京焼の展開(江戸中期〜幕末)
江戸中期(元禄〜寛政)になると、当時の京焼(きょうやき)の中で独自の存在感を放ったのは乾山焼(けんざんやき)〔注:尾形乾山の作風を基盤とする京焼の一様式〕だけでしたが、仁清(にんせい)の御室焼(おむろやき)はすでに最盛を過ぎ、粟田口(あわたぐち)・音羽(おとわ)・清水(きよみず)の諸窯も稼働は続けつつ作調は旧来を守って一般需要に応じたと見られ、文献も乏しく、『槐記(かいき)』〔注:公家の同時代日記。宮中記録として京焼の記事を含む〕に挙がる名は主に仁清で、新味としては「新清水焼 狂言袴(きょうげんばかま)写〔注:能狂言の袴意匠を移した茶碗形〕」といった点描が見える程度で、需給はおおむね安定していました。
乾山(尾形乾山)は仁清に学び、元禄十二年(1699)三十七歳で鳴滝(なるたき)に開窯し、仁清伝の色絵技術に押小路焼(おしこうじやき)〔注:京都押小路周辺の低火度彩釉陶〕の法と自身の構想を折衷して雅味(がみ)に富む乾山焼を確立しましたが、享保十六年(1731)に江戸へ移ったのち、養子の猪八(いのはち、仁清の子)が二代乾山を称して聖護院(しょうごいん)近くで制作を継続し、初代の作風と銘を踏襲したため時に二代作が初代と伝来する混同が生じました。
東山山麓の粟田口・清水・御菩薩池(ごぼさついけ)周辺では、朽葉色(くちばいろ)の釉〔注:黄褐色を帯びた釉色〕をかけた胎土に金・青・緑の上絵〔注:本焼後、低温で施す絵付=色絵〕を施す古清水(こきよみず)風が長く伝統となりましたが、のちに窯跡が宅地化して資料が散逸し、窯と作品を直接結ぶ証拠は乏しく、十八世紀の京焼は全国的な窯業停滞と歩調を合わせてやや振るわなかったと推測されます。さらに当時の窯は概ね粟田口・清水・五条坂(ごじょうざか)の三系に分かれ、粟田口には錦光山喜兵衛や岩倉山吉兵衛の名が残るものの、作風は判然とせず、前期京焼=古清水風を保守的に継承したと考えられます。
清水焼(狭義の清水・音羽・清閑寺〔せいかんじ〕の総称)は規模が小さく窯別判別が難しい一方、清閑寺では仁清風の作品が焼かれ、対照的に五条坂は中期に清水から分かれて新様式の開拓に積極的となり、京都で初めて磁器(じき)〔注:高火度で焼成する白色・緻密なやきもの〕を焼いた地とも位置づけられ、文化・文政から明治にかけて高橋道八(たかはし どうはち)・清風与平(せいふう よへい)・清水六兵衛(きよみず ろくべえ)・和気亀亭(わけ きてい)・真清水蔵六(ましみず ぞうろく)・宮川香斎(みやがわ こうさい)らが相次いで活躍しました。
幕末期には粟田口焼・清水焼・五条坂焼の多くが五条坂の問屋を介して流通し、需要の中心は京都を核とする畿内一円に置かれましたが、後期に入ると奥田頴川(おくだ えいせん、号・陸方山〔りくほうざん〕)が三条粟田口に開窯して従来にない染付(そめつけ)〔注:呉須=コバルトの青で下絵付する磁器様式〕や赤絵(あかえ)〔注:上絵の赤彩を主調とする装飾〕など、磁器風の雅陶を試み、中国陶磁の模倣を柔軟に取り入れることで作風が一気に多様化する転機をもたらしました。
頴川は商家(質屋)の出と伝え、中年以降に独学で陶法を磨き、天明〜寛政頃の開窯には青木木米(あおき もくべい)・欽古堂亀祐・二代高橋道八(のち仁阿弥〔じんあみ〕)とその弟・周平、三文字屋嘉助らが門に集い、明末清初の呉須と赤彩を併用する呉州赤絵(ごしゅうあかえ)〔注:呉須(青)下絵に赤の上絵を重ねる様式〕にならう磁器風が当座の魅力となり、頴川の呉州赤絵写は精妙を極めました。木米は『陶説』(朱笠亭〔しゅりゅうてい〕著)に触発され、青磁(せいじ)・白磁・赤絵・交趾(こうち)写〔注:鉛釉の鮮やかな盛上彩釉=法花(ほうか)風〕の軟陶や煎茶具〔注:煎茶の道具一式〕に新風を興し、二代道八も磁器焼成に熟達して乾山風・仁清写・楽茶碗・高麗写・寿星置物〔注:道教神・寿老人像の人形〕など彫塑的作品まで多技にわたり傑作を残しました。
木米・仁阿弥に続く名工としては永楽保全(えいらく ほぜん)が知られ、文化十四年(1817)に西村家十代了全の養子となり、文政十年(1827)には紀州偕楽園(きしゅう かいらくえん)御庭焼(おにわやき)〔注:大名庭内での御用窯〕に奉仕し、明代の法花(当時は交趾焼と総称)や金襴手(きんらんで)〔注:赤絵金彩で極彩に飾る様式〕・古染付(こそめつけ)・祥瑞(しょうずい)〔注:明末景徳鎮民窯の文様様式〕を倣いつつ和様化して独自の語法を築き、のちに姓を西村から永楽へ改めて京洛の一流陶家として重きをなし、子の和全(わぜん)も名手として幕末から明治の京焼を支えました。
このほか幕末の京焼では欽古堂亀祐・清水六兵衛(初代〜三代)・岡田久太・龍文堂安平・真葛長造・清風与平・初代真清水蔵六・初代三浦竹泉らが技を競い、京都は造形・釉薬・焼成・上絵の総合技術を結集する日本陶芸の一大拠点に成長しました。
要約(300〜500字)
江戸中期の京焼は、御室仁清の最盛を過ぎて全体に保守化する中、尾形乾山が鳴滝で開窯し、仁清伝の色絵に押小路焼の法を折衷して洗練を示しました。十八世紀は停滞気味でしたが、五条坂が清水から分化して京都初の磁器を焼き、新様式開拓の場となります。幕末には流通の中心が五条坂問屋に集約する一方、奥田頴川が三条粟田口で染付・赤絵の磁器風を唱導し、中国様式の摂取で多様化が進行。青木木米・二代高橋道八らが煎茶具や交趾写まで領域を拡げ、さらに永楽保全が法花・金襴手・祥瑞等を和様化して家名を確立し、子の和全とともに明治への橋渡しを担いました。
【関連用語】
- 乾山焼:尾形乾山に由来する京焼様式。仁清伝来の色絵を基礎に雅味を重んじる。
- 御室焼:野々村仁清の工房系統。優美な色絵で知られる。
- 古清水:江戸前期の清水焼古作の総称。朽葉色釉に上絵を施す作調が基調。
- 五条坂:京都東山の陶業集積地。中期以降、新様式と磁器生産の中心。
- 押小路焼:京都押小路周辺の低火度彩釉陶。乾山や京焼の基盤技法となる。
- 染付:呉須(コバルト)で下絵を描く磁器様式。白地に藍が映える。
- 赤絵:上絵の赤彩を主調とする装飾技法。金彩併用で金襴手へ展開。
- 呉州赤絵:呉須の青と赤絵を併用した明末様式の写し。華やかな意匠。
- 交趾(法花):鉛釉を盛上げて色分けする彩釉技法。鮮烈な発色が特長。
- 金襴手:赤絵に金彩を重ねた豪華な装飾様式。茶道具・器物で重用。
- 祥瑞:明末景徳鎮に由来する文様様式の呼称。日本で尊ばれた意匠。
- 奥田頴川(陸方山):三条粟田口で磁器風の雅陶を興した名工。多様化の契機。
- 青木木米:頴川門の俊英。煎茶具や交趾写など軟陶に新風をもたらす。
- 高橋道八(二代・仁阿弥):磁器焼成に通じ、乾山風から彫塑的作品まで幅広く制作。
- 永楽保全(和全):法花・金襴手・祥瑞を和様化し、京の名門陶家を確立。

