2026-02

佐圓系 大川内窯

耐火煉瓦の製作~鷺脚

【原文】耐火煉瓦の製作 而して鋳造用の基礎をなす、耐火煉瓦の製作が、此大川内窯に於て製作されしことは、當時に於て最偉とせねばならぬ。是より先伊豆韮山に於いて、小形ながら大砲をせし時に用ひし煉瓦は、如何なるものなりしかは識らざるも、其後安政元...
佐圓系 大川内窯

青磁の貴重~勇七の獅子

【原文】青磁の貴重 往時青磁の貴重されしことは、唐代に於いて刑瓷(白磁)は銀に類し、越瓷(青磁)は玉に類すと稱せられ、我が王朝時代に於いても陶器(くろ物)は朱漆器に相當されしが、瓷器(青磁)に至つては銀器に代用されたのである。而して鍋島青磁...
佐圓系 大川内窯

縮緬肌~七官手青磁

【原文】縮緬肌 鍋島焼の素地に、縮緬肌と稱するのがある。それは釉薬の派手なる光澤を止め、地肌の發色を頗る重厚に焼き上げしものにて、之は焼きにくい有田泉山の原料にあらざれば出来ぬ色相である。而して此色合までに、器物を焼き抜ぐことは非常の難事に...
佐圓系 大川内窯

藩窯の原料精選~藩窯の技巧品

【原文】藩窯の原料精選 此製造原料は、有田泉山の磁石中なる、御用坑と稱する特等石に、僅少の山石を調節したるものであつた。其外一切の材料は、精選に精選を重ねて使用し、且優秀なる工人のみを選択し、全く採算を度外視して、ひたすら製品も精巧を期せし...
佐圓系 大川内窯

光茂の奨勵嚴令~綱茂の繪畫

【原文】光茂の奨勵嚴令 其子丹後守光茂二代を嗣ぐや彼は大いに藩窯を獎勵し、左の如き手頭(指命書)を以て嚴命を下した。蓋し初期より二三期間の鍋島焼も、精品の製作に煽る苦心せしもの如く、又屢々失敗を重ねしこさが、歴然として本書に現はれてゐる。(...
佐圓系 大川内窯

鍋島藩窯の始~大川内御細工屋

【原文】鍋島藩窯の始 鍋島藩用の焼物は、是迄南川原山の重なる窯焼へ用命せしが、有田の副田喜左工門事、勝れたる窯焼なる由、佐嘉表へ聞こへしかば、寛永五年(1628年前)初代藩主信濃守勝茂は、命じて喜工門を御陶器方主任となし、茲に始めて鍋島藩の...
佐圓系 大川内窯

清元さん~副田喜左衛門

【原文】清元さん 此隣に祀られてある清元さんとは、元来如何なる者なるか詳ならねど、(李參平のに東の原清元内云々がある)清元、又清玩或は單に玩の一字を銘せし立派な染附磁器が、南川原を始め、外尾や黒牟田方面に見ることが少なくない。もしや此ぐわん...
佐圓系 大川内窯

藤野川内説~三本柳

【原文】藤野川内説 従来の史に從へば、藩は此金立の韓人陶工等を、松浦郡の藤野川内(元唐津領後鍋島領に属す、今西松浦郡松浦村山形の大字)に移轉せしめしいふのであつた。蓋し此地は秀吉の命にて名護屋陶窯の司たりし家永彦三郎の次子庄右工門が、高木瀬...
佐圓系 大川内窯

九山道清~成富彌六兵衛

【原文】九山道清 此際多くの韓人達は、日本軍の爲めに道案内をなし、或は糧秣の補給、其他の便宜を奥へしものなるが、蓋し自ら好んで成せしにあらず、多くは我軍に威嚇されて、止むを得ず其額使に従ひしものであらう。此時佐嘉へ歸化せし韓人中には醫道に造...
佐圓系 大川内窯

御用唐人町荒物唐物屋職御由緒之次第左の通

【原文】御用唐人町荒物唐物屋職御由緒之次第左の通一元祖宗教儀(姓は達名は越字は宗吉州刺史賢の子半弓を能す)高麗國竹浦の陸川崎と申所の産に而文を學武を練(大明萬曆十五年「我天正十五年」)春三月中旬家族を引率し海濱に遊漁す俄に大風高波起り立漁船...
佐圓系 大川内窯

佐賀系 大川内窯

【原文】佐賀系 大川内窯唐人町 戦役の際、我鍋島軍に従ひ来りし韓人の一團にして、佐嘉城下に来りし者百八十人と云ひ、或はたゞの三十人といはれ、其確數に於いては誰ならざるも、今の佐賀驛通りの土橋附近が、其住居の遺跡なりしが如く、今に唐人町なる名...
伊万里系 南川原窯

時代品模造に就て~超柿右衛門式

【原文】時代品模造に就て 然れども近代の製作者が、時代を離れて二百年や三百年以前の作品を、其時相應に眞寫し得ることは、非凡の名工にあらざれば不可能事である。如何に巧妙にイミテートせしものも、精密に吟味する専門鑑定の照魔鏡に映されては、結局偽...
伊万里系 南川原窯

忠藏の辯論~善門谷

【原文】忠藏の辯論 忠藏は豊後杵築藩の御用釜とてやゝ學識あり、且頗る能辯であつた。彼は皿山代官へ面接を乞ひ内山側の理不盡なるを論難するや條理整然滔々として盡きるところがない。代官叱咤して言ふ、汝余りに長廣舌なり、止めずんば一刀に切捨てんと威...
伊万里系 南川原窯

柿右衛門邸の碑文~樋口利三郎

【原文】柿右衛門邸の碑文 酒井田邸内に初代柿右工門の胸碑があり、其碑銘の中に左の文がある。酒井田柿右工門陶碑銘窮通之無端猶環也、生而窮、死而大通者、吾於酒井田柿右衛門見之。肥前陶器吳洲燒、邃創始於天正年間云、肥前國曲川村南河原之地爲根基矣。...
伊万里系 南川原窯

優秀陶家へ藩用を命ず~角福銘侵害事件

【原文】優秀陶家へ藩用を命ず 鍋島宗藩の御細工屋が有田の岩谷川内にありし時も、なほ傍らに南川原の窯焼中抜群の者へは、折々製品を用命せしものにて、當時優れ陶家は南川原に多かりしが如くそれは柿右工門を始め、徳永常光、中野徳兵衛な其重なる者であっ...
伊万里系 南川原窯

支那に於ける柿右衛門焼~三代柿より本藩へ差出文書

【原文】支那に於ける柿右衛門焼 柿右工門の陶技は、彌々圓熟の境に達したのである。之まで韓人の手に依って、消極的製作に従事せし陶業が、今や一博して、當時不可能とされし白磁に成功し、其上に抜群なる赤繪まで施されし柿右工門の作品は、世界焼物の代表...