わが国の窯業技術は工芸の多くと同様に中国・朝鮮からの伝来を基盤とし、室町期までは総じて未成熟であったため、茶の湯で用いる器は唐物〔注:輸入陶磁の総称〕が主流で国産は顧みられませんでしたが、織田信長(おだ のぶなが)の時代に至って嗜好が国産へ大きく転じたことは、『山上宗二記(やまのうえ そうじき)』に「当世ハ高麗茶碗・瀬戸茶碗…」と見える記事にもうかがえ、鑑賞力の変化と同時に国産技術が茶人の審美眼に耐える水準へ達したことを意味します。
この期は日本陶磁史の転回点であり、瀬戸(せと)は信長の領国という政治的近接と茶湯者との密接な往来を追い風に、他産地を凌ぐ飛躍を遂げ、窯式・技法・釉種を一挙に拡充し、従前の中国・朝鮮模倣を脱して独創的で芸術性の高い純和様を確立しました。すなわち、青瓷風の灰釉〔注:木灰を溶剤とする透明釉〕と古瀬戸天目釉〔注:鉄系黒褐釉〕に加え、瀬戸黒(せとぐろ)〔注:高温から引き出し急冷で黒を得る茶碗〕、志野焼(しのやき)〔注:長石釉・鉄絵の茶陶〕、織部焼(おりべやき)〔注:銅緑釉・自由な造形と文様の茶陶〕など新種が生まれ、装飾では鉄砂(てっさ)〔注:酸化鉄顔料〕で意匠を描く手法が初めて本格化しました。
原料面でも長石(ちょうせき)〔注:釉の骨材〕を釉薬に、鬼板(おにいた)〔注:板状の酸化鉄塊=鉄釉原料〕や銅(どう)を文様の彩料に取り入れ、成形法では轆轤(ろくろ)に加えて型づくりが考案され、焼成では熱間で鉄鉤(てつかぎ)で引き出して黒化させる引出し黒〔注:急冷還元効果を利用〕が創意されるなど、素材・成形・焼成の三位で革新が連鎖しました。
窯式の変化も画期的で、従前の地下掘込みの窖窯(あながま)〔注:横穴式単室窯〕のみから、地上に立ち上がる半窖窯(はんあながま)へと展開し、この段階で胆礬(たんばん)〔注:銅由来の緑系呈色成分〕を含む黄瀬戸(きせと)や志野・瀬戸黒が焼かれ、さらに加藤四郎左衛門景延(かとう しろうざえもん かげのぶ)が九州から伝えたとされる連房式登窯(れんぼうしき のぼりがま)〔注:多室連結の斜面窯〕が普及して織部焼の量産を可能にしました。
技術の多様化に伴い器種は爆発的に増え、茶の湯では天目形に限らず瀬戸黒・志野・織部の多様な茶碗が創出され、鉢・皿・向付(むこうづけ)など食器群も、形と文様を自在に操る織部の発達と連動して用途別に千変万化の意匠が生まれ、今日通行する器形の原型の多くがこの時期に出そろいました。
もっとも、茶事用上級品は本期を頂点に江戸初期へ入ると緩やかに衰え、岐阜県可児郡久々利(くくり)の弥七田窯・大平窯や土岐市泉町の大富窯などからは、仁清(にんせい)・乾山(けんざん)風の前段とみられる出土が多く、織部晩期の作域がやがて京都(きょうと)に完全移行し、茶の湯上級陶は尾張・美濃から姿を消していき、瀬戸は以後、御深井焼(おふけやき)〔注:尾張徳川家の御用系統、鉛釉=ビードロ釉の雑器群〕や元贇焼(げんびんやき)〔注:近世初期の鉛釉雑器の呼称と伝える〕など日常雑器の主産地へ比重を移します。
この隆盛を制度面で下支えしたのが信長の産業政策で、1563年(永禄六)の制札(せいさつ)と、1574年(天正二)に加藤市左衛門=与三兵衛景光(かとう いちざえもん/よさべえ かげみつ)へ与えた朱印状(しゅいんじょう)〔注:領主権による公認文書〕には、瀬戸物の交易・市井での売買自由、市場保護、新課税の免除、債権差押の制限、窯業経営を瀬戸に限り他所開窯を禁ずる等、厚い保護が掲げられ、経済政策と茶人・信長の美意識が重なって奨励が進みました。
永禄から慶長にかけては瀬戸工が美濃に移住する動きも目立ち、可児郡久々利の大平(おおだいら)へ与三右衛門景久(かげひさ)・伊右衛門景貞(かげさだ)、土岐郡久尻(くじり)へ与三兵衛景光・源十郎景成(かげなり)、郷ノ木(ごうのき)へ利右衛門景貞・仁兵衛景郷(かげさと)らが移りましたが、両国は古来往来が頻繁で技術系統も一体的であり、信長の版図拡大を機に瀬戸の勢いが美濃各地で花開いた結果で、むしろ美濃焼(みのやき)隆盛の基礎固めとなりました。
古田織部(ふるた おりべ)は瀬戸に最も深く関わった創意者で、意匠を与えて作らせた実例は「織部焼」の名自体が証しであり、志野を含む広義の織部系のみならず茶入にも「好み(このみ)」を与え、鉄砂による文様付与を制度化して、単純素朴から豊富多彩へと導きました。信長・利休(りきゅう)と並ぶ美的創造力の評価、ならびに窯跡調査が示す織部と瀬戸全般の密接な相関は、この時期の瀬戸像を裏づけます。
また、1563年に信長が選定したと伝える瀬戸六作(せとろくさく)〔注:名工選の伝承枠〕、1585年(天正十三)に古田織部が撰したという瀬戸十作(せとじっさく)〔注:作域・名工の伝承的選定〕も、真偽は別として、政治と芸術の両面から当時の瀬戸に与えた感化の大きさを物語る指標となっています。
要約(300〜500字)
安土・桃山期は瀬戸が模倣から独創へ転じ、瀬戸黒・志野・織部などの新類と鉄砂装飾、長石釉・鬼板・銅の導入、型づくりや引出し黒の創意、窖窯から半窖窯・連房式登窯への進化で、茶陶から食器群までの器形と意匠を飛躍的に多様化させた画期でした。信長の制札・朱印状は交易自由・課税免除・市場保護・他所開窯の禁止などで窯業を厚く保護し、古田織部は意匠と文様法を体系化して広義の織部系を牽引しました。やがて上級茶陶は京都へ移り、瀬戸は御深井焼・元贇焼など日常雑器へ比重を移しますが、同時期の瀬戸工の美濃移住は技術の共振を強め、美濃焼隆盛の土台を築きました。
【関連用語】
- 瀬戸黒(せとぐろ):高温から引き出して黒化させた茶碗。強い黒と釉裂が魅力。
- 志野焼(しのやき):長石釉に鉄絵、火色(緋色)が出る美濃系茶陶。
- 織部焼(おりべやき):銅緑釉と大胆な造形・文様を特徴とする茶陶群。
- 鉄砂(てっさ):酸化鉄顔料。茶陶の鉄絵・文様描画に用いた。
- 鬼板(おにいた):板状の酸化鉄塊。鉄釉・鉄絵の主要原料。
- 連房式登窯(れんぼうしき のぼりがま):多室連結の斜面窯。大量焼成と温度管理に優れる。
- 引出し黒(ひきだしぐろ):焼成中に器を引き出し急冷・還元で黒発色させる技法。
- 窖窯/半窖窯(あながま/はんあながま):地下横穴式単室窯と、その地上化移行形。
- 御深井焼(おふけやき):尾張徳川家ゆかりの鉛釉(ビードロ釉)雑器群。
- 瀬戸六作・瀬戸十作:信長・古田織部撰と伝える名工・作域の選定枠。
- 朱印状(しゅいんじょう)・制札(せいさつ):領主権による保護・規制を明示する公文。
- 古田織部(ふるた おりべ):大名茶人。織部系意匠の主導者。
- 山上宗二記(やまのうえ そうじき):茶書。当世の茶碗評価を記す史料。
- 与三兵衛景光(よさべえ かげみつ):信長朱印状の宛所に見える瀬戸の陶工。
- 美濃焼(みのやき):桃山に隆盛した東濃の陶磁群。瀬戸との技術系譜が密接。

 
  
  
  
  