長次郎解説(3)
半筒形(はんとうけい)〔注:口径に比べて高さがややあり、胴にふくらみを持つ筒状の器形〕の茶碗は、長く桃山様式の所産として天正年間(1573–92)に始まったと考えられてきましたが、近年の美濃古窯の発掘によれば、早ければ天文(1532–55)遅くとも永禄(1558–70)から瀬戸黒・黄瀬戸(きせと)が半筒形で焼かれていたと推定されます。すなわち天文期以来の詫び茶(わびちゃ)〔注:簡素と省略を旨とする茶の湯理念〕の隆盛と呼応して、天目(てんもく)〔注:中国起源の黒釉茶碗の総称〕と異なる前桃山様式の茶碗が美濃で一部需要に応じて出現しており、桃山で半筒形が脚光を浴びたのは、その先行例が成熟した結果と見るべきでしょう。こうした流れを物語る黄瀬戸茶碗の好例が一碗あり、原色愛蔵版『日本の陶磁 3 黄瀬戸・瀬戸黒』に詳説されています(同書を参照)。
その茶碗は胴がわずかに張り、腰に丸みを持ち、高台(こうだい)〔注:底部の環状の座〕を鋭く削り出した姿で、初見の折は長次郎(ちょうじろう)の「大クロ」と驚くほど近似して見えました。箱の蓋表には筆者不詳ながら「北向道陳(きたむき どうちん)お好」との書付〔注:箱書きの記載〕があり、高台内には利休(りきゅう)の判=花押〔注:署名印〕が朱漆で記され、俗に「オケラ判」と呼ばれる形が認められます。かつては室町期にこの器形はあり得ないとの先入観から、利休判と「大クロ」との近似を根拠に天正十四・五年(1586–87)頃の利休好みとして美濃で焼かれたと見ましたが、その後の古窯出土例により、「北向道陳お好」という伝承の意義が浮上しました。すなわち従来「利休好み」と捉えた器形は、実は室町末~桃山初頭の詫び茶全体の嗜好から生まれ、その中に利休へ強く連なる一群があった、と理解すべきです。
当時の茶会記を照らすと、永禄七年(1564)三月二十二日・十二年(1569)五月十三日・同年九月十四日、元亀三年(1572)十二月十三日、天正元年(1573)三月十二日(いずれも『津田宗及茶湯日記』に記録されている)に見える「瀬戸茶碗」は、初期の瀬戸黒や黄瀬戸であった可能性が濃いと言えます。さらに天正十三・十四年頃から使用頻度が跳ね上がる「瀬戸茶碗」は、すでに完成域に達した純然たる桃山様式、すなわち大萱(おおがや)下窯や牟田洞ほかの窯における瀬戸黒・志野・黄瀬戸であり、文禄~慶長(1592–1615)には織部黒・黒織部も加わって定番化していきました。
一方、長次郎が「宗易形(そうえきがた)」〔注:千宗易=利休の美意識に基づく意匠基準〕として作った茶碗の茶会記上の初見は天正十四年(1586)で、「大クロ」「一文字」のような半筒形がこれに当たるとみられます。宗易形は利休の独創としがちですが、利休所持と伝わる北向道陳好みの黄瀬戸半筒形と器形が驚くほど近く、必ずしも利休一個の創案に尽きないでしょう。とはいえ、利休は天正十年(1582)を過ぎ「待庵(たいあん)」に代表される草ノ小座敷〔注:簡素な小間茶室の典型〕を完成し、『南方録(なんぽうろく)』にいう「ワザを忘れ、心味の無味に帰す」詫びを実践しました。その上で、轆轤作り(ろくろづくり)〔注:回転台で成形〕の黄瀬戸よりも、手捏ね(てづくね)〔注:手びねり成形〕の彫塑性を活かした「大クロ」型の黒楽を長次郎に求め、より深い茶味を器に託したのです。利休の子・紹安(じょうあん)が「宗易好みの黒茶碗、数奇に入ります」と伝えたとされるように、同じ器形でも長次郎作は一段と沈潜した味わいと端然たる風格を示し、佗数奇(わびすき)の道具として抜きん出ました。
長次郎焼(ながじろうやき)の最大の特質は、徹底して轆轤を用いず手捏ねで成形した点と、焼成に美濃の大窯=半地上式の穴窯(あながま)のような本窯を使わず、低火度の小規模窯(のち俗に内窯〔うちがま〕と称される)で焼いた点にあります。手成形の器は縄文・弥生から古墳期後の土師器(はじき)に至る長い系譜があり、桃山期にも京都北郊・幡枝(はたえだ)で日用土器が作られていたと推されますが、それらは無釉の土器質でした。これに対し長次郎の器は施釉陶(せゆうとう)〔注:釉を掛けた器〕で、かわらけより高めの火度で焼く軟質陶器に属し、性質は奈良~平安期の三彩緑釉陶(通称「奈良三彩」)に近いといえます。かかる低火度施釉の系譜は平安末に衰微して絶え、以後は無釉のかわらけが続いたため、長次郎の技法は国内連続の所産ではなく、室町後期にふたたび外来技術がもたらされた結果と推定されます。伝承でも、長次郎焼の元祖は唐人「あめや」(阿米也)と称する来朝の陶工であったとされます。
この「あめや」は中国系か朝鮮系か判然としません。江戸期には両者を「唐人」と呼んだためですが、『本阿弥行状記』には「中華の人」とあり、他方で朝鮮人説を記す茶書も多く伝わります。田中作太郎は「あめや」という呼称の南中国系語感から中国人説を唱え、私もまた「二彩瓜図平鉢」や宗慶(そうけい)銘「三彩獅子香炉」の作風から交趾焼(こうちやき)系の低火度施釉法と見て南中国系を想定してきました。近年は福岡・熊本の中世遺跡から交趾焼系資料が相次いで出土し、中世以来わが国で南中国請来の交趾焼を賞翫した流れが、南方系陶工の渡来を促したと考えられます。『信長公記(しんちょうこうき)』に「瓦焼 唐人一観(いっかん)被相恭」とある瓦工の例や、長次郎焼の元祖「あめや」もその文脈で捉えられ、さらに美濃で緑釉を掛ける織部焼の興隆も、交趾焼賞翫の刺激によって加速した可能性が高いでしょう。
要約(300〜500字)
半筒形茶碗は天正期の新作と見なされてきたが、美濃古窯の発掘は天文~永禄期に遡る先行例を示し、詫び茶の隆盛と並走して前桃山様式が形成されたことが明らかになった。箱書「北向道陳お好」と利休判をもつ黄瀬戸半筒形は、長次郎「大クロ」と酷似し、宗易形が利休個人の独創のみでなく、室町末~桃山初頭の共有された趣向の上に開花したことを示唆する。天正後半には瀬戸黒・志野・黄瀬戸、のち織部黒が定番化し、長次郎は手捏ねと小規模低火度窯による黒楽で、黄瀬戸の轆轤作りを超える沈潜味を実現した。低火度施釉は国内連続ではなく外来技術の再導入とみられ、伝承の唐人「あめや」や『信長公記』の唐人瓦工「一観」などが、その技術移入の歴史的背景を物語る。
【関連用語】
- 半筒形:胴にふくらみを持つ筒状の茶碗形。
- 瀬戸黒:美濃で焼かれた黒釉茶碗の総称。
- 黄瀬戸:黄褐色の長石釉を施した美濃の茶碗。
- 詫び茶:簡素・省略・真率を旨とする茶の湯理念。
- 天目:宋元明の黒釉系茶碗。日本では形と釉の総称。
- 前桃山様式:桃山様式に先行する室町末~桃山初頭の様式。
- 北向道陳:室町末の茶人。黄瀬戸半筒形「お好」で知られる。
- 花押(オケラ判):署名の記号。利休判の俗称の一つ。
- 宗易形:千宗易(利休)の美意識に基づく器形基準。
- 待庵:利休作と伝える小間茶室。草ノ小座敷の典型。
- 轆轤作り:回転台(ろくろ)での成形技法。
- 手捏ね:ろくろを使わない手びねり成形。
- 内窯:小規模・低火度の焼成窯。楽焼で用いられる。
- 施釉陶:釉薬を掛けた陶器。奈良三彩に近い性質。
- 交趾焼:南中国系の低火度施釉陶の系統。
- 阿米也(あめや):長次郎焼の元祖と伝える唐人陶工。
- 信長公記:織田信長の事績記録。唐人瓦工「一観」を記す。
- 織部黒:織部好みによる黒釉・緑釉を特色とする茶陶。

