楽解説(6) 旦入(たんにゅう)―慶入(けいにゅう)・弘入(こうにゅう)
旦入(了入の次男・十代)の作風は、父了入(りょうにゅう)の影響を受けつつも技巧の誇示は控えめで、剃髪後は意識して稚拙味〔注:あえて素朴に見せる作為〕を求める傾向が強まります。胎土は深草(ふかくさ)大亀谷(おおかめだに)産の白土〔注:白色系の陶土〕を用い、黒釉〔注:鉄分に富む黒色釉〕も了入期とほぼ同調で、総じて温雅な印象を志向しました。
印章は多彩で、吉左衛門時代には儒者・小沼日向守(おぬま ひゅうがのかみ)筆の「木楽印」〔注:木書風の“樂”字印〕を用い、文政九年(1826)からは徳川治宝(はるとみ)侯拝領の隷書体「樂」印を採用します。さらに天保九年(1838)の長次郎二百五十年忌では隷書体の小印と、不審庵の吸江斎(きゅうこうさい)筆の行書体印を併用し、弘化二年(1845)からは大徳寺玉林院・拙叟(せっそう)和尚筆の行書体「隠居判」も用いました。
旦入の代からは、代数と諱(いみな)を示す世代印を用いる慣例が始まり、旦入は「十代喜愷(きがい)」の方形印を捺します。隠居後は本宅裏に麁閑亭(そかんてい)〔注:宗入が拝領した号にちなむ亭名〕を建て、「於松下麁閑亭旦入造」と箱書する作品が見られ、また父譲りの目利きにより、歴代作の極め書〔注:真贋・帰属の判定書き〕を多数手掛けました。
慶入(十一代)は旦入の実子ではなく、丹波国南桑田郡国分庄(たんばのくに みなみくわたぐん こくぶしょう)の酒造家・小川直八の三男として文化十四年(1817)に生まれ、文政十四年(1831)頃に楽家へ養子入りします。弘化二年(1845)二十九歳で家督を継ぎ、翌年に初の「吉左衛門」箱書を出しますが、嘉永七年(1854)の御所炎上で類焼し、蔵一箇所を除く記録・手本を焼失しました。
安政四年(1857)には長男・弘入(こうにゅう)が誕生し、同年に現在地の邸宅を新築、明治四年(1871)に五十六歳で隠居して「積善家余慶有」に因み慶入と号します。西本願寺の御庭焼・山科露山窯(やましな ろざんがま)を手伝い、法主・大谷光尊より「雲亭(うんてい)」の号と印を受け、慶応元年(1865)には孝明天皇の御用で狩野永岳(かのう えいがく)下絵の雲鶴文大鉢、翌年には御茶碗を納めました。
明治八年(1875)には不審庵・碌々斎(ろくろくさい)に随行して出雲・備前を歴訪し、現地窯で制作を行います。翌年に京都府御用掛・博物御用掛を拝命、明治十七年(1884)には二代常慶二百五十年忌に際し、碌々斎筆の桐絵菓子皿を作って「天下一」印を捺し、古稀(七十一歳)には焼貫きの鮟鱇形火入を配布、のち本宅向かいに隠棲しました。
明治二十三年(1890)には初代長次郎三百年忌の茶会を十二月十一日から翌年六月まで二十四回催し、明治二十六年(1893)には喜寿の茶事を挙行、明治三十五年(1902)に八十六歳で没(法名:清雅院慶入日禅居士、号:随宣)。維新・火災という難局を乗り越えつつ家の基礎を固め、道入・了入に比肩する技巧で、薄作りで温雅な茶碗のほか向付・皿・鉢など多様な器形を手掛け、需要に応じた制作領域を拡げました。
慶入の印章は三期に大別でき、弘化二年〜安政元年(1845–1854)の「蜘蛛巣判(くもすばん)」〔注:筆者は大徳寺・大綱和尚〕、安政元年〜明治四年(1854–1871)の「中印」〔注:董其昌(とう きしょう)法帖に拠る書体〕、隠居後の「白楽印」〔注:白抜きの“樂”字印。歴代未見の意匠〕が基本です。ほかに「天下一」「雲亭」諸印と、旦入に倣う「十一代喜貫(よしつら)」の方形諱印を用いました。
弘入(十二代、諱:喜長〈よしなが〉)は安政四年(1857)生、幼名・小三郎のち惣治郎。明治四年(1871)十五歳で家督を継ぎ、作品は明治十四年頃から世に出ます。明治二十三年の長次郎三百年忌では父とともに赤茶碗三百を作って配布し、大正八年(1919)に剃髪して弘入と号、別邸としていた石山に隠居しました(号は『論語』「人能弘道 非道弘人」に由来)。
弘入は維新後の一時的な茶道停滞で父と苦境を分かちましたが、日清・日露戦後の隆盛で需要が回復し、温篤な人柄で家業の再興に尽力しました。用印は四種で、二十五歳頃から大正八年の隠居まで石川丈山(せきせん じょうざん)筆の楽字印を用い、隠居後は徳川頼倫(よりのり)筆の楽字印、御用の折には伏見宮貞愛(さだなる)親王筆の楽字印を使用、長次郎三百年忌作には碌々斎筆の草書体印を捺しています。
このほか西本願寺向けに「澆花(ぎょうか)」字の繭形印、名乗りを示す「十二代喜長」の方形諱印を併用しました。昭和七年(1932)九月二十四日、石山の隠居所で七十六歳にて没(法名:篤信院弘入日温居士、雅号:雪馬)。近世から近代への断絶と連続のなかで、家の美意識と言語(銘・印・箱書)の文脈を巧みに継承した世代でした。
要約(300〜500字)
旦入は了入の語法を受け継ぎつつ稚拙味を志向し、深草白土と黒釉で温雅な趣を整え、木楽印・隷書体印・行書体印など多様な印章体系と世代印「十代喜愷」を運用、麁閑亭での制作や極め書で家伝の統整に努めた。慶入は養子として家を継ぎ、御所炎上を経て復興を担い、西本願寺御庭焼・露山窯・宮中御用・諸国行脚・府県御用など広域的活動を展開、蜘蛛巣判→中印→白楽印の三期を構え、薄作りで温雅な多品目制作で近代の需要に応じた。弘入は維新期の不況から戦後の隆盛へと家業を再興し、丈山・頼倫・貞愛・碌々斎に連なる楽字印を使い分け、記念制作と用印文化で家の語りを更新した。こうして十〜十二代は、印章・箱書・記念制作を軸に、作域の継承と時代適応を両立させた。
【関連用語】
- 旦入(たんにゅう):十代楽吉左衛門。稚拙味を生かした温雅な作と多様な印章運用で知られる。
- 木楽印(きらくいん):小沼日向守筆の“樂”字印。旦入前期に使用。
- 隷書体楽字印:徳川治宝拝領の“樂”字印。記念作などで用いる。
- 吸江斎(きゅうこうさい):不審庵の宗匠。行書体印の揮毫や旦入号賜与に関与。
- 麁閑亭(そかんてい):旦入の隠居所。箱書に「於松下麁閑亭旦入造」と記す例がある。
- 慶入(けいにゅう):十一代。維新・火災を越え家を再建、白楽印などを用いた。
- 蜘蛛巣判(くもすばん):慶入前期の印。大徳寺・大綱和尚筆。
- 中印:慶入中期の印。董其昌法帖に基づく書体。
- 白楽印:慶入隠居後の白抜き“樂”字印。歴代にない意匠。
- 雲亭(うんてい):慶入の雅号。露山焼に「雲亭」印を用いた。
- 弘入(こうにゅう):十二代。丈山・頼倫・貞愛・碌々斎の楽字印を使い分けた。
- 石川丈山(せきせん じょうざん):楽字印の典拠となった文人。
- 徳川頼倫(とくがわ よりのり):隠居後に弘入が用いた楽字印の揮毫者。
- 伏見宮貞愛親王(ふしみのみや さだなる しんのう):御用の折の楽字印揮毫者。
- 極め書(きわめがき):作品の真贋・来歴を示す書付。歴代判定の要。

