古清水(こきよみず)の範囲と呼称
「古清水(こきよみず)」と聞くと清水焼(きよみずやき)の古作だけを指すように思われますが、実際には東山山麓(ひがしやまさんろく)〔注:京都市東部の丘陵地帯〕の広域、すなわち南の清閑寺(せいかんじ)から北の修学院(しゅうがくいん)までに点在した諸窯で焼かれた作を総称する名であり、本来の語としては京焼(きょうやき)〔注:京都産の陶磁総称〕がふさわしいものの、京焼には仁清(にんせい)〔注:野々村仁清〕や乾山(けんざん)〔注:尾形乾山〕、さらには幕末(ばくまつ)〔注:江戸末期〕の個人作家まで含まれるため、彼らを独立した作家名で扱う近代以降の整理では一括して「京焼」と呼ぶのは適切でなく、そこで便宜的に古清水という呼称が用いられます。
元禄七年(1694)編『古今和漢諸道具見知鈔(ここんわかんしょどうぐみししょう)』は粟田口焼(あわたぐちやき)・御室焼(おむろやき)・清水焼・黒谷焼(くろだにやき)・押小路焼(おしこうじやき)などを挙げ「何れも京焼也」と記しますが、今日では御室焼の多くは仁清焼と整理され、さらに『隔蓂記(かくめいき)』〔注:鳳林承章の日記〕に見える八坂焼(やさかやき)・御菩薩池焼(ごぼさついけやき)・音羽焼(おとわやき)・修学院焼・清閑寺焼・岩倉焼(いわくらやき)なども、近代以降はまとめて古清水と称されました。これら諸窯には当時名の知られた陶工がいた形跡があるものの、無銘作が多く出自判定は困難で、作風も共通点が多いため厳密な分類は難しく、要するに古清水とは京焼の中で作者特定を前提としない、個性表示の薄い作品群を指す便宜的名目だといえます。
古清水の様式変遷を系統的に追うことも容易ではありません。正保五年(1648)頃以降は仁清の影響が強かったと見られるものの、仁清自作の編年自体が未だ完全には確立しておらず、そのため古清水の年代整理も連動して難渋します。ただし赤の上絵具〔注:低温焼成で施す赤彩〕を避け、青・緑の上絵〔注:本焼後に施す絵付=色絵〕に金銀を加える典型的古清水様式は、仁清の色絵完成とほぼ同時期の明暦(めいれき)頃には既に整っていたと考えられます。
江戸前期の京焼は『隔蓂記』に多くが記され、延宝六年(1678)に諸窯を巡った土佐の陶工・森田久右衛門(もりた きゅうえもん)の旅日記も窯の実情を伝える一次情報として重視されます。『隔蓂記』では粟田口焼が寛永十七年(1640)から万治三年(1660)まで九度登場し、茶入師・作兵衛(さくべえ)や高麗茶碗写(こうらいちゃわんうつし)に巧みな太左衛門(たざえもん)、理兵衛(りへえ)らの名が見えますが、この段階ではまだ古清水的な色絵様式は定着していなかったようです。
八坂焼も寛永十七年から慶安三年(1650)にかけて六度の記載があり、清兵衛(せいべえ)が色釉(しきゆう)〔注:有色釉薬〕の藤実形香合(ふじのみがたこうごう)や梅文(うめもん)の鉢を焼いたことが注目されます。これらは京焼における最初期の色釉表現で、上絵付か下絵・銹絵(さびえ)〔注:酸化鉄顔料の茶褐色絵付〕・染付(そめつけ)〔注:呉須=コバルトの青〕のいずれかは断定できないものの、意匠性を備えた器である点が重要です。
清水焼は寛永二十年(1643)十月二十二日に初出し、寛文六年(1666)九月十日には音羽焼も記録され、両窯とも花入・香合・水指・茶入・茶碗を多産したことは『一乗主人日次記(いちじょうしゅじんにちじき)』にも見え、寛文から延宝期が最盛だったと考えられます。後水尾院(ごみずのおいん)の修学院離宮での御庭焼(おにわやき)〔注:禁裏・大名庭内の御用窯〕開窯(寛文四年)も『隔蓂記』に記され、御菩薩池焼は承応三年(1654)から寛文六年まで四度登場し、寛文三年正月三日条には「錦手(にしきで)〔注:多彩上絵の総称〕之絵」による見事な天目(てんもく)〔注:天目形茶碗〕の記述が見えます。
もっとも『隔蓂記』は寛文八年八月で記録が途切れ、『一乗主人日次記』の京焼記事も元禄二年(1689)までに限られるため、その後の動向は断片的情報に依存します。正徳三年(1713)刊『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』は山城国(やましろのくに)の土産瓷器として御室・清水・乾山・深草(ふかくさ)を掲げますが、東山山麓の諸窯では清水焼のみの記載にとどまり、実際には粟田口・御菩薩池・押小路焼などが存続していたはずで、史料上の偏りがうかがえます。
古清水の大きな特色は、赤の上絵具をほとんど用いず、淡い朽葉色(くちばいろ)の貫入釉(かんにゅうゆう)〔注:素地と釉の収縮差で生じる細かなひび文様〕を愛用する点にあり、仁清の華やかな多色色絵と明確に一線を画します。なぜこの落ち着いた作風が定着したのかは未解明であり、技術伝承の秘匿、胎土・燃料・焼成温度の制約、あるいは京洛の嗜好差といった複合要因が推測されるものの、古清水は依然として江戸陶芸史における重要な研究課題です。
要約(300〜500字)
古清水は、清水焼の古作に限らず、東山山麓の清閑寺から修学院までに散在した諸窯の無銘作を総称する近代的呼称で、作者名で体系化される京焼の枠組みから洩れる作品群を便宜的に束ねる概念です。『隔蓂記』や森田久右衛門の旅日記は江戸前期の情報基盤となり、粟田口・八坂・清水・音羽・御菩薩池・修学院などの活動を示しますが、銘の欠如と作風の近似が編年的把握を難しくします。正保五年頃以降は仁清の影響が濃厚ながら、典型的古清水は赤を避けて青・緑と金銀を主調とし、淡い朽葉色の貫入釉を好む点で仁清色絵と対照的で、明暦頃にほぼ整ったとみられます。史料の断絶や偏りもあり、古清水の生成・定着理由の解明は今後の主要テーマです。
【関連用語】
- 古清水:東山山麓諸窯の無銘作を総称する近代以降の便宜的呼称。
- 京焼:京都で焼成された陶磁の総称。作家名や窯名で細分化される。
- 清水焼:清水・音羽・清閑寺周辺の窯業の総称。茶道具の名産地。
- 粟田口焼:東山麓の一窯。茶入や高麗写で知られる。
- 八坂焼:八坂周辺の窯。早くから色釉意匠が見える。
- 御室焼/仁清:仁清を中心とする御室の窯。華麗な色絵で著名。
- 御菩薩池焼:東山の一窯。錦手天目の記録がある。
- 音羽焼:音羽地域の窯。寛文〜延宝期に最盛。
- 修学院焼:修学院離宮の御庭焼を含む周辺窯。
- 押小路焼:京都中心部の低火度彩釉陶を指す呼称。
- 『隔蓂記』:鳳林承章の日記。江戸前期京焼の一次資料。
- 『古今和漢諸道具見知鈔』:元禄編の道具目録。京焼諸窯を列挙。
- 『和漢三才図会』:正徳刊の百科。山城の土産瓷器を記載。
- 錦手:多彩上絵の総称。金銀を伴う華やかな技法。
- 貫入釉:釉面に生じる微細亀裂文。装飾的効果を持つ。
- 染付:呉須の藍で下絵を施す磁器技法。
- 銹絵:酸化鉄顔料による茶褐色の絵付。
- 天目:天目形の碗。茶の湯で重用される器形。
- 御庭焼:禁裏・大名邸内に設けられた御用窯の総称。


