京焼解説(7)永楽保全(えいらく ほぜん)

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永楽保全(えいらく ほぜん)の生涯と作域

永楽保全は、青木木米(あおき もくべい)や仁阿弥道八(にんなみ どうはち)より若く、寛政七年(1795)に京都の織屋・沢井家(さわいけ)に生まれ、幼少期は百足屋木村小兵衛(むかでや きむら こへえ)薬舗に奉公しつつ、大徳寺黄梅院(だいとくじ おうばいいん)の大綱宗彦(だいこう そうげん)に寄寓して学び、のちに子の和全(わぜん)と不和で江戸へ下向した折にも両者の勧めで京都へ復帰するなど、終生深い縁を結びました。

十三歳頃には大綱和尚の仲介で、室町末以来の土風炉師(どぶろし)〔注:茶の湯で用いる素焼の風炉を専門に作る職〕・西村家に入って十代西村了全(にしむら りょうぜん)の養子となり、同家の系譜――初代宗印(そういん)に始まり、春日大社供御器の調製を経て土風炉を専業とし、堺から京都へ移った二代宗善(そうぜん)・三代宗全(そうぜん)、さらに宗雲・宗筌・宗貞・宗順・宗円・宗巌(そうがん)へ続く――を受け継ぎました。とりわけ三代宗全の銅印が捺された風炉は「宗全風炉(そうぜんぶろ)」〔注:名物化した宗全作の土風炉〕として知られ、十代了全は天明の大火後に家を再興し、油小路一条橋詰町(あぶらのこうじ いちじょうばし つめちょう)に住して、土風炉や灰器のほか表千家伝来の安南染付長字茶碗(あんなん そめつけ ちょうじ ちゃわん)写しや、利休所持の瀬戸捻貫水指(せと ねじぬき みずさし)写しなど茶陶全般へ領域を広げ、名は表千家了々斎(りょうりょうさい)にちなみ、天保十二年(1841)に没しました。

この基盤を継いだ保全は、交趾(こうち)〔注:法花(ほうか)とも。盛上げ彩釉の華麗な色釉技法〕・青磁(せいじ)〔注:鉄分含有釉を還元焼成して青緑色を呈する〕・古染付(こそめつけ)〔注:明末景徳鎮民窯の染付様式〕・祥瑞(しょうずい)〔注:明末の文様様式名〕・赤絵金襴手(あかえ きんらんで)〔注:赤絵に金彩を重ねる豪華な上絵〕に加え、仁清写し・高麗茶碗(こうらいちゃわん)写し〔注:朝鮮半島系茶碗の意匠模倣〕まで咀嚼し、意匠と釉法を工夫して当代嗜好を映す新製の茶陶を多数生み、幕末京焼の三名工の一人と称されました。伝承では、西村家入りから文政十年(1827)に紀州徳川家の御庭焼(おにわやき)〔注:宮家・寺社・藩邸の庭内御用窯〕へ参仕するまで、およそ二十年を技術鍛錬に費やしたとされます。

同年十月、表千家・吸江斎(きゅうこうさい)に随って西浜御殿の御庭焼に従事し、「河濱支流(かひん しりゅう)」の金印と「永楽(えいらく)」の銀印を拝領して以後の作に用い、「永楽」は永楽年間(1403–1424)の充実にちなむとも言われ、「河濱支流」は『史記』「舜陶河濱」の故事に拠ると解され、家では「永楽」を号として用い、了全も箱書や捺印で「永楽了全」と記し、姓としての「永楽」は子の和全の代、明治元年(1868)から公称されました。

同年七月には越前守藤原光寧(えちぜんのかみ ふじわら の みつやす)より通称・善五郎に加えて「保全(ほぜん)」の名を授かり、天保十四年(1843)には名を善五郎から善一郎へ改め、以後の箱書に「善一郎造」を見ます。嘉永二年(1849)には鷹司家(たかつかさけ)の命で近衛家蔵の名物「揚名炉(ようめいろ)」〔注:近衛家伝来の風炉名〕を写して功により「陶鈞(とうきん)」二字を賜り、また「陶鉤軒(とうこうけん)」とも号し、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)から「以陶世鳴(いとう せいめい)」の扁額を拝受、作品に「以陶世鳴陶鈞軒河濱支流永楽保全」と二行の銘を記した例も伝わります。

嘉永三年(1850)、長子・和全との不和から江戸へ出るも志ならず、翌四年には大綱和尚と百足屋老人の意見に従って帰洛の途に就き、大津滞在中に京都の家が火災に遭ったため、円満院門跡宮(えんまんいん もんぜきのみや)の沙汰で湖南焼(こなんやき)を興し、「三井御浜(みい みはま)」「長等山(ながらやま)」「河濱」の印を捺した作を残し、嘉永五年春には高槻藩・永井家の御庭焼「高槻焼(たかつきやき)」に参仕しました。嘉永七年(1854)九月十八日、保全は六十歳で没し、晩年は火災もあって経済的に恵まれなかったものの、常に窯を起こして技を磨くことを旨とし、幕末から今日に至る京焼茶陶に大きな足跡を刻みました。


要約(300〜500字)
永楽保全は1795年、京都の織屋に生まれ、大徳寺黄梅院の大綱宗彦のもとで教養を培い、十三歳頃に土風炉師の名門・西村家へ入り十代了全の養子となりました。宗全風炉に象徴される家業の伝統を踏まえつつ、交趾・青磁・古染付・祥瑞・赤絵金襴手、さらに仁清写しや高麗写しなど多様な語法を吸収して新製茶陶を創出、幕末京焼三名工の一人と称されます。1827年の御庭焼参仕で「河濱支流」「永楽」の印を拝受し、のち「陶鈞」の二字や「以陶世鳴」の扁額も賜りました。和全との不和や自邸の火災に見舞われながらも湖南焼・高槻焼など各地で窯を興し、常に制作と技術研鑽を続け、京焼茶陶の近世末を画する重要な作家として評価されます。

【関連用語】

  • 永楽保全:幕末京焼三名工の一。交趾・青磁・古染付など多技法で新製茶陶を創出。
  • 西村家:室町末以来の土風炉師家。宗全風炉で名高く、保全は十代了全の養子。
  • 宗全風炉:三代宗全の銅印が捺された名物土風炉の呼称。
  • 御庭焼:宮家・寺社・藩邸の庭内で営む御用窯。保全は各地で参仕。
  • 交趾(法花):盛上彩釉の色鮮やかな技法。保全の重要作域の一つ。
  • 古染付/祥瑞:明末景徳鎮系の文様様式。茶の湯で賞玩され写しも盛ん。
  • 赤絵金襴手:赤絵に金彩を重ねる華麗な上絵様式。
  • 青磁:還元焼成で青緑を呈する釉のやきもの。和様化して茶陶化。
  • 吸江斎:表千家家元の一。保全は西浜御殿御庭焼に随行。
  • 「河濱支流」印:「舜陶河濱」の故事にちなむ金印。保全の代表銘。
  • 「永楽」印:永楽年間にちなむ号・印。のちに家の姓ともなる。
  • 湖南焼:大津で円満院門跡宮の沙汰により開いた窯。三井御浜等の印を用いる。
  • 高槻焼:高槻藩・永井家の御庭焼。嘉永五年に保全が参仕。
  • 仁阿弥道八/青木木米:同時代の京焼名工。保全と並ぶ幕末京焼の中核。