仁阿弥道八(にんなみ どうはち)の生涯と作域
仁阿弥道八(にんなみ どうはち、1783–1855)は、天明三年三月十日、京都・粟田口表町(あわたぐち おもてちょう)の陶家「高橋道八家(たかはし どうはちけ)」に次男として生まれ、諱(いみな)は光重(みつしげ)でした。父の初代道八は伊勢亀山の元藩士・高橋八郎大夫の次男で、宝暦期に粟田口へ移住して作陶を始め、諱を光重、名を周平、号を松風亭空仲(しょうふうてい くうちゅう)と称し、長男・周助光貴の夭折により次男が家督を継ぎ、弟の周平光吉ものちに名工と称されます。
文化元年(1804)に初代が没した時、二代は二十二歳でしたが、文化三年には早くも青蓮院宮(しょうれんいんのみや)の御用を仰せつかり、父に学んだ基礎の上に実務の技量を備えていたと考えられます。のちに父の「松風亭」を継いで後年「華中亭(かちゅうてい)」と改め、これが以後の高橋家の代々の雅号となりました。
その後、奥田頴川(おくだ えいせん)に師事して磁器(じき)〔注:高火度で焼成し緻密な白質素地を得るやきもの〕の製法まで幅広く学び、粟田口の宝山文造(ほうざん ぶんぞう)にも学んだと伝えられます。同門には早くから一家を成していた青木木米(あおき もくべい)や、同世代の欽古堂亀祐(きんこどう かめゆう)、楽只亭嘉助(らくしてい かすけ)、弟・周平、真葛長造(まくず ちょうぞう)らが並び、頴川が完成させた中国風磁器の語法が、停滞気味だった当時の京焼(きょうやき)に強い刺激を与えたことがうかがえます。
文化八年(1811)には窯を粟田口から清水坂(きよみずざか)へ移し、当初は頴川伝来の染付(そめつけ)〔注:呉須=コバルトで下絵を描く磁器装飾〕磁器で名を上げました。作品全体を見渡すと、中国趣味よりも仁清写し・乾山写し〔注:野々村仁清/尾形乾山の意匠を模す作域〕を主軸に、光悦写し〔注:本阿弥光悦風の意匠写し〕、空中写し〔注:古典意匠の写しの一種〕、各種の高麗茶碗(こうらいちゃわん)写しなど、茶の湯道具に卓抜した点が特色で、主に煎茶具を手がけた木米と好対照をなしました。
彫塑的作品への評価も高く、寿星(じゅせい/福禄寿)・寿老人(じゅろうじん)・布袋(ほてい)の置物に巧緻な作が伝わり、とりわけ乾山写しでは雲錦手(うんきんで)鉢や雪笹文(ゆきざさもん)手鉢に名品が見られ、乾山の意匠が道八の好みに深く合致していたことが察せられます。若年より勤仕した青蓮院宮をはじめ、醍醐三宝院宮(だいご さんぼういんのみや)、仁和寺宮(にんなじのみや)、西本願寺本如(ほんにょ)上人、歴代所司代の御用も務め、これらの関係が声望をさらに高めました。
文政七年(1824)には近江・石山寺(いしやまでら)の尊賢法親王(そんけん ほっしんのう)に帰依して剃髪し、依頼により「石山御庭焼(おにわやき)」〔注:禁裏・寺社・藩邸などの庭内に築かれた御用窯〕を興し、同年には西本願寺本如上人の御用窯「露山焼(ろざんやき)」を開窯、文政九年には仁和寺宮より法橋(ほっきょう)に叙されて「仁」の字を賜り、さらに醍醐三宝院宮より「阿弥」の号を拝受して「仁阿弥」と称するに至り、ここに「仁阿弥道八」の名が定まります。
文政十年には紀州徳川家の「偕楽園御庭焼(かいらくえん おにわやき)」に参仕し、十一年には和泉・貝塚で「願川寺御庭焼(がんせんじ おにわやき)」を、天保初年頃には嵯峨の豪商・角倉玄寧(すみのくら げんねい)のため「一方堂焼(いっぽうどうやき)」を興し、天保三年(1832)には高松藩主・松平頼恕(まつだいら よりひろ)に招かれて「讃窯(さんよう)」を開くなど、文政から天保にかけて華やかな活動を展開しました。
天保十三年に長男の三代道八へ家督を譲って以後は、伏見桃山・江戸町(ふしみ ももやま・えどまち)に隠居して桃山焼(ももやまやき)を興し、作陶を楽しみつつ安政二年(1855)に七十三歳で没しました。作品には「道八」「仁阿」「仁阿弥」「御室賜土作(おむろ しど さく)」の丸印、「桃山」の瓢形印(ひさごがた いん)、法螺貝形の輪郭に「道八」を収めた法螺貝印などが見られ、各御庭焼・窯ごとの銘印も併用され、讃窯には「讃窯道八」と記す作例も確認されます。なお高橋道八家の歴代で「仁阿弥」「土師(はじ)」の称号を許されたのは彼のみで、特に「仁阿弥道八」と称されました。
要約(300〜500字)
仁阿弥道八は、粟田口の高橋道八家に生まれ、若くして青蓮院宮の御用を務めつつ家業を継承し、のち頴川の磁器語法を学んで清水坂へ移窯、初期には染付磁器で声価を確立しました。作域は仁清写し・乾山写し、光悦写しや高麗茶碗写しなど茶の湯道具に卓越し、寿星・寿老人・布袋の彫塑でも妙を得ます。文政七年以降は石山・露山などの御庭焼を相次ぎ興し、「仁」「阿弥」の号を拝受して「仁阿弥道八」と定名、各藩・寺社の要請で讃窯ほかを開窯しました。天保十三年に三代へ家督を譲り、伏見桃山で桃山焼を楽しみつつ安政二年に没。多種の銘印と箱書が作品の出自を示し、幕末期京焼の中核的人物として位置づけられます。
【関連用語】
- 仁阿弥道八:粟田口出身の名工。茶道具と御庭焼に卓越。
- 高橋道八家:粟田口の陶家。道八の家督・雅号「華中亭」を継ぐ。
- 奥田頴川:中国風磁器を京に導入した先達。道八の師。
- 宝山文造:粟田口の陶工。道八が陶法を学んだ人物。
- 清水坂:道八が移窯した窯場。染付磁器で名声を得る。
- 染付:呉須の青で下絵を描く磁器装飾。京では頴川・道八が継承。
- 仁清写し/乾山写し:野々村仁清・尾形乾山の意匠を模す作域。
- 光悦写し:本阿弥光悦風の意匠写し。
- 御庭焼:宮家・寺社・藩邸の庭内御用窯。石山・露山・偕楽園など。
- 露山焼:西本願寺本如上人の御用窯。文政七年創始。
- 讃窯:高松藩ゆかりの窯。道八が天保三年に開く。
- 雲錦手/雪笹文:金銀彩や文様を施した乾山写しの代表意匠。
- 法橋:仏教美術に関わる僧位。道八は文政九年に叙任。
- 御室賜土作:御室ゆかりの土で作った意の銘印。
- 桃山焼:隠居後に伏見桃山で試みた作。

