志野焼とは(其の四 分類)

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伝世志野の分類は、以前は大掴みであったが、現在は作行・釉法の差異にもとづき、無地志野(むじしの)〔注:文様を施さず白長石釉のみで景色を観る類〕、志野(絵志野)〔注:鬼板(おにいた)=鉄分多い赤土や鉄絵具で釉下絵付する類〕、鼠志野(ねずみしの)〔注:鬼板で全面化粧し、掻き落としで文を白抜きにする類〕、赤志野(あかしの)〔注:鼠志野と同技法で赤く発色した類〕、紅志野(べにしの)〔注:鬼板ではなく黄土系化粧土を用いるとする説がある類〕、練上志野(ねりあげしの)〔注:白土に赤土を練り交ぜ、挽き上げた断面に層理文が現れる類〕に大別され、さらに荒川豊蔵は白天目(しろてんもく)〔注:白長石釉の天目。志野の先駆・同系として扱う立場〕を一類に加える。

無地志野は各窯に出土例が広く、無文・素直な轆轤挽きに早期様式の手触りが濃く、藪之内家伝来の古田織部(ふるた おりべ)所持茶碗のように瀬戸黒に形姿が近い碗も含む。白長石釉を掛けた志野天目(しのてんもく)〔注:白釉の和製天目〕も語義上は無地志野に含められるが、天目系の器形で志野の白と景色を示すため、分類上は「志野天目」と呼び分けることがある。

志野(絵志野)は最も一般的で、鬼板や鉄絵具で草花・格子・抽象線などを釉下に描き、厚い白釉の覆いと火色のにじみが筆致を和らげる。「卯花墻(うのはながき)」に代表される名碗群のほか、鉢・向付・皿に至るまで図様は多岐にわたり、とりわけ大萱や大平の作に優例が多い。鼠志野は鬼板化粧の面を掻き落として白抜き文を立て、灰色がかった釉相と白文の対比で静謐な調子を生む。

赤志野は同工法で還元雰囲気や土・灰の条件が相まって赤みが強く現れた群で、鼠志野と対をなす色相を示す。紅志野は鬼板を用いず、赤楽(あからく)と呼ぶ黄土系化粧土を施したとする伝承があり、生成機構は未詳ながら、やわらかい紅色の肌合いが特徴である。練上志野は異色土の層を挽き出して縞や渦の景を表し、名作「猛虎(もうこ)」に見られるような猛々しい斑文が茶趣と響き合う。

これら分類の背後には、穴窯の長時間焼成がもたらす火色と釉肌、長石釉の厚掛けが生む白と陰影、鬼板化粧と掻き落としの線表現、そして天目系から半筒・筒形への器形転換という複合要素がある。江戸初期以降に量を増す皿・向付では、火色の乏しいつるりとした釉肌に多彩な文様を載せる傾向が強く、これらは慶長期の織部様式と併走し、かつて「志野織部」と総称されたグループに重なる。

要約(300〜500字)
志野の体系的分類は、無地志野・絵志野・鼠志野・赤志野・紅志野・練上志野を基本とし、荒川豊蔵は白長石釉の天目を志野系の一類として付す。無地志野は早期の素直な轆轤碗を含み、白釉天目は志野の白を天目形で示す特例である。絵志野は鬼板や鉄絵を釉下に描いて白厚釉で包み、鼠志野は鬼板化粧を掻き落として白抜き文を現す。赤志野は同工法で赤相が強まり、紅志野は黄土系化粧土に由来するとされる。練上志野は異色土の層理を文様化し、「猛虎」に典型が見える。穴窯の長時間焼成・長石釉の厚掛け・鬼板化粧と掻き落とし・器形転換が相俟って、志野の多彩な表情と、慶長期に織部と併走する装飾的傾向を形成した。

【関連用語】

  • 志野:美濃の白長石釉・釉下鉄絵の茶陶。桃山に成立。
  • 天目:宋代建窯に源を持つ黒釉碗の系譜。和製天目は室町以降に隆盛。
  • 織部:古田織部由来の様式。緑釉と造形の奔放さが特色。
  • 唐津:肥前の茶陶。素朴な土味で桃山期から人気。
  • 美濃:岐阜県東濃の陶郷。志野・織部・黄瀬戸の主産地。