唐津焼とは (其の六 唐津と美濃の関係)

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桃山期、東の美濃と西の唐津は、ともに施釉陶(せゆうとう)〔注:釉薬を施して焼成する陶器〕を主軸に展開した代表的窯場でした。美濃は古瀬戸(こせと)以来の系譜を延ばし、唐津は朝鮮渡来の陶工が李朝陶風を伝えて創始されたため、成形法には大きな差が見られます。美濃は手轆轤(てろくろ)〔注:手で回す簡易ろくろ〕と、たたら作り〔注:粘土板を組む成形法〕・型抜き〔注:型に押し当てる方法〕を多用し、唐津は蹴轆轤(けろくろ)〔注:足で蹴って回すろくろ〕や叩作り(たたきづくり)〔注:木拍子で叩いて成形する技法〕が主でした。

一方で両者は、長石釉(ちょうせきゆう)〔注:長石を融剤とする透明~乳濁の釉〕などの施釉と、鉄絵具(てつえのぐ)〔注:酸化鉄系顔料〕による下絵付(したえつけ)〔注:釉の下に描画する技法〕を共通基盤とし、この共通性が文禄・慶長から元和にかけての作風交流をうながしました。鉄絵付の起源はなお判然とせず、朝鮮の鉄絵陶の系譜から唐津が先行したとも考えられますが、天正以前に遡る確証資料は乏しく、美濃では天正後期に鉄絵付が始まっていたと推測され、独自発生説も成り立ちます。古志野にみられる画題が唐津に乏しい点も、その独自性を裏づけます。

文禄以後の絵唐津(えがらつ)〔注:鉄絵で文様を描く唐津様式〕の文様や器形には、志野・織部の影響が歴然で、唐津独特の李朝風意匠の展開と併走しました。釉薬面でも、美濃は天文期には長石釉を使用しており、唐津も天正期までには導入、あるいは創始期から用いた可能性がありますが、どちらが源流かは断定し難い状況です。他方、唐津では早くから藁灰釉(わらばいゆう)による斑唐津(まだらがらつ)〔注:灰釉の溶変で斑文が出る様式〕が盛行し、美濃に同技法は見られず、少なくともこの領域で唐津は独自の展開を示しました。

器形の相互影響をみると、例外を除けば志野・織部は唐津からの影響が薄い一方、唐津は美濃から強い影響を受けました。唐津の繁栄が都会需要に支えられた以上、既に評価の定まっていた美濃の意匠・器形を採り入れるのは自然であり、とりわけ茶陶において織部好みが多量に焼かれました。それでも唐津は、渡来陶工の基層と地域の土味(つちみ)を保ち、本来の持ち味を失わずに独自の美質を提示し続けました。

要約(其の六|300〜500字)
美濃は古瀬戸系譜、唐津は李朝系技術に発し、手轆轤・たたら作り・型抜きの美濃と、蹴轆轤・叩作り中心の唐津という成形差が際立つ。他方で長石釉と鉄絵の下絵付を共有し、文禄~元和期に作風交流が深化した。鉄絵付の先後は未確定で、美濃の天正後期独自発生説も妥当性を持つ。文禄以後の絵唐津には志野・織部の強い影響がありつつ、唐津は藁灰釉の斑唐津など独自の釉技を展開。器形面では美濃→唐津の影響が強く、都会需要に応じた織部好みの生産が拡大したが、唐津は渡来陶工の技と地域性に根ざす美質を保った。

【関連用語】

  • 施釉陶:釉薬を施して焼成した陶器
  • 手轆轤/蹴轆轤:手回し・足蹴りで回転させる成形道具
  • たたら作り/型抜き/叩作り:板作り・型成形・叩き成形の各技法
  • 鉄絵具・下絵付:酸化鉄顔料で釉下に描く装飾法
  • 長石釉:長石を融剤に用いた透明~乳濁釉
  • 藁灰釉・斑唐津:藁灰由来の灰釉で生じる斑文の唐津様式
  • 絵唐津:鉄絵文様を特色とする唐津の一群
  • 志野・織部:美濃の茶陶様式。前者は長石釉と鉄絵、後者は大胆意匠
  • 古瀬戸:鎌倉期以降の瀬戸系統の古陶
  • 都会需要:堺・京都など都市市場の器物需要を指す用語