中世の山茶碗窯は、前代の灰釉陶器が及んだ範囲をこえて分布し、旧来地域だけでも古窯跡が五百六十基確認され、破壊例を含めれば全域で八百基超と推定されます。
製品は碗・皿中心ですが、初期には前代系譜の広口瓶や大形短頸壺も焼かれ、擂鉢(すりばち)は厚底の深鉢形から高台付きの大平鉢へ移行し、碗・皿と並行して各窯で量産されました。
一方で常滑風の壺・甕(かめ)を少量ながら焼いた窯もあり、西端の東山地区では仏器・瓦・四耳壺〔注:中国宋代青磁を写した意匠の一型〕など多彩な器種が作られ、地区ごとの生産内容は一様ではありません。
前代に灰釉陶の中核で官窯的性格〔注:国衙(こくが)に直属または密着した公的生産〕を帯びた黒笹(くろざさ)地区は、山茶碗化後に碗・皿・鉢の単純生産へと収斂しましたが、東山では「工政所」銘の碗の出土や、宋磁を模す四耳壺、東山105号窯の新奇な器面装飾など、上層需要と結ぶ敏感な試作がみられます。
こうした官的・上層的需要の受け皿はやがて瀬戸へ移行し、古瀬戸〔注:鎌倉後期以降の瀬戸の本格施釉陶〕確立後の東山窯は急速に衰退し、東方の猿投各地区も鎌倉末までにほぼ廃絶へ向かいました。
要約(300–500字)
猿投の山茶碗窯は広域に展開し、碗・皿を基本にしつつ前代の瓶・壺や擂鉢の形態更新も併行しました。地区間の個性は強く、西端の東山は仏器・瓦・四耳壺など器種が多彩で、宋磁模倣や新装飾を試みるなど、官的・寺社的需要に呼応する実験性が顕著でした。対照的に、かつて官窯的中核だった黒笹は山茶碗の単純量産に特化し、上層向けの高級施釉陶の中心は次第に瀬戸へと移管されます。その結果、古瀬戸成立後は東山を含む猿投諸窯が衰退し、鎌倉末にはほぼ生産を終えました。
【関連用語】
- 瀬戸:中世の高級施釉陶の中心地として台頭。
- 常滑・渥美・猿投:中世古窯圏。地域別分業で器種を分担。
- 灰釉:中世初期の主流釉。のち山茶碗化で無釉が広がる。
- 美濃:後世、瀬戸と並ぶ中核産地へ発展。

