伊万里系 南川原窯

伊万里系 南川原窯

時代品模造に就て~超柿右衛門式

【原文】時代品模造に就て 然れども近代の製作者が、時代を離れて二百年や三百年以前の作品を、其時相應に眞寫し得ることは、非凡の名工にあらざれば不可能事である。如何に巧妙にイミテートせしものも、精密に吟味する専門鑑定の照魔鏡に映されては、結局偽...
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忠藏の辯論~善門谷

【原文】忠藏の辯論 忠藏は豊後杵築藩の御用釜とてやゝ學識あり、且頗る能辯であつた。彼は皿山代官へ面接を乞ひ内山側の理不盡なるを論難するや條理整然滔々として盡きるところがない。代官叱咤して言ふ、汝余りに長廣舌なり、止めずんば一刀に切捨てんと威...
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柿右衛門邸の碑文~樋口利三郎

【原文】柿右衛門邸の碑文 酒井田邸内に初代柿右工門の胸碑があり、其碑銘の中に左の文がある。酒井田柿右工門陶碑銘窮通之無端猶環也、生而窮、死而大通者、吾於酒井田柿右衛門見之。肥前陶器吳洲燒、邃創始於天正年間云、肥前國曲川村南河原之地爲根基矣。...
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優秀陶家へ藩用を命ず~角福銘侵害事件

【原文】優秀陶家へ藩用を命ず 鍋島宗藩の御細工屋が有田の岩谷川内にありし時も、なほ傍らに南川原の窯焼中抜群の者へは、折々製品を用命せしものにて、當時優れ陶家は南川原に多かりしが如くそれは柿右工門を始め、徳永常光、中野徳兵衛な其重なる者であっ...
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支那に於ける柿右衛門焼~三代柿より本藩へ差出文書

【原文】支那に於ける柿右衛門焼 柿右工門の陶技は、彌々圓熟の境に達したのである。之まで韓人の手に依って、消極的製作に従事せし陶業が、今や一博して、當時不可能とされし白磁に成功し、其上に抜群なる赤繪まで施されし柿右工門の作品は、世界焼物の代表...
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支那赤繪の起原~有田の赤繪屋

【原文】支那赤繪の起原 抑陶器の上繪附法は、古く唐宋時代より創始されしも、當時彩色の種類としては、赤と黒となりしが如く、元代の景徳鎮に於いて、始めて戧金五彩花の文字があり。而してそれが完成せられしは明代にて、永樂の五彩、宣徳の青花させられた...
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濁し手製造~泉山の原石使用許可

【原文】濁し手製造 此外に往年柿右工門邸の前面に、南京焼と稱して美事なる濁し手を焼き居りし由なるも、今其邊は人家や畑地となりて、遺跡は全く湮滅に歸してゐる。察するに當時柿右工門の貿易盛んなりし頃、別に此處に築窯して製造せしと見られぬこともな...
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南川原方面の古窯~無患子谷

【原文】南川原方面の古窯 次は川向ひなる南川原方面にて、其古窯趾には清六窯一、清六窯二、清六窯三、小物成、天神の森上窯、天神の森下窯、窯の辻、柿右工門古窯、柿右工門上の窯、樋口の窯、天目山源左工門林、太右エ門窯 無患子谷等がある。 亂れ橋の...
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梶原忠藏~小溝右窯

【原文】梶原忠藏 當山の窯焼頭なる梶原忠臓は、宗藩の許可を得て、豊後國杵築(速見郡)の藩主松平家(三萬二千石)の、藩用品を製作せし優秀の陶家であつた。今其子孫に、當時の御用表札が三枚保存されてゐるが、長さ二尺二寸巾が五寸あり、表面には献上壺...
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頓六さん~黒牟田の大鉢

【原文】頓六さん 黒牟田の一小丘には、頓六さんと稱して高麗神を祀ってあるが、此韓人は此の製陶者中第一の貢献者なりしと見へ、麓の小字まで頓六といふ地名を以て呼ばれてゐる。而して慶長年間(1596-1615年)巨闘と共に、平戸へ上陸せし韓人陶工...
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廣瀬の小森谷~韓人最初の来朝期

【原文】廣瀬の小森谷 最初二の瀬に来りし韓人の一行は、別れて廣瀬の山の口なる小森谷に開窯せしといはれてゐる。此處は今俗に要左エ門山といへる杉の木谷にて、今に多くの破片が轉がつてゐる。それは例の灰色釉や飴釉の中に、白化粧を施せる茶碗などで、何...
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伊萬里系 南川原窯~甘酒と生團子

【原文】伊萬里系 南川原窯伊萬里灣 西松浦郡の伊萬里沿岸は、九州西北部の一端にて、古代大陸民族の渡せし、土地なることは、其地理的にも考察さるゝところである今遺跡として東山代村の日尾崎と、西山代村の波瀬の小島には、高句麗式の横穴古墳があり、そ...