【原文】[Original text]
時代品模造に就て
然れども近代の製作者が、時代を離れて二百年や三百年以前の作品を、其時相應に眞寫し得ることは、非凡の名工にあらざれば不可能事である。如何に巧妙にイミテートせしものも、精密に吟味する専門鑑定の照魔鏡に映されては、結局偽りの舌を吐くの外なく、矢張寛永は寛永、元祿は元祿、天保は天保、明治は明治の氣分が現れて居るさいふのである。
名工の氣分
それは昔の儘の作ゆきと、釉膚の味と、模様の古雅さを渇望して造らしめ、たさひ彩色や細工まで、巧に模倣し得たりとしても、材料から来る味の感覚と、當時の名工の氣分が、なかなか現はれるものではないといはれてゐる。是には一面、其器の生れし時代の雰圍氣が、影響することを考察すべき必要があらう。
昭和の現代人に、寛永や、元祿の気分と成って製作せよと求むるは、次に生るる自分の子供に、祖先の魂共儘たれさ、強要すると同一にて、系統上容貌のみは相似るとしても、其性質まで全く移すことは不可能であらう。況んや親子や同腹の兄弟間でさへ、氣質が異るのみでなく、容貌や體格まで全然相違するものが少なくない。
造化の原則
造化の神は、決して同一の物を造らざりしが如く、若し人間が全く同一物に生れたとすれば、我子と他人の子と、又我妻と他人の妻とを、取遠へる混雑が生じて来る。故に相似る程度に止めて、全くは相同じからざる事にせしものであらうと思はれる。 進歩は永遠無窮(或者は轉無窮ならん)と稱するも、同一物の二つ有ることは、其の無窮を止むる不進歩の表現にして、同一物の生れざることが、則ち進歩の原則であり、又生産物にする眞理であらう。
時代錯誤
然るに後代に於いて、無理に同一品の造に努力しても、結果は現代人の五分刈の頭に、昔の兜を据ゆる困難と不調和な釣合となる。彼の古製の錦地磁器に、現代人の氣分が注溢する後附物を見るとき、それは恰も甲冑着たる時代行列者が、シガレットを咥へ行くと一般にて、其の余りに時代錯誤をせざるを得ないであらう。
超柿右衛門式
要するに先人の優秀なる構圖は飽までも尊重して之を應用すべきものなるも、其創作の観念形態を掴むこと不可能なれば、新人は先づ自己を発見し、自らの個性に依って、新機軸を創作することが賢明の策であり、そして其研鑽の結果は、茲に新たなるウルトラ柿右工門式の創作されんことを切望して止まぬ次第である。
【現代語訳】[Modern Japanese translation]
時代ものの完全な模造について。
近代の作り手が、二百年三百年前の作品を、その時代相応に完全再現するのは、よほどの名工でも難しい。どれほど巧妙に写しても、専門鑑定という鏡にかければ嘘は露見する。結局、寛永は寛永、元禄は元禄、天保は天保、明治は明治という、その時代の空気が表れてしまう。
名工の「気分」について。
当時の作行き、釉の肌合い、文様の古雅さを渇望して、彩色や細工まで巧みに真似たとしても、素材が持つ味わいの感覚や、その時代の名工の気分は容易に再現できない。器が生まれた時代の雰囲気が作用することを考えるべきだ。昭和の人に寛永や元禄の気分で作れと求めるのは、生まれてくる子に先祖そのままの魂であれと強いるようなものだ。容貌は似ても、性質まで移すことはできない。親子や兄弟でも気質や体格まで同じとは限らない。
造化の原則について。
自然は同じものを二つと作らない。もし人が全く同一に生まれたら、わが子と他人の子、わが妻と他人の妻の区別すら混乱する。だから「似て非なる」程度にとどめるのだ。進歩は無窮だというが、同一のものが二つあるのは停滞の表れであり、同一のものが生まれないことこそ進歩の原則であり、生産物の真理でもある。
時代錯誤について。
後世に無理やり同じ品を作ろうとすれば、現代の五分刈りに古い兜を載せるような不調和になる。古い錦地磁器に現代の気分を足した後補を見ると、甲冑姿で行列しながら煙草をくわえるのに等しく、どうしても時代錯誤は避けられない。
「超・柿右衛門式」について。
先人の優れた構図は尊重し活用すべきだが、その創作の核心まで掴めない以上、新しい作り手はまず自分を見出し、個性で新機軸を打ち立てるのが賢明だ。その研鑽の果てに、「ウルトラ柿右衛門」とも言うべき新たな様式が生まれることを切に望む。
【英語訳】[English translation]
On reproducing period works.
For modern makers, faithfully recreating works from two or three centuries ago is nearly impossible unless one is an extraordinary master. However clever the imitation, expert scrutiny exposes it: Kan’ei looks like Kan’ei, Genroku like Genroku, Tenpō like Tenpō, Meiji like Meiji—the spirit of each era shows through.
On the “temperament” of masters.
Even if one yearns for the old workmanship, glaze texture, and archaic motifs and mimics color and craft with skill, the sensory flavor of the materials and the masters’ ethos of that time will not readily appear. The atmosphere of the era in which a vessel was born exerts influence. Asking a Shōwa craftsman to create in a Kan’ei or Genroku mood is like forcing one’s child to bear an ancestor’s very soul—features may resemble, character will not.
On nature’s principle.
Nature does not make duplicates. If people were born identical, we could not keep apart our own child from another’s, our spouse from another’s. Thus things are allowed to “resemble yet differ.” Progress is unending; two identical things signal stasis. That nothing is born identical is the very principle of progress and a truth of production.
On anachronism.
Striving to make the same object in a later age yields discord—like setting an old war-helmet on a modern crew cut. A later overpainting on old brocaded porcelain that overflows with modern feeling is akin to a costumed marcher in armor chewing a cigarette: unavoidably anachronistic.
Toward a “beyond-Kakiemon” style.
Honor and apply classic compositions, but since the core conception cannot be wholly seized, the new maker should first find the self and, by personal character, open new ground. Through such study may arise a fresh, ultra-Kakiemon mode.
【中国語訳(現代語訳から簡体字)】[Chinese Simplified from Japanese]
关于仿制时代作品。
近代匠人想把两三百年前的器物按当时水平“复刻”,非绝顶名手几乎不能。再巧的仿作,经专家细审也会露馅;终究各时代自有气息——寛永是寛永,元禄是元禄,天保是天保,明治是明治。
关于名工的“气分”。
即使渴望旧时的作法、釉肌、古雅纹样,连彩绘与工细也能巧仿,材料带来的味感与当时名工的气分却难再现。器物诞生的时代氛围必定作用其上。要昭和之人以寛永、元禄的心境创作,如逼子女承祖魂一般;相貌或似,性格难同。亲子兄弟亦常气质体格各异。
关于造化原则。
自然不造重复之物。若人皆全同,亲疏不分,伦常尽乱。故“似而不同”乃其度。所谓进步无穷;若有两个全同之物,正是停滞。无同物之生,乃进步之则,亦为生产之理。
关于时代错位。
强作同样之品,结果是给现代平头戴古兜之不调。古锦地瓷上加现代气分的后补,如披甲行列者叼烟般,不免时代错乱。
关于“超·柿右卫门式”。
应尊重并活用先贤构图,但既难把握其创作之核心,新人当先发现自我,以个性开新局。愿由此研修,诞生崭新的“乌尔特拉柿右卫门”。
【中国語訳(現代語訳から繁體字)】[Chinese Traditional from Japanese]
關於仿製時代作品。
近代匠人要把兩三百年前的器物依當時水準重現,非絕頂名手幾不可得。再巧之仿,經專家細審亦露破綻;終究各時代自具氣息——寛永是寛永,元祿是元祿,天保是天保,明治是明治。
關於名工的「氣分」。
即使渴望舊時作法、釉肌、古雅紋樣,連彩繪與工細皆能巧仿,材料所帶之味感與名工當年的氣分仍難復現。器物所生之時代氛圍必然影響其上。要昭和之人以寛永、元祿心境創作,如逼子女承祖魂;相貌或似,性情難同。親子兄弟亦常氣質體格各異。
關於造化原則。
自然不造重複之物。若人皆全同,親疏難辨,倫常雜亂。故「似而不同」為其度。所謂進步無窮;若有兩個完全相同者,正表停滯。無同物之生,即進步之則,亦為生產品之理。
關於時代錯置。
強作同樣之品,猶如以古兜配現代平頭之不調。於古錦地瓷上加現代氣分之後補,若披甲行列者叼菸,一樣難免時代錯置。
關於「超‧柿右衛門式」。
應尊重並活用先賢構圖,但既難握其創作核心,新人當先見自我,以個性開新局。願由此研鑽,生出全新的「Ultra柿右衛門」。
【中国語訳(英語から簡体字)】[Chinese Simplified from English]
关于复刻。
现代人几乎不可能完全重现两三百年前的器物;专家鉴定终会看出端倪,各时代自有时代感。
关于“名家气质”。
仿作可及工与彩,难及材料之味与当年的匠心;器物受其所生时代氛围所塑。让昭和匠人以寛永心境创作,如逼子承祖魂,形似而神难似。
关于自然法则。
自然不造重复。两件完全相同意味着停滞;“不相同”本身是进步之理。
关于时代错位。
后世强作同物,终致不调,如 crew cut 戴古兜;古瓷上添现代气息,恰似披甲者叼烟。
关于“超·柿右卫门”。
敬用古构图,但以自我个性开新局;期由此生出“超越柿右卫门”的新样式。
【中国語訳(英語から繁體字)】[Chinese Traditional from English]
關於復刻。
現代匠人幾難全然重現兩三百年前之器;專業鑑定終能識破,各時代自具時代感。
關於「名家氣質」。
工藝與彩繪可仿,材料之味與當年匠心難摹;器物受其所生時代氛圍所塑。令昭和匠人以寛永心境創作,如逼子承祖魂,形似而神難似。
關於自然法則。
自然不造重複。兩件全同意味停滯;「不相同」即進步之理。
關於時代錯置。
後世強作同物終致不調,如平頭戴古兜;古瓷上添現代氣息,如披甲者叼菸。
關於「超‧柿右衛門」。
敬用古構圖,更以自我個性開新局;盼由此孕生「超越柿右衛門」之新樣式。

