古九谷解説(4)
古九谷(こくたに)を深く愛好する人々にとって、「伝世古九谷の素地(そじ)〔注:器体の胎土・磁胎〕の大半は有田(ありた)製」という推定は受け入れ難く、物原(ものはら)〔注:窯周辺の廃棄場〕出土片が九谷素地の全貌ではないのでは、という疑念も理解できますが、出土資料の量と質が示す実態は無視できません。そこで、九谷古窯でない素地を用いた「伝世古九谷」をどう位置づけるかという難題に向き合う必要があり、結局は①素地を有田から移入し加賀(かが)で上絵付(うわえつけ)〔注:釉上彩色〕を焼き立てたとする説、②素地・上絵ともに有田(古伊万里〔こいまり〕)で完結し後世に古九谷と呼ばれたとする説、の二解釈に収斂してきました。
まず①素地移入説は、「古九谷は加賀独自の文化所産」という前提を置き、明暦(めいれき)初年以降に加賀で上絵技術が整うと、有田素地に京都風の美意匠を加えて独自様式を拓いた—という、加賀百万石の文化的文脈に響く魅力的仮説です。しかし中核論点を吟味すると、なお仮説にとどまります。すなわち(a)有田素地の移入可否については、白素地の海外移出が万治二年(1659)に多数記録される(オランダ東インド会社商館記録に記録されている)ため国内移出も論理上は否定できず、染付(そめつけ)〔注:呉須=コバルト下絵〕を伴う素地でも、裏面の唐草だけを焼いた平鉢(ひらばち)など前面に上絵余地を残す器は、移出対象となり得ると考えられます。
一方で(b)年代観の問題では、考古残留磁気測定が第一号窯の寛文十年(1670)頃廃絶を示唆するとしても、出土の様相からは二号窯への継続が推定され、九谷側で素地生産が続いた可能性が高い以上、「自藩窯で素地を焼きながら大量に他所供給を仰ぐ」状況は合理性に乏しいといえます。石川県立美術館の見解に見られる「一号窯後に素地移入拡大」という推測も、確証史料を伴わず、結論として素地移入説は魅力的ながら決定打を欠くと判断せざるを得ません。
次に、加賀での上絵付焼立の所在ですが、九谷の窯で色絵焼成が可能だったこと自体は、窯跡からの色絵破片出土が裏づけます。ただ、仮に素地を多量移入するなら山中深九谷の地勢では操業上の難が多く、松本佐太郎(まつもと さたろう)『定本九谷』に見える大聖寺(だいしょうじ)城下での色絵窯設置という仮説が必要になります。とはいえ城下窯の確証史料はなく、逆に九谷窯跡から上絵片が出ている事実を重視すれば、上絵付は主として九谷の窯で焼き立てられたと見るのが妥当で、城下上絵窯仮説も素地移入説と併せて後退を免れません。
では②の「上下一貫して有田(古伊万里)」説に移ると、ここで必ず生じる反問は、「同じ有田製なら、古九谷と古伊万里で意匠と配色がなぜこれほど違うのか」という点です。古九谷は赤(あか)〔注:鉄系赤絵具〕をほとんど用いず、紫・青・緑・黄、とくに紫を多用するのに対し、古伊万里は赤主調の群が多く、文様構成も異同が目立ちます。この落差が、肥前と加賀の風土差に由来する「加賀上絵」像を生み、素地移入説を後押ししたわけですが、意匠差の由来は改めて丁寧に検討されねばならない論点として残ります。
要約(300〜500字)
出土資料を踏まえると、「伝世古九谷」の多くが九谷素地ではない事実は重く、解釈は①有田素地を加賀に移入し九谷で上絵焼成、②素地・上絵ともに有田で完結(古伊万里)—の二案に集約される。①は加賀独自性を説明でき魅力的だが、万治二年(1659)の白素地大量輸出記録から国内移出は論理上否定できない一方、九谷側の継続生産が推定され大量移入の必然性は薄い。城下上絵窯仮説も確証を欠き、窯跡からの上絵片出土は九谷窯での焼立を支持する。他方②に対しては、古九谷が赤を避け紫・青・緑・黄を多用し、古伊万里が赤主調という配色差や文様差の説明が課題として残り、今後の精査が求められる。
【関連用語】
- 素地(そじ):器の本体となる磁胎。白素地は上絵付の基盤。
- 上絵付(うわえつけ):釉上に彩色し、低火度で再焼成する加飾法。
- 染付(そめつけ):呉須(コバルト)で下絵を描き、透明釉下で焼成。
- 祥瑞手(しょんずいて):中国祥瑞風の文様構成を写した染付様式。
- 平鉢(ひらばち):浅く広い鉢。裏面唐草などで上絵余地を残す例がある。
- 考古残留磁気測定:焼成時の地磁気を手掛かりに窯の年代を推定する方法。
- 古伊万里(こいまり):17世紀の有田産輸出磁器群。赤主調の色絵が多い。
- 角福銘(かくふくめい):「□に福」の銘。九谷・有田双方に見られる。
- 山中深九谷:山中周辺の九谷系窯域。地勢上、大量移入操業は難がある。
- 大聖寺(だいしょうじ)城下:藩政中枢の城下町。上絵窯仮説が提起された場所。
- オランダ東インド会社:万治二年(1659)に白素地多数を買い付けた記録がある。
- 加賀百万石:加賀藩の豊かな経済・文化基盤。古九谷独自像の背景となった評価軸。
(人名・地名・専門用語の〔注〕は初出に付しました)

