2025-11

藤津系 嬉野窯

西田市兵衛の下宿焼から二代源六

【原文】西田市兵衛の下宿焼 西田市兵衛は嬉野下宿(戸數五十戸)の舊家市郎右工門の男にて、當時下宿焼と稱させられしもの、實は此地にて製造し物にてはなく、此處の管谷といへる谷山より粘土を採掘し、そして小田志山に運びて黒物を製せしものにて。今同家...
藤津系 嬉野窯

隆信有馬軍を破る~大船

【原文】隆信有馬軍を破る 同年二月六日龍造寺隆信は杵島の須古城を根城として藤津の有馬軍を進撃し先づ横造城を陥れ深町尾張守、岩永和泉守等を田備前守純晴、吉田、久間及嬉野一統の諸將を降討取り、そして原越後守家盛(尚家の長子倫行)永し、森の岡に一...
藤津系 嬉野窯

樫木山~有馬氏の勢威

【原文】隆信有馬軍を破る 同年二月六日龍造寺隆信は杵島の須古城を根城として藤津の有馬軍を進撃し先づ横造城を陥れ深町尾張守、岩永和泉守等を田備前守純晴、吉田、久間及嬉野一統の諸將を降討取り、そして原越後守家盛(尚家の長子倫行)永し、森の岡に一...
藤津系 嬉野窯

弓野人形~白木原

【原文】弓野人形 明治二十年龜次郎は、江口友三郎の養子となりて江口姓を嗣き其子又次郎と稱してゐる。爾來此地は全く土偶の製造地となり、龜次郎の外六戸の同業者がある。近來此技漸く世に現はるゝに至り、本縣蓮池出身なる江崎利一の大阪グリコ製菓より大...
藤津系 嬉野窯

藤津系 嬉野窯~江口龜次郎

【原文】藤津系 嬉野窯嬉野氏 藤津の莊嬉野は、正曆五年(995年)大村直澄が彼杵、高木、藤津の三莊を支配せし當時の領地にて、以前は其支族の大村氏を能古見に配し、嬉野氏を嬉野に居らしめて東西の兩鎮とした。抑も嬉野氏の祖先は、藤原鎌足十三世摂政...
武雄系 武内窯

武内磁器の創業期~甕屋の裏と見上の尾

【原文】武内磁器の創業期 而して幾度之を試みしも途に成器を得ることの難事なりしは無理もなかつた。此武内磁器の製作は、當時肥前の各山を巡視せ三河内の今村三之亟が確言せし如く、寛永六年なりこの説事實なるべく、乃ち宗傳歿後の十二年目である。 斯く...
武雄系 武内窯

研究すべき陶器の特長~ハイキングの採収味

【原文】研究すべき陶器の特長 要するに武内の陶業も亦唐津と同じく現時全く休眠の状態である。方今磁器萬能時代の觀あるも、陶器には茶器や雅品の外日用器に於いても磁器にては辨じ難き特長あるを以て、是が博き應用に就いては、尚幾多研究すべき或ものが残...
武雄系 武内窯

祥瑞と有田~金製顔料の試み

【原文】祥瑞と有田 以上記するところ一顧の値をも發見せず、元來當時の有田皿山は全く深山幽谷にて樵夫の徑さへ稀なるところであつた。後説五郎大夫が皈朝せしといへる元和二年に於いて、此深山より李参平が天然磁礦を發見して、始めて我邦に磁器なるものが...
武雄系 武内窯

山中窯の谷左~景正入宋の例

【原文】山中窯の谷左 中に最多きは白化粧の上に無雑作に鐡釉を流し、それに青藥や金茶を散らせし大皿である。又白化粧に青藥の松を文し、幹枝を巧みに鐡描せし水甕があり。或は灰色胎土に褐色薄釉を掛け白にて三段筋を廻はし底には小割菊紋を鐡描しそれに暗...
武雄系 武内窯

武内の磁器~宗傳卒去す

【原文】武内の磁器 而して焼成されし武内の磁器には黄味を帶べる初期風のものあるも、全体に於いて完全に焼上げられてゐる。それに子供が描きし如き菊繪や蘭とも草ともつかぬ呉須猫がある。蓋し白磁の創始時代には、只それに藍色の點々された丈にても珍重さ...
武雄系 武内窯

小峠~鞘壺焼成法

【原文】小峠 なほ内田小峠の古窯品には、暗灰色釉の大皿に白化粧を掛け、其上を韓國風俗の數人を巧みに毛彫したのがあり。或は栗釉地に松葉鞠寄せに縁曆手及劍先三島印花を施せし上に、白釉を掛けし尺口の四つ目積皿がある。又飴色釉八寸皿に芦の葉を描せし...
武雄系 武内窯

永尾の高麗窯~内田の古窯品

【原文】永尾の高麗窯 中通村なる犬走字永尾の高麗神稱せらるゝは今發掘さるゝものに飴色釉や灰色釉の目積皿のみにて、中には鐵描にて繪唐津風を文飾せるものもあり、頗る元始的の下手物を焼いてゐる。而して此永尾の韓人は、幾許もなく去っ神六山を越え、大...
武雄系 武内窯

各宮殿下の台覽~黒牟田系と内田系

【原文】各宮殿下の台覽 此展覧会は一般に非常の興味を喚起しめ、初日には秩父宮殿下同妃殿下台覽遊ばされしが、朝鮮李王殿下も亦台覽遊ばされ、二日目には朝香宮殿下台遊ばされた。而して三日間の参観者實に五千人といふ盛況であつた。第二回の大發掘 翌六...
武雄系 武内窯

武雄系 武内窯~東日社の展覽會

【原文】武雄系 武内窯塚崎 武雄は舊名塚崎(又柄崎或は墓崎と書きしものあり)稱し、肥前國杵島莊の主宰地にて開地頗る古く、此處の武雄神社の如きは聖武天皇の天平七年、仲哀天皇外三座を奉祀せるものにて、今より千二百〇一年以前の宮祠である。杵島の地...
唐津系 椎の峯窯

茶器に酔ふ~本場の高麗味

【原文】茶器に酔ふ 由來茶に酔ふ者はあらざるも、茶人は齊しく茶器に酔ふものである。故に白磁に於いては厭はるゝ斑点さへ其窯技の失敗が、陶器に至つては却つて珍重に値さるゝ得がある。是等の窯物は本場丈けに支那製には科擧的優品多く、且又之に巧妙なる...
唐津系 椎の峯窯

奥高麗~保護一貫せず

【原文】奥高麗 奥高麗といへるは。當時渡來の高麗燒なるものが釜山の草梁鎮邊の作品多かるも、此手はもつと朝鮮奥地の作を模造せしものとの見地より奥高麗と稱せるものにて、文明年間より天明まで其頃點茶盛んに行はれし時代の作品である。陶膚稍密にして釉...