古田織部が美濃窯と深く関わり始めたのは天正後期と推測され、その段階で既に志野や黄瀬戸、瀬戸黒にも好みを示し得たはずで、もし彼の嗜好の核が意図的な「歪み」の美にあったとするなら、志野系の器にもそれを指摘でき、実際、瀬戸黒に歪みを加えた織部黒には志野と同じ窯で焼かれた例が確認され、作為の質も相通じている。
しかし、今日一般に「(青)織部」と呼ばれる群は、穴窯で焼かれた志野・黄瀬戸・瀬戸黒に代わって、唐津風の連房式登窯が久尻(くじり)において窯大将・加藤景延(かとう かげのぶ)により元屋敷(もとやしき)へ築かれて以後、本格的に焼造されたものが圧倒的に多く、ここに窯の形式変化と作風転換が重なっている。
登窯は穴窯に比べて大規模で一度に多量焼成が可能なため、慶長期という織部全盛の時代に、銅緑釉の冴えをもつ新奇の器種が都市に急速に流通し、明るく変化に富む装飾性は時代人の趣向に合致して、二〜三十年にわたり旺盛な生産が続いた。こうした鮮烈な色調と造形の新しさが、しばしば「古田織部の好みによってもたらされた」との強い印象を人々に与えたのであろう。
要約(其の四)
織部の作風は、志野・黄瀬戸・瀬戸黒に通じる「歪み」の美と、連房式登窯への転換がもたらした量産体制の確立とが重なって成立した。元屋敷における登窯の導入により(青)織部が主流化し、銅緑釉の鮮やかな器が都市を席巻、慶長期を中心に二〜三十年の旺盛な生産が続いた。
【関連用語】
- 志野:美濃焼の一種。白い長石釉と鉄絵文様。
- 黄瀬戸:黄褐色釉の美濃焼。
- 織部:緑釉と大胆な造形の様式。
- 唐津:佐賀の陶器。桃山期から茶陶で人気。
- 緑釉:銅を含む鉛釉による緑色釉。

