楽解説(2) 道入(どうにゅう)(ノンコウ)
道入(ノンコウ)の茶碗は、口造りが蛤端(はまぐりば)〔注:口縁をごく薄く貝殻状に仕立てる技法〕で、見込(みこみ)〔注:碗の内部中央から底にかけての見える面〕を広く取り、茶溜り〔注:見込に設ける湯・茶の溜まり。利休形では省くことも多い〕を設けない点にまず特色があります。高台(こうだい)〔注:碗底の環状の台座〕の切り込みは鋭く、黒釉(こくゆう)〔注:鉄分を多く含む黒色釉〕はよく溶けて強い光沢を示し、幕釉(まくゆう)〔注:口縁から胴に厚く掛け、垂幕状の景を作る掛け方〕と呼ばれる厚掛けを常とします。
さらに黒茶碗では、釉中の不純物が漂泊して生む蛇蝎釉(じゃかつゆう)〔注:黒釉中に白斑・灰斑が浮遊する景色〕を初めて積極的に焼成し、黒釉を意図的に掻き外して白抜きの文様を出す黄はげ〔注:黒地に現れる黄白色の“抜け”の景〕も創案しました。銘「稲妻(いなづま)」や「小鷹(こだか)」に見られるように、のちに一入(いちにゅう)の代名詞となる朱釉(しゅゆう)黒茶碗も、道入はすでに手掛けています。赤楽(あからく)では黄土の濃淡二層を施して透明釉を掛けるほか、砂釉(すなゆう)〔注:表面にざらつきが出る赤楽の釉調〕を導入し、珪石(けいせき)・日の岡(ひのおか)〔注:京都周辺で用いられた石材名とその産地の呼称〕を粉砕して釉に混ぜました。高台内に捺す印(いん)〔注:作印・落款〕は大小二種が伝わりますが、大小を年代順に厳密対応させるのは困難です。
道入は若年から絶えず工夫を重ね、体裁に頓着しない仕事ぶりで技術を切り開いたとみられます。本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)〔注:桃山-江戸初の芸術家・茶陶家〕が「名人は皆貧なるものぞかし」と評した背景には、最大の庇護者たる千家(せんけ)が当時経済的に逼塞していた事情も重なりますが、宗旦(そうたん)や光悦の影響を受け、人におもねらない作家性が彼をなおさら清貧へ向かわせた面も否めません。明暦二年(1656)に歿し、享年五十八。
一入は道入四十二歳の折、寛永十七年(1640)に出生しました。幼名を左兵衛(さへえ)と称し、のち父と同じく吉兵衛(きちべえ)に改め、さらに祖父・常慶(じょうけい)の通称である吉左衛門(きちざえもん)を襲したと伝わりますが、その襲名時期は確定しがたく、道入歿後(明暦二年以後)と推測されます。
寛永十七年当時、光悦はすでに没し、千家当主の宗旦は六十三歳で、不審庵(ふしんあん)を継いだ江岑宗左(こうしん そうさ)は二十五歳にして紀州徳川家の茶頭となりました。のちに今日庵(こんにちあん)を継ぐ仙叟宗室(せんそう そうしつ)は加賀前田家、一翁宗守(いちおう そうしゅ)は高松松平家に仕え、三千家の茶道は幕藩体制下で基盤を固めます。宗旦から江岑へ送られた二百五十通余の書状によれば、当時の人々は両者を介して利休伝来の好みの道具、あるいはその写しを盛んに求めたとされ、利休・宗旦の茶が再び脚光を浴び始めたことがわかります。
道入の現存作をたどると、利休形(りきゅうがた)〔注:長次郎(ちょうじろう)に典型的な、簡素で端正な茶碗の基本形〕から意図的に離れ、光悦の審美を受けて自由な作為を示す作が多い一方、宗旦やその門人の求めに応じ、釉調こそ異なれど長次郎写し〔注:長次郎の器形・趣向を模す〕といえる茶碗も少なくありません。『松屋久重茶会記』に記録されている慶安二年(1649)四月五日条の「シュ楽(聚楽)茶碗、今油小路にて似せて今焼き候由」は、その一端を伝える史料で、恐らく道入作の長次郎写しの使用例でしょう。三千家分立の前後には、利休形茶碗の注文が相応にあったと推測されます。
一入が楽焼(らくやき)〔注:手捏ね主体・内窯焼成を特色とする京都の茶陶〕の茶碗師として立つ頃、晩年の宗旦をはじめ江岑・仙叟・一翁ら家元筋、杉木普斎・山田宗徧(やまだ そうへん)・藤村庸軒(ふじむら ようけん)・久須美疎庵(くすみ そあん)ら宗旦門下が活躍し、多くが利休・宗旦伝来の長次茶碗を所持、由来を示す箱書(はこがき)〔注:箱蓋裏などに記す銘・由緒の書付〕を盛んに施しました。利休が歴史上の人となるに及び、その由緒を再確認する機運が高まり、侘び茶の原点回帰が一層求められたのです。
このため一入の作は、道入のような奔放な作為を正面に出すものは相対的に少なく、長次郎を彷彿とさせる端正な器形が主流を占めました。これは一入個人の好みというより、時代の需要に応じて侘び茶碗の原点――すなわち利休好みへ自ずと還帰した結果と見られます。ただし茶碗師としての自立を示すべく、単なる写しに終わらぬ工夫を釉技(ゆうぎ)〔注:釉薬の調合・掛け方・焼成で景を出す技〕に託し、道入伝来の黒釉に加えて名高い一入朱釉を好んで焼きました。成形の冴えも、決して道入に劣りません。
もっとも一入および彼の周辺の需要者は、道入が示した“技の露わ”よりも、長次郎風の内向的で含蓄ある佇まいを好みました。そのため一入の茶碗は、穏和で慎み深い作行きを一貫して自家の特色とし、明暦二年(1656)の道入歿後に本格始動してから、おおむね十六・七歳より五十七歳までの約四十年間にわたって制作を続けます。作例「西湖(さいこ)」「四方山(よもやま)」にうかがえるように、端然さのうちに量感を備え、しかも雅味に富む静謐を湛えています。
要約(300〜500字)
道入(ノンコウ)は、蛤端の薄い口造り、広い見込、茶溜りの省略、鋭い高台、強い光沢をもつ幕釉などで独自の黒楽を築き、蛇蝎釉や黄はげの白抜き、朱釉黒茶碗、赤楽の砂釉など新奇の景を相次いで導入した。若年より工夫を重ね清貧に甘んじつつ、作家性を貫いて明暦二年に歿す。子の一入は寛永十七年生まれで、三千家が幕藩体制下に基盤を固め、利休・宗旦回帰の需要が高まるなか、長次郎写しの端正さを基調に、黒釉と自家薬の朱釉で差異化を図った。結果として一入の作は穏和で内包的な侘びの相を深め、時代の要望に応答しながらも成形・釉技の冴えで独自性を保った。
【関連用語】
- 道入(どうにゅう/ノンコウ):楽家三代。黒楽の革新者で、幕釉・蛇蝎釉・黄はげなどを導入した妙手。
- 蛤端(はまぐりば):口縁を薄く貝殻状に仕立てる口造り。端正で鋭い飲み口を生む。
- 見込(みこみ):茶碗内の視界となる面。広く取るとおおらかな景が出る。
- 茶溜り(ちゃだまり):見込に設ける湯・茶の溜まり。侘び茶では省略も多い。
- 高台(こうだい):碗底の環状の台座。削りの鋭さや土見せが鑑識点。
- 幕釉(まくゆう):口縁から胴へ厚く掛け、垂幕のような景を作る掛け方。
- 蛇蝎釉(じゃかつゆう):黒釉中に白・灰の斑が漂う景色。道入が積極化。
- 黄はげ(きはげ):黒釉を外して白抜きを得る作為。意匠上のアクセント。
- 朱釉(しゅゆう):鮮やかな朱色の釉。のちに一入の代名詞的景となる。
- 砂釉(すなゆう):ざらめいた肌合いを出す釉調。珪石粉末(日の岡)を混和。
- 一入(いちにゅう):楽家四代。長次郎写しの端正を基調に、朱釉で独自性を示す。
- 宗旦(そうたん):千家中興の祖。利休伝来の茶法を厳守し時代に再評価された。
- 江岑宗左(こうしん そうさ):不審庵継承者。紀州徳川家に仕えた家元。
- 仙叟宗室(せんそう そうしつ)/一翁宗守(いちおう そうしゅ):それぞれ加賀前田家・高松松平家に仕え、三千家の基盤を広げた。
- 『松屋久重茶会記』:慶安二年の条に、聚楽茶碗の写し使用の記録が見える史料(〜に記録されている)。


