唐津系 椎の峯窯

唐津系 椎の峯窯

茶器に酔ふ~本場の高麗味

【原文】茶器に酔ふ 由來茶に酔ふ者はあらざるも、茶人は齊しく茶器に酔ふものである。故に白磁に於いては厭はるゝ斑点さへ其窯技の失敗が、陶器に至つては却つて珍重に値さるゝ得がある。是等の窯物は本場丈けに支那製には科擧的優品多く、且又之に巧妙なる...
唐津系 椎の峯窯

奥高麗~保護一貫せず

【原文】奥高麗 奥高麗といへるは。當時渡來の高麗燒なるものが釜山の草梁鎮邊の作品多かるも、此手はもつと朝鮮奥地の作を模造せしものとの見地より奥高麗と稱せるものにて、文明年間より天明まで其頃點茶盛んに行はれし時代の作品である。陶膚稍密にして釉...
唐津系 椎の峯窯

焼山上窯~値抜け

【原文】焼山上窯 次に川原を過ぎて焼山上窯(此邊戸數十四五戸あり)を探れば、奮縣道より堤塘を辿二丁斗りの谷間に上りて、松の切株の間に窯趾の破片が轉がつてゐる。それは飴釉にて突底形六寸の深鉢や、灰色釉の茶碗又は同釉にて濃茶釉流掛けの茶碗があり...
唐津系 椎の峯窯

畑島の窯の谷~一若の阿蘭陀墓

【原文】畑島の窯の谷 畑島は元波多の家臣畑島主膳之政(四百石)の采邑にて、此處の古窯趾は鬼塚驛より一里西方の山麓なる水車小屋の右手より分け入る窯の谷といふ山林である。朽葉を漁れば窯具の中より稀に見出すものに、白琺瑯釉小氷裂の破片があり、或は...
唐津系 椎の峯窯

佛の谷~高麗餅

【原文】佛の谷 椎の峯の古窯には、上多々良の佛の谷、中多々良の中村、下多々良の菰谷及び古椎新窯の四ヶ處がある。佛の谷は一番奥なる山畑にて兩脇が谷間となり、全く謎へ向の築窯丘と勾配の地勢をなしてゐる。此處の古窯品は皆糸切底にて施釉薄さも地質は...
唐津系 椎の峯窯

唐津焼の各原料~人別帳除き

【原文】唐津焼の各原料 是より記事はまた元に帰る、偖從來唐津焼原料の粘土は専ら鐵分多きもののみであつた。其使用さる重なる原料としては、有浦村の牟形の土(青小米白)名護屋村の加部島の土(白)北波多村徳須恵の稗田の土(赤)同野村山彥の土(白)相...
唐津系 椎の峯窯

白紋雲鶴~中野霓林

【原文】白紋雲鶴 壹岐守忠知は豊後國杵築及吉田を領し、其子長矩の代より長祜、長庸まで遠州掛川六萬石を食み、長恭の代より奥州棚倉六萬石に移封された。長昌は領地に於いて製陶を督せし経験あるを以て頗る斯道を獎勵し、そして御茶碗窯に於いて、高麗を模...
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岳野山~小笠原長昌代る

【原文】岳野山 岳野山は此處の向ひ合せにて、古窯品は牟田の原と相似たるも概して口物を焼きしもゝの如く、それ等の種類には褐色地にて線彫文様の八寸の壺や、黒天目にて大胴形五寸の花瓶及茶褐色釉に鐵釉飛点ある同形の花瓶があり。又黒天目涙痕にて大胴形...
唐津系 椎の峯窯

阿房の谷~牟田の原

【原文】阿房の谷 藤の川内は戸數五十七戸の山間地にて、此處には阿房の谷と阿房谷下の芽の谷との古窯趾がある。茅の谷の背山を登りて五六丁、堤れば笠椎路の左方に阿房の谷の窯趾がある。殘缺には灰色釉の隅折四角皿に、鐵猫にて稚拙なるの如きものを描きし...
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肥前瓦の條~堅高の陶業奨勵

【原文】肥前瓦の條 肥前丸の條には、天正十九年名護屋天守瓦注文に預り、小川惣右工門小城郡江津にて之を焼き、文祿元年正月名護屋城普請奉行蒔田十之助より天守閣普請の総代を命ぜられ、其竣工の速かなりし賞として、九州九ヶ國家造を進達すべき旨秀吉の朱...
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波多鎭の相續~川原屋敷

【原文】波多鎭の相續 斯くて鬼子嶽城は有馬の藤重丸を迎へて後嗣となし、太郎二郎鎮と稱せしが後三河守と改めたのである。然るに鎮は嚮きに已れが相續に反對せし波多家の同族を膺懲せんと欲し、大川野(西松浦郡大川村)日在の城主鶴田勝を攻めたるも、鎮敗...
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鬼子嶽窯~大和を毒殺す

【原文】鬼子嶽窯 持は前記小次郎官者の子孫を招き、鬼子嶽城下の山中なる飯洞甕(北波多村鮎歸)に於て開窯せしめしとの説があり、又此折韓土の陶工渡來せしさの口碑あるも詳でない。そして後年此飯洞甕にありし一部の陶工を古椎(南波多村椎の峯の舊名)に...
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唐津焼 椎の峯窯~波多持

【原文】唐津焼 椎の峯窯 神代に天日槍の歸化ありて、其時從へる者近江の鏡谷製陶せし由傳へらるゝも、太古の事蹟は茫漠として定むるに由なく、故に我邦に於ける韓系の製陶として最古の歴史を有するものは、肥前國上松浦の唐津焼を以て始祖とすべきである。...