2025-12

大村系 波佐見窯

耶蘇宗門の繁昌~三の股石

【原文】耶蘇宗門の繁昌 此領主純忠と、邑主長崎純景この切支丹信奉は、更に此地方民の信仰に拍車を加ふるに至り、賓性寺を始め許多の大小寺を建立すると同時に、従来の神社佛閣は悉く破壊さるゝに至つたのである。而して嘉前の時代に至り、斯くては將來如何...
大村系 波佐見窯

大村系 波佐見窯~純忠の洗禮

【原文】大村系 波佐見窯朝鮮の役、島原の有馬晴信は二千人を率ゐ、大村の大村嘉前は一千人を率ゐて、松浦鎮信、五島盛季(五島福江城主)等と共に行長の第一軍に属し、奮闘苦戦を経て歸陣したのである。元來有馬氏と大村氏とは同族より分系せしものにて、藤...
平戸系 三河内窯

木原茶出し~三山中第一の生産額

【原文】木原茶出し 而して磁器に轉換されし木原窯も火口アンコ丈は永年陶器を焼きものゝ如く、それは多く青藥を掛けし土瓶であり、之が俗にいふ木原茶出しである。明治十年頃より型打染附の模樣法行はれ、茶漬茶碗や小ぶく茶碗、及菊の煎茶々碗等、重に下手...
平戸系 三河内窯

猫山~三河内焼に就て

【原文】猫山 東彼杵郡の日宇は、元松浦常の日宇出羽守勝の領地にて、後平戸松浦氏の支配地となり現在は佐世保市内に編入されてゐる。 此處の日宇驛より東方一里許り上手にて、二十戸程の農家疎らなる山間に、猫山焼の古窯趾がある。此地元藤原と稱せしなり...
平戸系 三河内窯

吉の元~小山田と横石

【原文】吉の元 吉の元の古窯品には、前記の如く飴釉薄青茶釉或は鶯茶釉等の小皿があり、又七八寸の大皿がある。何れも高臺無釉にて形頗る小さく、中に小皿の如きは、徑五分位のものさへある。又大皿の一ヶ所乃至二ヶ所が、割高臺に成つてゐるのは、底部への...
平戸系 三河内窯

陶磁器意匠傳習所~原明の窯の谷

【原文】陶磁器意匠傳習所 明治三十三年豊島政治は里見政七、中里利一、今村虎之助、中里巳午太等と計り、際費の補助を得て、陶磁器意匠傳習所を開設し、陶畫と製型の二實科を教科目とした。そし夏季休暇を利用して、東京より島田佳矣を、有田より徳見知敬を...
平戸系 三河内窯

池田安次郎~池田直之助

【原文】池田安次郎 豫て和蘭人向の珈琲器につき、研究しつゝある池田安郎は、天保八年(1838年)に至り純白なる地質にして、紙の如き薄手物を製作することに成功したのである。如猿を祀る 天保十三年(1843年)三月九日付を以て、藩主松浦煕は、左...
平戸系 三河内窯

瀬戸の陶家制度~甲子夜話の一節

【原文】瀬戸の陶家制度 是より先延實年間(1673-1681年)、尾張藩主徳川光友は、瀬戸焼の原料祖母の土を、藩の御用窯の外一切使用を禁じ、又陶家には一戸に陶鈞一挺の制限を命じたるを以て、戸主にあらざる其他の一家は、何れも鋤鍬を執って、百姓...
平戸系 三河内窯

松唐子繪~津金胤臣

【原文】松唐子繪 三河内藩窯の製品模様なる、松唐子繪については、當時他の民窯に於いて應用するこ禁せられ、専ら藩主の自用又は献納贈進の器に畫かれたものであつた。就中七人唐子繪を最上し、次が五人唐子繪、次に三人唐子繪と等別せしは、茶器などの應用...
平戸系 三河内窯

天草石の産地~今村略系

【原文】天草石の産地 天草磁石は、石英粗面岩の分解せしものに、此地下島の北西部なる高濱、小田床、下津深江、都呂々の四ヶ村に亘る海濱地域に多く産出し、其他東南部の諸處にも發見されゐるも、現在の採掘地は前記の四ヶ處である。元祿年高濱村なる上田家...
平戸系 三河内窯

諸種の禁令~天草石の使用發見

【原文】諸種の禁令 寛永十五年(1638年)五月二日幕府は令を下し、以後各藩にては商船とても五百石以上の巨船を造ることを禁じ、(嘉永六年九月十五日解禁さる)(1855年)同時に我邦人の外国への渡航、及び切支丹を厳禁した。寛永十六年(1639...
平戸系 三河内窯

折尾瀬と三河内~松平信綱来る

【原文】折尾瀬と三河内 三河内山は木原山、江永山と共に、東彼杵郡折尾瀬村の一村落である。而して折尾瀬の地は、往年彼杵の莊なる速來の一部であつた。當時の速來とは今の針尾、早岐、廣田、折尾瀬四ヶ村の總稱にて、此四ヶ村は其頃武雄の後藤貴明の領地な...
平戸系 三河内窯

おさい塔の由来~彼杵地名の神話

【原文】おさい塔の由来 元亀三年(1572年)正月二十日有馬五郎は、唐船城にありて、有馬の家老有馬將監と氣脈を通じ、兵五千を以て密に飯盛城を奇襲すべく計畫した。然るに其末た發せざるうちに、同城にありし山本右京は、臨月なる妻のおさいを伴なひ、...
平戸系 三河内窯

平戸系 三川内窯~速來四ケ村の分與

【原文】平戸系 三川内窯平戸松浦氏 平戸松浦氏は、又唐津の波多氏、有田の有田氏、伊萬里の伊萬里氏等と同じ松浦氏の分系である。源太夫判官久の孫披、始め上松浦川西の峰邑に在りて峰五郎と稱せしが、治承元年(1177年)巖谷(東松浦郡嚴木村)に轉じ...
藤津系 嬉野窯

美野山~釋大潮

【原文】美野山 五丁田村の美野も蓮池藩領にて、戸數百六十戸あり、此處は塩田町と近接し、武雄驛より三里の行程である。創始は當地の友八、徳十其他四五人の協同出資にて十間の登窯を築き、天草石に吉田鳴川石を加へて製陶せしも、幾許もなく廢絶し。其後堀...
藤津系 嬉野窯

冬野の土器~藤津郡陶磁器工業組合

【原文】冬野の土器 此地は既に王朝時代より植物を焼きしが如く、又近年冬野の池畔よりも土器を發掘せしが、それは少くも千年以前の作品といはれてゐる。志田東山 久間の創始せられしは、明暦年間(1655-1658)韓人の子孫來りて陶器を作りし由傳説...
藤津系 嬉野窯

大音製~敷浪

【原文】大音製 而して朝鮮向き好況時代に於ける吉田山製品の三分の一産額(約二十餘萬圓)は、大串音松に依って製造されしいはれてゐる。當時美濃や尾張の製品も、亦朝鮮向として彼地に輸出せられしが、それが皆大音製の銘を記入して販賣されし如きは、如何...
藤津系 嬉野窯

吉田下窯築造~朝鮮輸出一手問屋定款

【原文】吉田下窯築造 其後斯業の發展と共に、十六人の窯焼の次男以下營業用の名義を以て、藩の許可を得ることゝなり、資本家副島彌左工門が、新たに下窯を築造せしは、文化年間(1804-1818)であった。而して窯焼は少しく資金を要する場合にも、永...
藤津系 嬉野窯

海江田侍從御差遣~窯焼の兼業權

【原文】海江田侍從御差遣 同十五年肥筑平野に於ける大演習舉行の際、總帥閑院宮載仁親王殿下には、産業御奨の思召を以て、特に海江田侍従を源六燒工場へ御差遣遊ばされたのである。 昭和四年十月には、又源六燒株式會社の組織に変更し、今や別府市流川通、...