肥前陶磁史 外編

肥前陶磁史 外編

本多牧仙~各領主の縁類關係

【原文】本多牧仙 其後庄屋元に於いて本多牧仙(親基)が木場の粘土に雲仙土を加味し、自己の趣味的なる一種の陶器を製作した。それは赤味の白釉にて重なる製品は火鉢及瓶掛であつた。是は工人の手に依って成形され、それに牧仙自ら古今の詩歌や先の箴言等を...
肥前陶磁史 外編

小曾根焼~小濱焼

【原文】小曾根焼 小曾根焼は長崎市内にて、今の小曾根町せらるゝに至りし當時の長者小曾根六三郎の男新太郎が、明治二十五年開窯せしものにて、天草原料を以て染附磁器を製作せしものである。種類は花瓶 茶器 皿、丼、徳利等多種類にて、有田、大川内、小...
肥前陶磁史 外編

日の池焼~蓮田焼

【原文】日の池焼 此外佐賀郡小關村の日池に於て、大正六・七年頃製陶を開始せしが、原料良好ならざし爲幾許もなく廢窯したのである。佐賀縣管内の外編製陶は之を以て終りとし、次に長崎縣管内を記述することする。古賀人形 古賀人形の製作地は、北高來郡古...
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大願寺焼~松ヶ谷開窯考

【原文】大願寺焼 大願寺焼と稱するは、前記の横馬場より半里許りを隔てし墓地の奥にて、往古は布目瓦を焼きし傅へらる。曾て北條時頼行脚して此地に来り病を得て頗る重かりしかば、平愈の大祈願を立てしより、後年此處の五社神祠(仲哀、神功、應神、姫大神...
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曲淵和右エ門~今山の維新後製陶

【原文】曲淵和右エ門 文化の末(1818年邑主鍋島河内(直高)の御藏方曲淵和右工門は、自ら陶窯を築き密に有田の工人を招きて又白罅焼を製造した。それは此地の粘土のみを胎質として焼かれしものにて、染附楓散らし模様や縁描リンボウ廻しなどの菓子碗が...
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肥前陶史外編

【原文】肥前陶史の本編は、朝鮮直系の開窯地を主とせしものなるを以て、それに係はりなき製陶地や、又關はり薄き處や、或は其何れも不明の陶山を一括して、別に外編として掲載することゝしたのである。 肥前の製陶は、頗る古くより行はれものゝ如く、今佐賀...
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