長次郎解説(6)
宗入(そうにゅう)筆録の文書群によって、これまで記録上は見えにくかった宗慶(そうけい)が、庄左衛門宗味(そうみ)と吉左衛門常慶(じょうけい)の実父であったこと、宗味も一時「吉左衛門」を名乗り、宗味と常慶が実の兄弟であったことが明確になりました。さらに宗味の娘が長次郎(ちょうじろう)の妻であった事実も示され、家中の結び付きが立体的に浮かび上がります。
加えて、梅沢記念館蔵の「三彩獅子香炉(さんさい しし こうろ)」の腹部には「とし六十 田中天下一宗慶(花押) 文禄三年(四年)九月吉日」と彫銘があり、これが系図にいう宗慶作であることが確証されます(当該器の銘に記録)。また表千家伝来の利休(りきゅう)画像(長谷川等伯〈はせがわ とうはく〉筆と伝)には、大徳寺の春屋宗園(しゅんおく そうえん)が「常随 信男宗慶照之請賛」と賛し、宗慶が平素より利休に随った人物で、その求めで賛が書かれた旨が記されています(同画像の賛に記録)。これらは宗慶が楽家系譜上の要人であったことを裏づけます。
もっとも、常慶以前の家系が判明した一方で、年次整合には懸念が残ります。すなわち『覚(おぼえ)』は「宗味の娘が長次郎の妻」と伝えるものの、文禄四年(1595)に数え六十の宗慶から見れば、その孫娘が天正十七年(1589)歿の長次郎の妻だった計算となり、絶対不可能ではないにせよ不自然です。ここから「長次郎に初代・二代があったのでは」との仮説が生まれました。
実際、法名(戒名)を列記する別『覚』には、長次郎—宗慶—宗味の間に「長祐(ちょうゆう)」の名があり、この人物こそ宗味の女婿=第二の長次郎に当たるのではないか、ただし早世のため『楽焼系図』には記載が漏れ、過去帳系の『覚』にのみ法名が残ったのではないか、と推測されます。もっとも楽家は二代長次郎説を採らず、いつの頃からか「長祐=初代長次郎の法名」と解し、家中解釈として落としどころを設けてきた節があります。
かりに二代長次郎と宗味の娘を含めれば、常慶以前の楽焼には実に六人規模の作手が関与した計算となり、まさしく「長次郎工房(こうぼう)」〔注:複数の作手による制作体制〕としての実態が明瞭になります。にもかかわらず、千宗旦(せん そうたん)や、その子の江岑宗左(こうしん そうさ)・仙叟宗室(せんそう そうしつ)らの箱書・書簡は、作者関係に触れず一律に「長次郎」または「長次郎焼」とのみ記しており、これは単なる無頓着ではなく、意図的な簡略化であった可能性が高いでしょう。
この簡略化は、後世に京都所司代(きょうと しょしだい)へ差し出した系図が「長次郎—常慶—道入(どうにゅう)」とされた事実とも響き合います。すなわち慶長期の社会変動の中で、宗慶・宗味を系譜の表舞台から退かせざるを得ない力学が働いたと推測されます。『宗入文書』に「庄左衛門宗味の孫子、素林寺(そりんじ)に有。太閤(たいこう)様より拝領の楽之判、即ち素林寺に有」とある点は、宗味の嫡流が家業を離れて寺に入り、豊臣拝領の「楽」印を寺宝として保全した事情を示唆します。豊臣から徳川への政権交替を経て、太閤直授の権威がかえって微妙な政治性を帯び、系図から宗慶・宗味が後退したのだと考えるのは穿ち過ぎでしょうか。ともあれ、宗味の通り名「吉左衛門」を弟の常慶が継いで前面に立ち、本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)や古田織部(ふるた おりべ)のとりなしもあって徳川家に接近、「楽」字の印と暖簾(のれん)を拝領して体制を整え、のち秀忠(ひでただ)霊前に常慶作と推される香炉が置かれるに至ったのでしょう。なお素林寺方との往来は、一入・宗入の代まで続いた形跡がうかがえます。
技法面では、長次郎から常慶に至る工房の茶碗は、俗に「聚楽土(じゅらくつち)」〔注:聚楽第ゆかりの赤土〕を黒・赤双方に用い、黒にはやや粗い胎土(たいど)〔注:素地土〕、赤には細かく漉(こ)した土を当てます。黒は1,100度超の高火度で焼くため耐火性が必須で、黒楽釉(こくらくゆう)〔注:黒色の鉄釉〕には「加茂川石(かもがわいし)」〔注:京都産の褐鉄鉱質原料〕を用い、釉が融ける頃合いで鉄鋏(かなばさみ)で引き出し急冷して黒肌を得るのが要点で、美濃の瀬戸黒(せとぐろ)に通じる技法です。
長次郎工房の黒茶碗には、俗に「かせ膚(はだ)」〔注:やや乾いた黒褐色調の肌〕が多く見られますが、これは釉調合と火度の影響とみられ、のち道入—光悦期には改良が進んで漆黒を呈する肌へと洗練されます。赤楽(あからく)は聚楽土の上に透明性の白釉(しろゆう)〔注:透明系釉〕を掛けたもので、初期は火度が低く釉調が不安定でしたが、常慶期には厚掛けでよく融ける赤楽が実現し、その釉は光悦の赤楽にも継用されたと考えられます。さらに志野(しの)の影響を受けた白楽(しろらく)も常慶の得意で、楽家では「香炉釉(こうろゆう)」〔注:白系不透明釉の家内呼称〕と呼び習わしました。
印章(いんしょう)の伝来も要点です。長次郎伝来とされる黒茶碗の一部には、宗慶作「三彩獅子香炉」に押された「楽」字印と同型の印が捺され、また常慶作の碗や香炉の一部にはこれと異なる「楽」字印――通称「常慶印」――が見られます。前者は宗味の孫子が保持した太閤拝領印、後者は徳川家からの拝領印に相当したのではないか、と推定されます。
要約(300〜500字)
宗入筆の諸文書により、宗慶が宗味・常慶の実父で、宗味も一時「吉左衛門」を名乗ったこと、宗味の娘が長次郎の妻であったことが判明した。梅沢記念館蔵「三彩獅子香炉」の銘や、表千家伝来の利休像に春屋宗園が宗慶の求めで賛した事実は、宗慶の中心性を裏づける。他方、年齢関係の不自然さから「二代長次郎」仮説が生じ、過去帳には長祐の名も見える。にもかかわらず千宗旦らは作者関係を沈黙し、作者表記を「長次郎」に集約。慶長期の政治変動の中で、宗味系嫡流が素林寺に入り太閤拝領印を寺に移し、常慶が徳川家へ接近して「楽」印・暖簾を拝領する再編が進んだと考えられる。技法面では聚楽土・加茂川石・急冷の黒楽、改良された赤楽・白楽(香炉釉)などが工房の特色で、印章の異同は豊臣/徳川両系の拝領印の併存を物語る。
【関連用語】
- 宗慶:宗味・常慶の実父。利休像賛を請うた中心人物。
- 宗味(庄左衛門):常慶の兄。通り名「吉左衛門」を一時使用。
- 吉左衛門常慶:楽家の要。徳川期に「楽」印・暖簾を拝領。
- 長祐:過去帳に見える名。二代長次郎説の鍵とされる。
- 素林寺:宗味嫡流が入寺し、太閤拝領の「楽」印を伝えた寺。
- 太閤拝領印(楽之判):豊臣秀吉から拝領と伝える「楽」字印。
- 京都所司代:公儀の京都統治機関。提出系図の簡略化と関係。
- 聚楽土:楽焼に用いる赤土。黒・赤で使い分ける。
- 加茂川石:黒楽釉の原料とされる褐鉄鉱質の石。
- かせ膚:黒楽の乾いた黒褐色肌。初期作に多い。
- 白楽(香炉釉):志野影響の白系釉。常慶の得意。
- 三彩獅子香炉:宗慶作と銘記された香炉。梅沢記念館蔵。
- 春屋宗園:大徳寺の僧。利休像に宗慶の求めで賛を付す。
- 長谷川等伯:利休像の筆者と伝える絵師。
- 本阿弥光悦/古田織部:楽家の後援者として徳川期の橋渡しに関与。


