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柿右衛門解説(4)

柿右衛門解説(4)有田(ありた)の色絵磁器〔注:釉上で多色彩を焼き付ける磁器の総称〕が初期段階を脱し、明確な様式美を備えるのは、寛文(かんぶん)後期(1661–73)から延宝(えんぽう)(1673–81)にかけてと考えられます。さらに元禄(...
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柿右衛門解説(3)

柿右衛門解説(3)いわゆる柿右衛門焼〔注:有田磁業の中で確立した赤絵様式の一系統を指す便宜的名称〕が、有田(ありた)の多様な生産群のうち「一様式名」に過ぎない点は前章までに述べましたが、酒井田家には他家に見られない古文書が数多く伝来し、初代...
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柿右衛門解説(2)

柿右衛門解説(2)承応(じょうおう)頃、すなわち元和・寛永(1615〜1644)の創成期を抜けた段階で、有田の磁業はオランダ商館〔注:平戸・長崎に置かれたオランダ東印度会社(VOC)の拠点〕の目にとまり、大量買付によって一気に加速しました。...
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柿右衛門解説(1)

柿右衛門解説江戸時代初期から現代まで、佐賀県有田町(ありたちょう)を中心に展開した磁器生産は、日本陶芸史で際立つ位置を占めます。とりわけ染付〔注:コバルト顔料で下絵を描き透明釉の下で焼く技法〕・青磁〔注:鉄分を含む釉による青緑色の磁器〕・赤...
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乾山(けんざん)解説(2)

乾山解説(2)—白化粧下地と工房生産の展開乾山(けんざん)の作品で特に注目されるのは、元禄十五年(1702)の年紀をもつ藤原定家(ふじわら の ていか)の和歌を各裏面に記した「色絵十二ヶ月色紙皿(しきしざら)」〔注:色紙形の角皿の意匠〕に始...
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乾山(けんざん)解説(1)

乾山解説(1)—空中斎光甫と乾山の出自乾山焼の図版を構成するにあたり、乾山(けんざん)に強い影響を与えたと考えられる空中斎本阿弥光甫(くうちゅうさい ほんあみ こうほ)の作陶を無視することはできません。彼の作品は仁清(にんせい)や乾山ほど大...
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仁清解説(3)

仁清(にんせい)—生没年不詳と後継・運営の実相仁清は、正保(しょうほう)期から明暦(めいれき)・延宝(えんぽう)期にかけて一貫して活躍した名工であり、江戸時代の陶工としては例外的に文献が多いにもかかわらず、生没年は確定していません。これは当...
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仁清解説(2)

仁清(にんせい)—御室焼(おむろやき)の性格と呼称の確立・技法の全貌御室焼〔注:仁和寺(にんなじ)門前に営まれた京焼の一系統〕が他の京窯と異なる性格をもったことは、当時の記録が圧倒的に多い点からもうかがえます。仁和寺と結びついた窯であったか...
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仁清解説(1)

仁清(にんせい)—資料の豊富さと御室焼(おむろやき)の創始江戸中期以前の日本陶磁史には未解明の点が多く、これは窯や陶工の消息を裏づける確実な文献や作品が乏しいためです。そうした中で比較的資料が多いのが、京焼〔注:京都の陶磁器の総称〕の仁清(...
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京焼解説(7)永楽保全(えいらく ほぜん)

永楽保全(えいらく ほぜん)の生涯と作域永楽保全は、青木木米(あおき もくべい)や仁阿弥道八(にんなみ どうはち)より若く、寛政七年(1795)に京都の織屋・沢井家(さわいけ)に生まれ、幼少期は百足屋木村小兵衛(むかでや きむら こへえ)薬...
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京焼解説(6)仁阿弥道八(にんなみ どうはち)

仁阿弥道八(にんなみ どうはち)の生涯と作域仁阿弥道八(にんなみ どうはち、1783–1855)は、天明三年三月十日、京都・粟田口表町(あわたぐち おもてちょう)の陶家「高橋道八家(たかはし どうはちけ)」に次男として生まれ、諱(いみな)は...
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京焼解説(5)青木木米(あおき もくべい)

青木木米(あおき もくべい)の生涯と作風江戸期の京焼(きょうやき)三百年を通観すると、独創性で双璧をなすのは緒方乾山(おがた けんざん)と青木木米(1767–1833)です。元禄・享保の宮廷趣味を背景に雅陶を築いた乾山に対し、木米は文化・文...
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京焼解説(4)奥田頴川(おくだ えいせん)

頴川(えいせん)による磁器化の転回十八世紀後半、東山山麓の諸窯は作風の更新が鈍り停滞が指摘されますが、ここに新風を吹き込み京焼(きょうやき)を活性化したのが奥田頴川(おくだ えいせん, 1753–1811)で、彼の革新は京都では乾山(けんざ...
人名

長次郎解説(6)

長次郎解説(6)宗入(そうにゅう)筆録の文書群によって、これまで記録上は見えにくかった宗慶(そうけい)が、庄左衛門宗味(そうみ)と吉左衛門常慶(じょうけい)の実父であったこと、宗味も一時「吉左衛門」を名乗り、宗味と常慶が実の兄弟であったこと...
人名

長次郎解説(5)

長次郎解説(5)山中道億(やまなか どうおく)は、利休(りきゅう)の孫・千宗旦(せん そうたん)について「不目利〔注:鑑識眼に欠ける意〕で取り違えが多い」と批判しましたが、たしかに宗旦は長次郎(ちょうじろう)に関して後世から責められても仕方...
人名

長次郎解説(4)

長次郎解説(4)長次郎(ちょうじろう)の陶法は、元祖と伝わる唐人「あめや(阿米也)」〔注:来朝したとされる陶工〕に始まり、南中国から当時「交趾支那」と呼ばれた現在のベトナム北部一帯で焼かれた交趾焼(こうちやき)〔注:低火度の施釉陶の系譜〕の...
人名

長次郎解説(3)

長次郎解説(3)半筒形(はんとうけい)〔注:口径に比べて高さがややあり、胴にふくらみを持つ筒状の器形〕の茶碗は、長く桃山様式の所産として天正年間(1573–92)に始まったと考えられてきましたが、近年の美濃古窯の発掘によれば、早ければ天文(...
人名

長次郎解説(2)

長次郎解説(2)長次郎(ちょうじろう)の茶碗が「宗易形(そうえきがた)」〔注:千宗易=千利休(せんの りきゅう)の好みに基づく意匠基準〕として天正十四年(1586)にはじめて茶の世界に現れたのか、あるいはそれ以前から利休やその周辺と関わりつ...
人名

長次郎解説(1)

長次郎解説(1)長次郎(ちょうじろう)の茶碗はすべて手捏ね〔注:ろくろを使わず手で成形する技法〕で一碗ずつ丹念に作られていますが、真に気迫が凝縮した名碗といえる作はそれほど多くありません。とはいえ注目すべきは、長次郎の茶碗がどれも一種の「格...
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楽解説(6) 旦入(たんにゅう)―慶入(けいにゅう)・弘入(こうにゅう)

楽解説(6) 旦入(たんにゅう)―慶入(けいにゅう)・弘入(こうにゅう)旦入(了入の次男・十代)の作風は、父了入(りょうにゅう)の影響を受けつつも技巧の誇示は控えめで、剃髪後は意識して稚拙味〔注:あえて素朴に見せる作為〕を求める傾向が強まり...
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楽解説(5) 了入(りょうにゅう)・旦入(たんにゅう)

楽解説(5) 了入(りょうにゅう)・旦入(たんにゅう)了入(りょうにゅう)は得入(とくにゅう)の弟として宝暦六年(1756)に生まれ、幼名は惣次郎(そうじろう)、諱(いみな)は喜全(きぜん)でした。明和七年(1770)に父・長入(ちょうにゅ...
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楽解説(4) 宗入(そうにゅう)

楽解説(4) 宗入(そうにゅう)宗入(そうにゅう)は養子とはいえ二歳で楽家に入ったため、茶碗作りの現場に幼少期から日常的に触れて育ち、成形・焼成・釉調整の一連を早くから体得しました。さらに養父である一入(いちにゅう)が示した長次郎(ちょうじ...
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楽解説(3) 一入(いちにゅう)

楽解説(3) 一入(いちにゅう)一入の用いた胎土は、長次郎以来の聚楽土〔じゅらくつち:京都・聚楽周辺で産した粗めの陶土〕のほか白土〔注:可塑性が高く発色が明るい陶土〕、さらには備前土〔びぜんつち:耐火度が高く鉄分に富む岡山系の土〕を混ぜ合わ...
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楽解説(2) 道入(どうにゅう)(ノンコウ)

楽解説(2) 道入(どうにゅう)(ノンコウ)道入(ノンコウ)の茶碗は、口造りが蛤端(はまぐりば)〔注:口縁をごく薄く貝殻状に仕立てる技法〕で、見込(みこみ)〔注:碗の内部中央から底にかけての見える面〕を広く取り、茶溜り〔注:見込に設ける湯・...
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楽解説(1)楽茶碗の成立と道入(どうにゅう)―長次郎から光悦へ

楽茶碗の成立と道入(どうにゅう)―長次郎から光悦へ桃山時代の天正年間(1573–1592)に京都で創始された長次郎(ちょうじろう)の楽茶碗〔注:京都・楽家に伝わる手捏ねの茶碗。黒楽・赤楽が代表〕は、日本の陶芸史に前例を持たない作風でした。ろ...
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織部とは(其の五 種類)

織部黒 作品の中心は茶碗で、瀬戸黒の系譜に歪みを強調して沓形に作る傾向が強く、黒釉の力強い光沢を基調に、時に長石釉を差して景色を重ねる例も見られ、まれに茶入も作られるが、全体としては茶碗様式の展開が主題であり、登窯化以前の穴窯焼成に連なる肌...
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織部とは(其の四 作風)

古田織部が美濃窯と深く関わり始めたのは天正後期と推測され、その段階で既に志野や黄瀬戸、瀬戸黒にも好みを示し得たはずで、もし彼の嗜好の核が意図的な「歪み」の美にあったとするなら、志野系の器にもそれを指摘でき、実際、瀬戸黒に歪みを加えた織部黒に...
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織部とは(其の参 様式)

慶長から元和にかけて美濃の窯で焼かれた織部焼は量・種類ともに膨大で、織部黒・黒織部・(青)織部の三系列を基軸に、花入・茶入・香合・茶碗・燭台・大小の皿鉢・向付など多様な器形と文様が展開し、とても一個人の好みだけで把握できる範囲を超え、産業的...
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織部とは(其の弐 生い立ち)

桃山末から江戸初にかけて、「織部好み」の茶陶は美濃のみならず伊賀(いが)・信楽(しがらき)・備前(びぜん)・唐津(からつ)など各地で焼かれたが、最終的に「織部」と総称されるのは美濃系の作であり、これは当時から古田織部と美濃窯場との結びつきが...
人名

織部とは(其の壱 名称)

織部焼〔注:美濃(みの)を中心に桃山末〜江戸初に成立した茶陶様式で、緑釉と大胆な造形・意匠を特色とする〕という呼称は、千利休(せんの りきゅう)の没後に天下第一の茶人として活動した古田織部(ふるた おりべ/重然)に由来すると古来伝えられ、す...
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