京焼解説(5)青木木米(あおき もくべい)

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青木木米(あおき もくべい)の生涯と作風

江戸期の京焼(きょうやき)三百年を通観すると、独創性で双璧をなすのは緒方乾山(おがた けんざん)と青木木米(1767–1833)です。元禄・享保の宮廷趣味を背景に雅陶を築いた乾山に対し、木米は文化・文政期の文人(ぶんじん)ネットワークの中で文人趣味を深化させ、作風は大きく異なりましたが、どちらも家業の陶家出身ではなく、若くして志して修練を重ね、既存様式を超える新風を生み出した点で共通します。当時の常識から見れば、二人は「奇人」とも映る革新者でした。

乾山が宗達(そうたつ)や兄・尾形光琳(おがた こうりん)の装飾性を陶に移したのに対し、木米は明代陶芸への共感から煎茶道具〔注:煎茶の喫茶文化で用いる急須・茶碗・茶托・炉辺具の総称〕に独自の語法を確立しました。木米は明和四年(1767)、祇園(ぎおん)・縄手通(なわてどおり)大和橋北詰の茶亭「木屋(きや)」の長男として生まれ、姓は青木、通称は佐兵衛(さへえ)。屋号の「木」と名の「八十八」を合わせて「米」と作り、「木米」と号したと伝えられます。

遊里の茶屋に育ちながら学問を好み、高芙蓉(たか ふよう)の門に出入りして文人的薫陶を受けました。自らの雅号「古器観(ここかん)」が示すとおり嗜古癖が強く、二十代の一時期には伊勢山田で古銅器や古銭の鋳造を試みたという伝承もあります。作陶志向の決定的契機は、大阪の木村蒹葭堂(きむら けんかどう)に寓した折、蔵書『龍威秘書』所収の朱笠亭(しゅりゅうてい)『陶説(とうせつ)』に感銘を受けたことで、以後は中国古陶磁の理法を自家の技に転化する道を選びました。

彼は京都で磁器(じき)への新機軸を拓いていた奥田頴川(おくだ えいせん)に学び、さらに十一代宝山文造(ほうざん ぶんぞう)にも師事して陶技を鍛えます。寛政七年(1795)に父・佐兵衛が没して家を継いだことも転機となり、本格的に陶工として歩み始めました。頼山陽(らい さんよう)は木米翻刻『陶説』序に「翁嗜古士 非陶工也…」と記し、生来の古美術愛を起点に古様を会得して独自境地に達したことを讃えています。

三十六歳頃には煎茶道具で早くも高名となり、嵐翠子(らん すいし)『煎茶早指南』(享和二年〔1802〕)は「左兵衛は唐物をうつすに妙を得たるものなり」と評しました。わずか六、七年で妙域に達し得たのは驚嘆すべきことで、型物の交趾焼(こうちやき)〔注:盛上彩釉=法花(ほうか)風の色釉技法〕では鋳造経験が生き、煎茶碗に見える轆轤(ろくろ)技も非凡でした。

文化二年(1805)には青蓮院宮(しょうれんいんのみや)の御用を拝命し、同年に亀田鶴山(かめだ かくざん)が招聘のため入洛。文化三・四年には二度金沢に赴いて春日山窯(かすがやまがま)を築き、独特の青磁(せいじ)〔注:鉄分を含む釉の還元焼成で青緑色を得る技法〕や赤絵(あかえ)〔注:上絵で赤彩を主調とする装飾〕を焼造しました。さらに紀州の瑞芝焼(ずいしやき)にも関わりましたが、胎土(たいど)〔注:器体となる土=素地〕の条件が悪く成果は限られたと伝わります。私窯は粟田(あわた)東町にあったとされます。

以後は京都で文人と交わりつつ制作を続け、天保四年(1833)五月十五日、六十七歳で没しました。墓碑には篠崎小竹(しのざき しょうちく)が「識字陶工木米之墓」と刻し、博識と実践力を兼ね備えた希有の陶工像を伝えます。頴川の拓いた新風を開花させ、多様な技法を自在に操ったことから「幕末京焼の鬼才」とも称されます。

作品は煎茶具が圧倒的に多い一方、抹茶具も優作があり、雲鶴青磁(うんかくせいじ)・刷毛目(はけめ)〔注:刷毛で白土を引いた文様〕・御本立て鶴(ごほんだてづる)など高麗茶碗(こうらいちゃわん)写しに秀品を残しました。作風は赤絵金襴手(きんらんで)〔注:赤絵に金彩を重ねる華麗様式〕、七官手(しちかんで)風の青磁〔注:中国官窯系青磁を日本で称した通称〕、古染付(こそめつけ)風、祥瑞(しょうずい)風、さらに交趾焼・南蛮焼締(なんばんやきしめ)・白泥(はくでい)〔注:白色可塑土を生かす技法〕など、同時代に流布した中国陶磁のほぼ全領域を摂取し、単なる写しを超えて「木米風」を確立しました。

用いた銘印は楕円の「木米」印(大小)、「青来」印、「古器観木米製」「粟田米」「木米製」などの陽刻・陰刻に加え、「聾米造(ろうべいぞう)」「九々鱗(くくりん)」「百六散人(ひゃくろくさんじん)」を染付・赤絵で書したり彫銘にする例も多く、共箱(ともばこ)〔注:作品に付随する作家自署の箱〕には「粟田陶工聾木米印」ほか諸雅号の落款が見られます。雅号の由来としては、「青来」は青木姓により、「百六散人」は「木(十八)+米(八十八)=百六」に拠り、「聾米」は中年期の聴力喪失にちなみ、「九々鱗」は父の出自・美濃久々利(みの くくり)をもじったものとされ、住まい「停雲楼(ていうんろう)」も号としました。


要約(300〜500字)
青木木米は、乾山と並ぶ京焼の革新者で、文人サークルと中国古陶磁研究を背景に、煎茶道具を中心とする多様な技法を自家薬籠中のものとしました。木村蒹葭堂蔵『陶説』に触発され、奥田頴川・宝山文造に学んで磁器語法を会得。文化年間には青蓮院宮御用、金沢・春日山窯での青磁・赤絵、紀州・瑞芝焼への関与など活動を広げます。雲鶴青磁や刷毛目、高麗写など抹茶具でも優作を残し、赤絵金襴手、七官手風青磁、古染付・祥瑞風、交趾、南蛮焼締、白泥まで網羅的に摂取して「木米風」を確立。多くの銘印・雅号を用い、共箱に落款を記すなど作品管理も周到でした。頴川の導入した磁器的新風を成熟させ、幕末京焼の技術的裾野を大きく押し広げた功績は大きいといえます。

【関連用語】

  • 青木木米:文化・文政期の京焼名工。煎茶具中心に多技法を展開。
  • 奥田頴川:京に磁器語法を導入した先駆。木米の師。
  • 煎茶道具:煎茶の喫茶具一式。木米の主制作領域。
  • 交趾焼(法花):盛上彩釉の色鮮やかな技法。型物にも適用。
  • 赤絵金襴手:赤絵に金彩を重ねる華麗な上絵様式。
  • 七官手(官窯)風青磁:中国官窯系青磁の受容・翻案。
  • 古染付/祥瑞:明末景徳鎮系の文様様式。茶の湯で賞玩。
  • 南蛮焼締:釉を用いず高温で締め焼く技法。素地の風合いを活かす。
  • 共箱:作品と対になる署名入りの箱。真贋・来歴の手掛かり。
  • 木村蒹葭堂:大坂の文人。蔵書『陶説』が木米覚醒の契機。
  • 高芙蓉:京都の文人画家。木米の文人的素養に影響。
  • 春日山窯/瑞芝焼:金沢・紀州での木米の外部活動拠点。