擂鉢内面の櫛目刻線。摩砕機能と景色を担う。  
- 肩衝壺(おせんべ壺):肩の張る壺形。室町末〜桃山の信楽に特徴的。