大村系 波佐見窯

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近藤憲一~太田工場の研究

【原文】近藤憲一 目下所長近藤憲一(瀬戸の人)の外技手一名、助手一名、職工一名を擁し、講習所を開催して意匠、圖案配布、新種製品、考案幇助、石膏型製作配布、窯道具製造配給等を行ひつゝある。此全豫算七千二百三拾圓にて、所長希望の三分一の額にもせ...
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現在の稗木場山~窯業指導所

【原文】現在の稗木場山 此處の製品も、食器類殊に茶潰茶碗を主として製造され、斯業頗る活気を呈してゐる。然も行通頗る便利にして、三河内驛より一里の道程にあり、近來又道路改築され定期のタキシーは、同驛より内海、中尾方面へ往復しつゝある。好況時代...
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中尾山製産額の地位~松尾慶太郎

【原文】中尾庄右衛門尉 按するに、此中尾庄右工門尉は、代々此處の支配者たりし邑主の後裔にて、中尾山の開山に盡瘁せし一人を見る可く、彼は正保二年七月十三日(1616年)行年六十有餘にして卒去し、墓碑は寺屋敷の墓地にあるが、二段臺石の上に、珍ら...
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中尾庄右衛門尉~武村萬次郎の銅板轉寫

【原文】中尾庄右衛門尉 按するに、此中尾庄右工門尉は、代々此處の支配者たりし邑主の後裔にて、中尾山の開山に盡瘁せし一人を見る可く、彼は正保二年七月十三日(1616年)行年六十有餘にして卒去し、墓碑は寺屋敷の墓地にあるが、二段臺石の上に、珍ら...
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製陶系の本家争ひ~廣川原

【原文】製陶系の本家争ひ 一体此本家争ひなるものは正確なる文献があり、なほそれを現實と對照して推極せし上にあらざれば、決定すること不可能であるが、考究の材料に乏しき陶山に於いては、ただ口碑と推測の理由に依る外ない。それが長き星霜を經る間に、...
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三の股皿山役所~皿屋谷と波佐見青磁

【原文】三の股皿山役所 皿山役所は三の股山にありて三皿山の中央部に當る地位であつた。此の役所趾には今の永尾山へ行く廣き村道が走ってゐる。當時此役所は製陶一切の獎勵監督の外、製造材料の如きも仕入れ置きて、窯焼へ配給せしもの如く買入につき左の如...
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波佐見皿山役所~三の股職人の賃錢極

【原文】波佐見皿山役所 寛文五年(1665年)藩主大村因幡守純長は、皿山役所を三の股に設け、當時押役として岩永七郎右工門勤務することゝなり、其下に皿山取締として三の股山、中尾山、永尾山又稗木場山へ役人を配置せしが、後に押役は皿山奉行と改め、...
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耶蘇宗門の繁昌~三の股石

【原文】耶蘇宗門の繁昌 此領主純忠と、邑主長崎純景この切支丹信奉は、更に此地方民の信仰に拍車を加ふるに至り、賓性寺を始め許多の大小寺を建立すると同時に、従来の神社佛閣は悉く破壊さるゝに至つたのである。而して嘉前の時代に至り、斯くては將來如何...
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大村系 波佐見窯~純忠の洗禮

【原文】大村系 波佐見窯朝鮮の役、島原の有馬晴信は二千人を率ゐ、大村の大村嘉前は一千人を率ゐて、松浦鎮信、五島盛季(五島福江城主)等と共に行長の第一軍に属し、奮闘苦戦を経て歸陣したのである。元來有馬氏と大村氏とは同族より分系せしものにて、藤...