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主要産地

京焼解説(4)奥田頴川(おくだ えいせん)

頴川(えいせん)による磁器化の転回十八世紀後半、東山山麓の諸窯は作風の更新が鈍り停滞が指摘されますが、ここに新風を吹き込み京焼(きょうやき)を活性化したのが奥田頴川(おくだ えいせん, 1753–1811)で、彼の革新は京都では乾山(けんざ...
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長次郎解説(6)

長次郎解説(6)宗入(そうにゅう)筆録の文書群によって、これまで記録上は見えにくかった宗慶(そうけい)が、庄左衛門宗味(そうみ)と吉左衛門常慶(じょうけい)の実父であったこと、宗味も一時「吉左衛門」を名乗り、宗味と常慶が実の兄弟であったこと...
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長次郎解説(5)

長次郎解説(5)山中道億(やまなか どうおく)は、利休(りきゅう)の孫・千宗旦(せん そうたん)について「不目利〔注:鑑識眼に欠ける意〕で取り違えが多い」と批判しましたが、たしかに宗旦は長次郎(ちょうじろう)に関して後世から責められても仕方...
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長次郎解説(4)

長次郎解説(4)長次郎(ちょうじろう)の陶法は、元祖と伝わる唐人「あめや(阿米也)」〔注:来朝したとされる陶工〕に始まり、南中国から当時「交趾支那」と呼ばれた現在のベトナム北部一帯で焼かれた交趾焼(こうちやき)〔注:低火度の施釉陶の系譜〕の...
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長次郎解説(3)

長次郎解説(3)半筒形(はんとうけい)〔注:口径に比べて高さがややあり、胴にふくらみを持つ筒状の器形〕の茶碗は、長く桃山様式の所産として天正年間(1573–92)に始まったと考えられてきましたが、近年の美濃古窯の発掘によれば、早ければ天文(...
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長次郎解説(2)

長次郎解説(2)長次郎(ちょうじろう)の茶碗が「宗易形(そうえきがた)」〔注:千宗易=千利休(せんの りきゅう)の好みに基づく意匠基準〕として天正十四年(1586)にはじめて茶の世界に現れたのか、あるいはそれ以前から利休やその周辺と関わりつ...
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長次郎解説(1)

長次郎解説(1)長次郎(ちょうじろう)の茶碗はすべて手捏ね〔注:ろくろを使わず手で成形する技法〕で一碗ずつ丹念に作られていますが、真に気迫が凝縮した名碗といえる作はそれほど多くありません。とはいえ注目すべきは、長次郎の茶碗がどれも一種の「格...
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楽解説(6) 旦入(たんにゅう)―慶入(けいにゅう)・弘入(こうにゅう)

楽解説(6) 旦入(たんにゅう)―慶入(けいにゅう)・弘入(こうにゅう)旦入(了入の次男・十代)の作風は、父了入(りょうにゅう)の影響を受けつつも技巧の誇示は控えめで、剃髪後は意識して稚拙味〔注:あえて素朴に見せる作為〕を求める傾向が強まり...
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楽解説(5) 了入(りょうにゅう)・旦入(たんにゅう)

楽解説(5) 了入(りょうにゅう)・旦入(たんにゅう)了入(りょうにゅう)は得入(とくにゅう)の弟として宝暦六年(1756)に生まれ、幼名は惣次郎(そうじろう)、諱(いみな)は喜全(きぜん)でした。明和七年(1770)に父・長入(ちょうにゅ...
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楽解説(4) 宗入(そうにゅう)

楽解説(4) 宗入(そうにゅう)宗入(そうにゅう)は養子とはいえ二歳で楽家に入ったため、茶碗作りの現場に幼少期から日常的に触れて育ち、成形・焼成・釉調整の一連を早くから体得しました。さらに養父である一入(いちにゅう)が示した長次郎(ちょうじ...
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楽解説(3) 一入(いちにゅう)

楽解説(3) 一入(いちにゅう)一入の用いた胎土は、長次郎以来の聚楽土〔じゅらくつち:京都・聚楽周辺で産した粗めの陶土〕のほか白土〔注:可塑性が高く発色が明るい陶土〕、さらには備前土〔びぜんつち:耐火度が高く鉄分に富む岡山系の土〕を混ぜ合わ...
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楽解説(2) 道入(どうにゅう)(ノンコウ)

楽解説(2) 道入(どうにゅう)(ノンコウ)道入(ノンコウ)の茶碗は、口造りが蛤端(はまぐりば)〔注:口縁をごく薄く貝殻状に仕立てる技法〕で、見込(みこみ)〔注:碗の内部中央から底にかけての見える面〕を広く取り、茶溜り〔注:見込に設ける湯・...
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楽解説(1)楽茶碗の成立と道入(どうにゅう)―長次郎から光悦へ

楽茶碗の成立と道入(どうにゅう)―長次郎から光悦へ桃山時代の天正年間(1573–1592)に京都で創始された長次郎(ちょうじろう)の楽茶碗〔注:京都・楽家に伝わる手捏ねの茶碗。黒楽・赤楽が代表〕は、日本の陶芸史に前例を持たない作風でした。ろ...
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織部とは(其の五 種類)

織部黒 作品の中心は茶碗で、瀬戸黒の系譜に歪みを強調して沓形に作る傾向が強く、黒釉の力強い光沢を基調に、時に長石釉を差して景色を重ねる例も見られ、まれに茶入も作られるが、全体としては茶碗様式の展開が主題であり、登窯化以前の穴窯焼成に連なる肌...
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織部とは(其の四 作風)

古田織部が美濃窯と深く関わり始めたのは天正後期と推測され、その段階で既に志野や黄瀬戸、瀬戸黒にも好みを示し得たはずで、もし彼の嗜好の核が意図的な「歪み」の美にあったとするなら、志野系の器にもそれを指摘でき、実際、瀬戸黒に歪みを加えた織部黒に...
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織部とは(其の参 様式)

慶長から元和にかけて美濃の窯で焼かれた織部焼は量・種類ともに膨大で、織部黒・黒織部・(青)織部の三系列を基軸に、花入・茶入・香合・茶碗・燭台・大小の皿鉢・向付など多様な器形と文様が展開し、とても一個人の好みだけで把握できる範囲を超え、産業的...
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織部とは(其の弐 生い立ち)

桃山末から江戸初にかけて、「織部好み」の茶陶は美濃のみならず伊賀(いが)・信楽(しがらき)・備前(びぜん)・唐津(からつ)など各地で焼かれたが、最終的に「織部」と総称されるのは美濃系の作であり、これは当時から古田織部と美濃窯場との結びつきが...
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織部とは(其の壱 名称)

織部焼〔注:美濃(みの)を中心に桃山末〜江戸初に成立した茶陶様式で、緑釉と大胆な造形・意匠を特色とする〕という呼称は、千利休(せんの りきゅう)の没後に天下第一の茶人として活動した古田織部(ふるた おりべ/重然)に由来すると古来伝えられ、す...
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