茶陶

人名

長次郎解説(6)

長次郎解説(6)宗入(そうにゅう)筆録の文書群によって、これまで記録上は見えにくかった宗慶(そうけい)が、庄左衛門宗味(そうみ)と吉左衛門常慶(じょうけい)の実父であったこと、宗味も一時「吉左衛門」を名乗り、宗味と常慶が実の兄弟であったこと...
人名

長次郎解説(5)

長次郎解説(5)山中道億(やまなか どうおく)は、利休(りきゅう)の孫・千宗旦(せん そうたん)について「不目利〔注:鑑識眼に欠ける意〕で取り違えが多い」と批判しましたが、たしかに宗旦は長次郎(ちょうじろう)に関して後世から責められても仕方...
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長次郎解説(4)

長次郎解説(4)長次郎(ちょうじろう)の陶法は、元祖と伝わる唐人「あめや(阿米也)」〔注:来朝したとされる陶工〕に始まり、南中国から当時「交趾支那」と呼ばれた現在のベトナム北部一帯で焼かれた交趾焼(こうちやき)〔注:低火度の施釉陶の系譜〕の...
人名

長次郎解説(3)

長次郎解説(3)半筒形(はんとうけい)〔注:口径に比べて高さがややあり、胴にふくらみを持つ筒状の器形〕の茶碗は、長く桃山様式の所産として天正年間(1573–92)に始まったと考えられてきましたが、近年の美濃古窯の発掘によれば、早ければ天文(...
人名

長次郎解説(2)

長次郎解説(2)長次郎(ちょうじろう)の茶碗が「宗易形(そうえきがた)」〔注:千宗易=千利休(せんの りきゅう)の好みに基づく意匠基準〕として天正十四年(1586)にはじめて茶の世界に現れたのか、あるいはそれ以前から利休やその周辺と関わりつ...
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長次郎解説(1)

長次郎解説(1)長次郎(ちょうじろう)の茶碗はすべて手捏ね〔注:ろくろを使わず手で成形する技法〕で一碗ずつ丹念に作られていますが、真に気迫が凝縮した名碗といえる作はそれほど多くありません。とはいえ注目すべきは、長次郎の茶碗がどれも一種の「格...
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楽解説(6) 旦入(たんにゅう)―慶入(けいにゅう)・弘入(こうにゅう)

楽解説(6) 旦入(たんにゅう)―慶入(けいにゅう)・弘入(こうにゅう)旦入(了入の次男・十代)の作風は、父了入(りょうにゅう)の影響を受けつつも技巧の誇示は控えめで、剃髪後は意識して稚拙味〔注:あえて素朴に見せる作為〕を求める傾向が強まり...
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楽解説(5) 了入(りょうにゅう)・旦入(たんにゅう)

楽解説(5) 了入(りょうにゅう)・旦入(たんにゅう)了入(りょうにゅう)は得入(とくにゅう)の弟として宝暦六年(1756)に生まれ、幼名は惣次郎(そうじろう)、諱(いみな)は喜全(きぜん)でした。明和七年(1770)に父・長入(ちょうにゅ...
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楽解説(4) 宗入(そうにゅう)

楽解説(4) 宗入(そうにゅう)宗入(そうにゅう)は養子とはいえ二歳で楽家に入ったため、茶碗作りの現場に幼少期から日常的に触れて育ち、成形・焼成・釉調整の一連を早くから体得しました。さらに養父である一入(いちにゅう)が示した長次郎(ちょうじ...
人名

楽解説(3) 一入(いちにゅう)

楽解説(3) 一入(いちにゅう)一入の用いた胎土は、長次郎以来の聚楽土〔じゅらくつち:京都・聚楽周辺で産した粗めの陶土〕のほか白土〔注:可塑性が高く発色が明るい陶土〕、さらには備前土〔びぜんつち:耐火度が高く鉄分に富む岡山系の土〕を混ぜ合わ...
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楽解説(2) 道入(どうにゅう)(ノンコウ)

楽解説(2) 道入(どうにゅう)(ノンコウ)道入(ノンコウ)の茶碗は、口造りが蛤端(はまぐりば)〔注:口縁をごく薄く貝殻状に仕立てる技法〕で、見込(みこみ)〔注:碗の内部中央から底にかけての見える面〕を広く取り、茶溜り〔注:見込に設ける湯・...
人名

楽解説(1)楽茶碗の成立と道入(どうにゅう)―長次郎から光悦へ

楽茶碗の成立と道入(どうにゅう)―長次郎から光悦へ桃山時代の天正年間(1573–1592)に京都で創始された長次郎(ちょうじろう)の楽茶碗〔注:京都・楽家に伝わる手捏ねの茶碗。黒楽・赤楽が代表〕は、日本の陶芸史に前例を持たない作風でした。ろ...
主要産地

唐津焼とは (其の五 都会の需要)

唐津焼(からつやき)は、美濃(みの)と異なり、基調としては雑器(ざっき)〔注:日常の飲食や貯蔵に用いる実用器の総称〕が多く焼かれたと推測されますが、その内実には茶道具(ちゃどうぐ)〔注:茶の湯に用いる器物の総称〕と重なる領域が広く、壺・皿・...
茶陶

伯庵茶碗(ばくあん ちゃわん)

黄瀬戸系の特異作として知られるのが「伯庵茶碗」です。名の由来は、幕府医官・曾谷白庵(そだに はくあん)が所持したことによると伝えます。瀬戸系のどの窯かは未詳ながら、土味や釉調から慶長(1596–1615)から元和・寛永頃の作と推定されます。...
主要産地

黄瀬戸(きせと)

桃山時代の美濃(みの)一帯では、やきものの様式がめまぐるしく展開しました。技術や作風は直線的に進歩するのではなく、戦乱の収束や茶の湯の流行といった外的刺激を契機に一気に跳ね上がり、景色(けしき)を一変させます。永禄(1558–70)から天正...
様式

志野焼とは(其の参 半筒形)

半筒形(はんづつがた)〔注:口縁がほぼ水平で、胴はやや直立、全体に筒形(つつがた)を基調としつつ高さを抑えた茶碗形式〕が桃山様式としていつ始まったかは断定し難いが、室町後期から桃山初頭の和物茶碗の動向を総覧すると、契機は天正年間(1573–...
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