長次郎解説(1)
長次郎(ちょうじろう)の茶碗はすべて手捏ね〔注:ろくろを使わず手で成形する技法〕で一碗ずつ丹念に作られていますが、真に気迫が凝縮した名碗といえる作はそれほど多くありません。とはいえ注目すべきは、長次郎の茶碗がどれも一種の「格」すなわち骨格〔注:形・意匠の基調となる規範〕を備えている点で、同時期の美濃(みの)で焼かれた瀬戸黒・黄瀬戸(きせと)・志野(しの)・織部(おりべ)の茶碗に、名人芸から凡作まで振れ幅が大きいのに対し、長次郎は個々の出来に優劣はあっても、全体として統一感のある作行き〔注:造形・作風のあり方〕に収まっています。
この差は、美濃が各地の窯で多様な陶工が競作したのに対し、長次郎は家族的な小工房で制作し、しかも形の基本を千利休(せんの りきゅう, 1522–1591)の好み〔注:利休の美意識に基づく寸法・意匠の基準〕に置いたことに由来すると考えられます。他方で美濃には優れた個の才能も多く、自由闊達な試みから凡作も生んだ反面、破格の名作も遺しており、この広がりこそが美濃陶の魅力でもあります。
長次郎の工房は規模が小さく、利休好みを基準に据えたため、志野の名碗に見られるような作為に富む意匠の冴えや、見る楽しさを前面に出した作は多くありません。作者はあえて個性を押し出さず、利休の基準に従うことを旨とした結果、作品群には共通の骨格が通い、控えめで端正な面貌が一貫して現れたとみられます。
現存作で、とりわけ心惹かれるのは「無一物」「一文字」「大クロ」の三碗で、「大クロ」と「一文字」はいずれも利休ゆかりの名品です。「大クロ」は利休から少庵(しょうあん)・宗旦(そうたん)を経て江岑宗左(こうしん そうさ)へ伝来し、「一文字」は見込〔注:茶碗内面の底部〕に利休自筆の「一」の文字と判(花押)〔注:署名印の意〕が漆書きで残り、両碗とも利休自身が実際に用いたと推測されます。「無一物」は利休所持か確証はありませんが、作振りは同系で、いずれも利休好みを体現する典型作といえます。
これらの茶碗は展覧会や図録・研究書でたびたび紹介されており、茶碗に関心のある人なら一度は目にしているでしょう。一度でも実見した人は強い感銘を受けるはずで、その感銘は志野茶碗「卯花垣」や光悦(こうえつ)茶碗「不二山」といった名碗の、作為の妙や見事さが直截に迫る感動とは趣を異にします。長次郎の名品は、器の周囲に静謐な空気が満ち、そこに一碗が独り端然と佇むような、沈潜した魅力を放つのです。
やや距離を取って眺めるほどその印象はいっそう強まります。ところが手に取ると、茶碗としての機能を第一に据え、手捏ねで素直に作られた、むしろ平凡にも見える造形です。ところが手を離して畳に戻した途端、再び静かに場を収め、安易な妥協を許さない厳しさを湛えた「位置」に化し、眺め手の心を正すような気配を帯びます。
「大クロ」「一文字」に頂点化する長次郎茶碗の独自の造形性は、結局のところ利休晩年の詫び茶(わびちゃ)〔注:簡素と省略を尊ぶ茶の湯理念〕の理念に結び付けて理解すべきでしょう。天正年間中期、すなわち1582年前後に利休が「草ノ小座敷」〔注:四畳半以下の簡素な茶室の原像〕を完成させた流れの中で、詫び茶にふさわしい茶碗として、利休の好みを示し長次郎に作らせたと考えられます。器は陶工が作るにせよ、用い手を得て初めて「道具」となるという古い言い方に従えば、長次郎の茶碗は利休が主導して成立した「道具」であり、その一見無作為で平凡な姿は虚飾を退けた真の相を示すものとして受け止められたのでしょう。
桃山時代の茶会記における長次郎焼の初出は天正十四年(1586)で、『松屋会記』に奈良中坊の井上源吾が用いた「宗易形(そうえきがた)の茶碗」と記録されています(『松屋会記』に記録されている)。この「宗易形」すなわち利休好みの茶碗は詫数奇の茶碗として高く評価され、利休の高弟・山上宗二(やまのうえ そうじ)が天正十六年(1588)に著した『山上宗二記』には、当世は高麗茶碗や「今焼茶碗」などを数奇道具とする旨が記され(『山上宗二記』に記録されている)、天正十四年に「宗易形」として登場したのち、「今焼茶碗」としてもしばしば茶会記に現れて脚光を浴びました。ただし長次郎焼の茶碗が評価を得たのは、あくまで利休好みの茶碗としてであった点を忘れてはなりません。
要約(300〜500字)
長次郎の茶碗はすべて手捏ねで作られ、作の優劣はあっても一貫した骨格と静謐な品格を備える点が特色です。これは家族的な小工房という体制と、形の基準を千利休の好みに置いた制作方針に由来し、志野や織部のように作為性で驚かせる名碗は少ない一方、沈潜した魅力が際立ちます。「無一物」「一文字」「大クロ」は利休好みの典型で、実際に利休が用いた痕跡や伝来が確認できます。天正十四年(1586)の『松屋会記』に「宗易形」として初出し、天正十六年(1588)の『山上宗二記』にも「今焼茶碗」として言及され、当世の数奇道具として重んじられましたが、その価値は終始「利休好み」の道具として確立したものでした。
【関連用語】
- 長次郎:初代楽家陶工。黒楽茶碗の創始者。
- 志野:美濃焼の一種。白い長石釉と鉄絵文様が特徴。
- 織部:古田織部に由来する美濃焼様式。緑釉と大胆な形が特徴。
- 黄瀬戸:黄褐色の釉を施す美濃焼。室町末〜桃山に流行。
- 瀬戸:尾張の産地で「せともの」の語源。中世以降日本の代表的な窯場。
- 美濃:岐阜県東濃の産地。志野・織部・黄瀬戸を生んだ。
- 光悦(本阿弥光悦):江戸初期の芸術家。茶陶・楽茶碗でも名作を遺す。

