【原文】[Original text]
吉の元
吉の元の古窯品には、前記の如く飴釉薄青茶釉或は鶯茶釉等の小皿があり、又七八寸の大皿がある。何れも高臺無釉にて形頗る小さく、中に小皿の如きは、徑五分位のものさへある。又大皿の一ヶ所乃至二ヶ所が、割高臺に成つてゐるのは、底部への火廻りを迅速ならしめんとの考案に因るか。其外天目茶碗や灰色釉茶碗があり、何れも高臺無釉にて、多く目積焼である。
茶碗や水指には、高き竹の節高臺があり、それが淺き繰取の痕が、雌尻に成ったのもある。そして鐡釉にて草の如き文様を描きしものや、又大皿の擂鉢形或は小皿の溝など、全く原明窯の谷と同技巧たることが注目に價する。
吉の元の墳墓
又此處には韓人墓頗る多く、今尚七八基ある由聽きしも、密林参差して邃に探ることを得ざりしが、多く正徳年間(1711-1716年)のものとあれば、最早歸化して數代をしもの如く、又木原の古文書には吉の元より移住せし人々として池田氏二人、横石氏二人、樋口氏二人、岩永氏一人、石田氏一人、山村氏一人あり。而して此同姓にて木原大神宮碑の施主中に連名せるは、元祿九年(1696年)とあるを考ふれば、吉の元の墓主は最早熟化せる韓人であらう。
前平の韓人墓
吉の元の向ひなる前平と稱する太子堂の傍に墓地ありて、其處の樫の大樹の根元に、韓人墓と稱せらるゝ一基の碑がある。高さ四尺五寸位、巾二尺五寸位の平たき自然石にて、上に梵字が大きく刻まれ、其下に宗全及妙永と並んで夫婦らしく記されてある。而して其根幹の成長と共に押冠ぶされし碑は、四十五度位に傾斜せるまゝ、其根にしか抱込まれて、微動だもせぬやうになつてゐる。
柳の元
吉の元の西南四丁斗りを隔てし隣山が柳の元にて、此處の古窯品も弥吉の元大同小異である。中に古萩焼と見紛氷裂出淡黄釉の茶碗があり、或は黒天目の寂びたる茶壺がある。又飴釉や灰色釉にて、八寸より尺口位の縁淵皿や、揺鉢形大皿に結び鳥を鐵描せしものなどは、吉の元同様驚く可き小高臺にて、それが反飜つて幾枚も焼付いたのがある。又赤粘土へ薄く白化粧せし目積深皿や、薄綠釉糸切の小皿があり、そして後代には染附物の磁器を製し、中には辰妙なご發見されたのである。
木原山は吉の元より十丁餘を隔てし山間にて此處には地藏平、下窯、谷窯、西窯、東窯、堂の前等の古窯趾がある。
地蔵平
地藏平の古窯品には、吉の元や柳の元に見る結び鳥を捕せし大皿があり、又飴釉に同じ鐵描せし目積小皿や茅なご描ける茶碗がある。又同釉にて糸切底の徳利を目積にて焼きしもの、或は下呉洲にて文様せし底目積の七寸丼がある。又褐色胎土に白化粧を施し鐵描の小皿が、底釉蛇の目に剥ぎ取り、目砂を敷きて焼かれて居り何れも高臺無釉である。
其他鶯釉や薄墨釉、栗釉、小豆色釉等に縞刷毛目を施せし茶碗の如きは、其後進歩の作品なる可く、猶後代物には、軟質磁器に鳥羽繪の文様や、李朝風の染附などがあり、青磁は原料の關係に因るか共數稀なるも、作品には釉面に針彫又は第彫にて、花鳥模様が飾されてゐる。
木原谷窯
谷窯の古窯品には、暗紫釉に白にて縞刷毛目を施せし茶漬茶碗や、栗色釉に霙刷毛目の茶碗や、金茶釉に内外濤亂刷毛目の茶碗があり、桃色釉小氷裂出の茶碗に、呉洲筋を施せしものがある。又高無釉物には、褐色胎土へ黒茶釉を施し、それに縞刷毛目をせしものや、白化粧せし蛇の目積の皿茶碗があり、或は半磁器にて薄青釉に吳洲描せしもの等がある。
木原西窯
西窯の古窯品には、鶯釉無釉高臺の小皿があり、或は栗色釉に縞刷毛目を施せし反茶漬碗がある。又同釉にて浪刷毛目に、内霙刷毛目の茶碗があり、此處にも皿の底を蛇の目に剥ぎ取って、目砂を敷いて焼かれたのがある。
木原東窯
東窯の古窯品には、栗色釉に波刷毛目を施し、内に霙刷毛目を文飾せし深茶碗があり又炻器の如き褐色釉茶碗の蓋に、高臺が無釉ながら兜巾に成ったのがある。或は薄鼠色の半磁器に鐵釉にて書をかきし茶碗などもある。
木原下窯
下窯の古窯品には、褐色胎土に、氷裂出淳 青地の蛇の目積小皿や、其他種々の無釉高物あるも、進歩せる製品には、暗色鶯釉丸形の茶碗に、外小形立浪刷毛目を施し、内には木の根の如き霙刷毛目を文飾せるが、細工も頗る巧みに全く現川式の出来栄えである。
又栗色釉や、小豆釉、赤茶釉等に、白の浪刷毛目があり、或は栗茶釉に、小刻みの浪刷毛目を施し、内には霙刷毛目を文飾せし茶碗がある。其他黒茶釉や小豆色釉に、小波刷毛目を施せし突立の火入があり、又鶩茶釉や小豆釉の反茶漬碗に、縞刷毛目や波刷毛目を施したのがある。
堂の前
堂の前(庵の前さもいふ)の古窯品には、無釉高臺の低き小皿に、小氷裂手の青釉や灰色釉を掛けしものがある、或は栗色地魚形の手塩皿に、筆化粧を施せし巧妙なる薄手物があり、又同じ魚形の香合や、同手の長角形に、象嵌模様ある香合など、何れも炻器質に焼かれてゐる。其外に禱亂刷毛目を施せし五寸井等がある。
又鼠色釉平形碗の巧妙な細工に、波刷毛目及梅白紋を象嵌し、内に霙刷毛目を現はせしものや栗茶釉の反形碗の内外に、霙刷毛目を施し、其腰部丈け細かに、波毛目を文せしものがある。或は同釉にて小波刷毛目や、立浪刷毛目の巧妙な茶碗もある。
又高さ七寸の樽形の水指に、緑は霙刷毛目を施し胴の雨面に雲刷毛目を文し、そして呉洲にて達筆なる蘭を描き、なほ柄には群青釉を流せしものがあり。又黒栗釉に蓮華刷毛目を施し、或は茶色釉に、呉洲にて蘭花を散文し、又は藤の花や鷺を白にて象嵌せし分銅形切綠六寸の向附皿などは、全く現川風である。其他薄鼠色磁器時代の物には蛇の目積せる粗製の小皿などもある。
此外木原の古窯品には、鼠色釉に呉洲山水を描きし深茶碗や、又天目釉に白釉にて葉蘭の繪刷毛目を交せし三寸の火入や、栗色釉に白の獨樂筋刷毛目を施せる、四つ目積の四寸丼があり。或は黒褐色釉に、白にて根〆刷毛目を施せし、三寸五分の突立形火入などがある。
木原の磁器
斯の如き巧妙なる木原の刷毛目も時代の流れには逆行し難く、途には黒物の緞帳を引下ろして白磁の新幕に掛替へるの止むを得なかつた。最初は何れの窯も、皆薄鼠色の軟質磁器を焼いてゐるが、それは多く厚手の深形碗にて下吳洲にて粗き縁書をなし、下に殺風景な山水を書きなぐつてゐる。共後網代の使用を許さるゝに至り、一面天草原料の應用と共に、色相全く改良されしと見るべきであらう。
小山田と横石
木原焼は申すまでもなく、陶器さして特に刷毛目に於いて特種の技能を有し、松浦藩主の用品の如きも、此地の擔當者小山田佐平同横石藤七兵衛が命せられたのである。殊に横石家は代々其製作者なりしを以て、磁器としての發展は頗る後代に属してゐる。而して此地一般陶家磁器へ轉換せし時代より、特に西窯の如きは、二十七間の登りにて盛んに製造せしものにて、彼の三寸五分の茶碗に呉洲にて大阪新町お笹紅と記せる深形紅碗など、當時大いに製作されたのである。黒物より磁器へ轉換せし、時代を記せる此處の古文書に、其頃の事を書留めたのがある。
盃一ツ六八色にて百二十文致し段々焼立花瓶、丼、火入其他繪藥は唐人持來り灰は地灰使ひ候得共白物と成りてより日向國より檮の皮灰を相用ひたる也
又當時に於いては、白磁の質は玉の如く貴く、木原にて里見の廣東、(深形の廣東茶漬碗)池田の九菊(粗雑な菊花詰猫の煎茶碗)横藤の盃と稱せられ、大阪筋にて争うて買取られし由にて、横藤の盃を行李一杯携帯して上阪すれば、歸途は膽きも切れぬ莫大な金に代はりしといはれた位である。蓋し此盃は巧妙なる薄手物にて、坏土削り上げの際、一個二匁四分(9g)を越えざる様、一々秤り試せしといはれている。
【現代語訳】[Modern Japanese translation]
吉の元の古窯品には、飴釉・薄青茶釉・鶯茶釉などの小皿や、七~八寸の大皿が見られる。いずれも高台は無釉で小ぶり。小皿には径五分ほどの極小品もある。大皿の一~二か所に割高台があるのは、底への火回りを速める工夫と思われる。このほか天目茶碗や灰色釉の茶碗も多く、いずれも高台無釉で、目積焼が主流である。茶碗や水指には「竹の節高台」が高く立ち、浅い削り痕が雌尻になったものもある。鉄釉で草文を描く作や、大皿の擂鉢形・小皿の溝の処理など、技巧は原明の「窯の谷」と同系で注目される。
吉の元周辺には韓人墓が多く、今も七~八基あると伝わる。多くは正徳年間(1711~1716)のもので、すでに帰化し数代を経た人びとの墓とみられる。木原の古文書には、吉の元から移住した人々として池田氏二、横石氏二、樋口氏二、岩永氏一、石田氏一、山村氏一の名が見える。これらと同姓が元禄九年(1696)の木原大神宮碑の施主連名にあることからも、墓主は土地に根づいた韓人だったのだろう。
吉の元の向かい、前平の太子堂そばの墓地では、樫の大樹の根元に韓人墓とされる碑が一基ある。高さ四尺五寸、幅二尺五寸ほどの自然石で、上部に大きな梵字、下に宗全・妙永と並記され夫婦墓と見える。成長した根に押し冠され、四十五度ほどに傾いたまま根に抱きこまれて動かない。
柳の元は吉の元の西南四丁ほどの隣山で、古窯品は概ね吉の元に同じ。古萩風に見える氷裂手の淡黄釉茶碗、寂びた黒天目の茶壺、飴釉・灰色釉の縁淵皿(八寸~尺口)や揺鉢形大皿に結び鳥を鉄描したものなどがあり、驚くほど小さな高台で、ひっくり返って何枚も焼き付いた例もある。赤土に薄く白化粧した目積の深皿、薄緑釉の糸切小皿も見え、のちには染付磁器も焼かれ、珍品の発見もあった。木原山は吉の元から十丁余の山間で、地蔵平・下窯・谷窯・西窯・東窯・堂の前など古窯跡が点在する。
地蔵平には、吉の元や柳の元と同じ結び鳥文の大皿、飴釉に鉄描の目積小皿や茅文の茶碗、同釉で糸切底の徳利を目積で焼いた品、下呉洲で文様を施した底目積の七寸丼などがある。褐色胎に白化粧・鉄描の小皿は、底釉を蛇の目に剥いで目砂を敷いて焼き、いずれも高台無釉。さらに鶯釉・薄墨釉・栗釉・小豆色釉に縞刷毛目を施した茶碗は、後進期の作品。のちの軟質磁器には鳥羽絵や李朝風の染付も見られ、青磁は材料の事情から稀だが、釉面に針彫・彫り出しで花鳥を飾った作もある。
木原の谷窯には、暗紫釉に白の縞刷毛目の茶漬茶碗、栗色釉の霙刷毛目、金茶釉に内外濤乱刷毛目の茶碗、桃色釉の小氷裂手に呉洲筋を施した茶碗など。高台無釉の系統では、褐色胎に黒茶釉+縞刷毛目、白化粧の蛇の目積皿・茶碗、半磁器で薄青釉に呉洲描のものもある。
西窯には、鶯釉で高台無釉の小皿、栗色釉に縞刷毛目の反茶漬碗、同釉で浪刷毛目+内霙刷毛目の茶碗があり、ここでも皿底は蛇の目に剥いで目砂を敷いて焼く。東窯には、栗色釉に波刷毛目・内霙刷毛目の深茶碗、炻器然とした褐色釉茶碗の蓋で高台が無釉の兜巾形、薄鼠色の半磁器に鉄釉で書を記した茶碗など。
下窯には、褐色胎に氷裂手の淡青地で蛇の目積の小皿、ほか無釉高台の作が多い。進歩期の製品として、暗色鶯釉の丸茶碗に外は小立浪刷毛目、内は木の根のような霙刷毛目を配した現川式の巧緻な作がある。栗色釉・小豆釉・赤茶釉に白の浪刷毛目、栗茶釉に細かな浪刷毛目+内霙刷毛目の茶碗、黒茶釉・小豆色釉に小波刷毛目の突立火入、鶩茶釉や小豆釉の反茶漬碗に縞・波刷毛目を施したものも見られる。
堂の前(庵の前とも)は、低い無釉高台の小皿に小氷裂手の青釉・灰色釉を掛けたもの、栗色地の魚形手塩皿に筆化粧を施した薄手、同魚形の香合や長角の象嵌香合など炻器質の作がある。ほか、濤乱刷毛目の五寸鉢。鼠色釉の平碗に波刷毛目と梅白紋の象嵌、内に霙刷毛目を見せる作、栗茶釉の反形碗の内外に霙刷毛目、腰のみ細かな波目を配したもの、小波・立浪刷毛目の巧みな茶碗もある。樽形七寸の水指に緑の霙刷毛目、胴に雲刷毛目、呉洲で達筆の蘭、把手に群青釉を流した作、黒栗釉に蓮華刷毛目、茶色釉に呉洲の蘭花散文、白象嵌で藤や鷺を配した分銅形切綠六寸向付など、まさに現川風。薄鼠色磁器期の蛇の目積の粗製小皿も残る。
やがて時流により、木原の卓抜な刷毛目も黒物から白磁への転換を迫られた。初期は薄鼠色の軟質磁器が多く、厚手の深碗に下呉洲で粗い縁書、下部に素っ気ない山水を走り描きにした。しかし網代の使用が許され、天草原料の併用も進むと、色調は大きく改善した。
木原焼はもとより陶器、とりわけ刷毛目で独自の妙があり、松浦藩主の用品も小山田佐平・横石藤七兵衛が担った。横石家は代々の製作家で、磁器の発展はやや後代。転換期には西窯などで二十七間の登り窯が盛んに稼働し、三寸五分の深形紅碗に「大阪新町お笹紅」と呉洲で記した品などが多く作られた。古文書には当時の転換の実情も記される――「盃一ツ六八色にて百二十文…白物となりてより日向國より檮の皮灰を用う」と。白磁は玉のごとく尊ばれ、木原では里見の廣東(深形の廣東茶漬碗)、池田の九菊(菊花詰の煎茶碗)、横藤の盃が称ばれ、大阪筋で争奪。横藤の盃を行李一杯携え上阪すれば、帰途は巨財に化したという。盃は薄手妙技で、削りの際に一個二匁四分(約9g)を超えぬよう一々秤で確かめたと伝わる。
【英語訳】[English translation]
At 吉の元, old kiln wares include small plates in amber glaze, pale blue-brown glaze, and “uguisu-brown,” as well as large dishes of seven to eight sun. Feet are unglazed and notably small; some tiny plates measure only five bu across. Large dishes sometimes have one or two split foot-rings, likely to speed heat flow to the base. Tenmoku bowls and gray-glazed bowls are also common, again with unglazed feet and stacked firing (目積). Bowls and water jars often bear tall “bamboo-node” feet; shallow trimming marks can form a female-tail profile. Grass-like iron-painted motifs, mortar-shaped rims on big dishes, and grooved wells on small plates closely parallel the techniques of 原明の窯の谷.
Many Korean graves remain around 吉の元—reported as seven or eight stones, mostly from the Shōtoku era (1711–1716), indicating families naturalized for generations. Kihara records list migrants from 吉の元—two Ikeda, two Yokoishi, two Higuchi, one Iwanaga, one Ishida, one Yamamura. The same surnames appear as patrons on the 木原大神宮碑 (Genroku 9, 1696), suggesting those at 吉の元 had settled deeply. Across at 前平 by the 太子堂 stands a “Korean” grave: a natural slab (≈4 shaku 5 sun × 2 shaku 5 sun) with a large Siddham letter and the paired names 宗全 and 妙永. The tree’s root has pressed the stone to a 45° lean and locked it fast.
柳の元, four chō southwest, yields much the same corpus: a crackled pale-yellow bowl akin to old Hagi, a patinated black-tenmoku tea jar, rimmed plates (eight sun to a shaku) and large “swing-bowl” platters with iron-painted knot-birds, all on astonishingly tiny feet—sometimes fused in inverted stacks. There are deep stacked-firing bowls with thin white slip over red clay, thread-cut small plates in pale green glaze, and later染付 porcelains—some rare finds. 木原山, ten-plus chō from 吉の元, preserves sites at 地蔵平, 下窯, 谷窯, 西窯, 東窯, and 堂の前.
At 地蔵平: large dishes with knot-bird motifs; amber-glazed, iron-painted stacked small plates; grass-motif tea bowls; thread-cut-base flasks; seven-sun bowls with “bottom stack” rings drawn in under-cobalt (下呉洲). Brown bodies with white slip and iron drawing show “snake’s-eye” scraped centers set on saggar sand; all with unglazed feet. Later wares add uguisu, light-ink, chestnut, and azuki glazes with striped brush-work; still later, soft-paste porcelains carry bird-feather patterns or Joseon-style染付. Celadon is rare (materials), yet some pieces bear incised/relief flower-and-bird on the glaze.
谷窯: rice-bowl forms in dark-purple glaze with white stripes; chestnut with sleet-brush; golden-brown with stormy brush in/out; pink with fine crackle and cobalt lines. Unglazed-foot types include brown clay with black-tea glaze and stripes; white-slipped “snake’s-eye” plates; semi-porcelain in pale blue with cobalt painting. 西窯: uguisu-glazed small plates with bare feet; chestnut with striped brush; wave-brush outside and sleet-brush inside; again “snake’s-eye” scraped centers on sand. 東窯: chestnut with wave brush, inner sleet brush; stoneware-like brown-glazed covers whose unglazed feet form helmet-shapes; thin-gray semi-porcelain bowls inscribed in iron.
下窯: brown-body, crackled light-blue “snake’s-eye” small plates and other bare-foot types; among advanced works, a dark-uguisu rounded bowl with small standing-wave brush outside and root-like sleet brush within—finely made in the 現川 manner. Also chestnut/azuki/red-brown with white wave brush; chestnut-brown with fine wave brush and inner sleet; black-tea or azuki glazes with small-wave brush on tall incense cups; mallard-brown or azuki rice-bowls with striped/wave brush.
堂の前 (also 庵の前): low, unglazed-foot small plates in fine crackled blue or gray; deft, thin fish-shaped salt plates with brushed slip; fish-shaped and long-rectangular incense boxes with white inlay—stoneware in tone; storm-brush five-sun bowls. There are flat gray-glazed bowls with inlaid wave brush and “ume-white” motifs, inner sleet brush; chestnut-brown reverse-shaped bowls with sleet brush inside and out and fine waist-band waves; small-wave and standing-wave masterpieces. A seven-sun cask-shaped mizusashi bears green sleet brush, cloud brush on the body, a bold orchid in cobalt (呉洲), and ultramarine glaze on the handle. Lotus-brush on black-chestnut glaze; tea-brown with cobalt orchids; white-inlaid wisteria and herons on six-sun, weight-shaped serving dishes—decidedly 現川 style. Thin-gray porcelain-period small dishes show rough “snake’s-eye” stacking marks.
With time, even 木原’s brilliant brush-work yielded to the shift from black-ware to white porcelain. Early on, kilns fired soft, thin-gray porcelain—thick deep bowls with rough cobalt rim-lines and sketched landscapes. After Ajiro use was permitted and Amakusa ingredients adopted, color and body improved markedly.
木原焼 excelled in pottery—especially brush-decor—and furnished 松浦藩主 wares via 小山田佐平 and 横石藤七兵衛. The 横石 line produced for generations, so porcelain development came later. Once conversion began, 西窯, with a 27-ken climbing kiln, fired vigorously; among the outputs, deep red bowls (3 sun 5 bu) with “大阪新町お笹紅” in cobalt. A document notes the times: cups sold “six or eight colors for 120 mon… with white-ware came bark-ash from 日向國,” replacing local ash. White porcelain, esteemed “like jade,” saw famed lines—里見の廣東 (deep Guangdong rice-tea bowls), 池田の九菊 (densely floral sencha), 横藤の盃—snapped up in Osaka. A trunk of 横藤 cups could return as a fortune. Each ultra-thin cup was trimmed so a single piece would not exceed 2 momme 4 bu (≈9 g), checked on the scale one by one.
【中国語訳(現代語訳から簡体字)】[Chinese Simplified from Japanese]
在吉の元,古窑品有飴釉、薄青茶釉、鶯茶釉等小皿,亦见七八寸大皿。皆为高台无釉且器形偏小,小者径至五分。大皿一二处设“割高台”,多为加速底部受热之策。另有天目茶碗与灰釉茶碗,亦多用目積烧、足无釉。茶碗与水指常见“竹の節高台”,浅削痕呈“雌尻”。铁釉草纹、大皿擂鉢形与小皿沟作法,皆与原明之「窯の谷」同法可注意。
吉の元附近韩人墓甚多,多为正德年间,显系归化数代之人。木原文书载自吉の元移住者:池田氏二、横石氏二、樋口氏二、岩永氏一、石田氏一、山村氏一;同姓亦见于元禄九年木原大神宮碑施主,足证其土著化。前平太子堂侧有一“韩人墓”,自然石刻大梵字,下书宗全与妙永,如夫妇墓,被樟根挤压,倾四十五度而稳固。
柳の元(距西南四丁)所出与吉の元大同;有似古萩之冰裂淡黄釉茶碗、寂黑天目茶壶,飴/灰釉之縁淵皿与揺鉢形大皿绘“结び鳥”,高台极小,常见反置烧结。亦有赤土薄白化妆之目積深皿、薄绿釉糸切小皿,后期烧染付磁器且有珍品。木原山距十余丁,存地蔵平、下窯、谷窯、西窯、東窯、堂の前诸遗址。
地蔵平见结び鳥大皿、飴釉铁描目積小皿与茅纹茶碗、同釉糸切底徳利之目積烧、下呉洲绘底目積七寸丼。褐胎白化妆铁描小皿多“蛇の目”剥底敷砂烧,足皆无釉。更有鶯/薄墨/栗/小豆釉加縞刷毛目之茶碗(后期作),及软质磁器之鳥羽绘、李朝风染付。青瓷稀少,然见釉上针/彫花鸟装饰。
谷窯有暗紫釉白縞茶漬碗、栗色釉霙刷毛目、金茶釉内外濤亂刷毛目、桃色釉小冰裂配呉洲筋。高台无釉系:褐胎黑茶釉配縞、白化妆蛇の目積皿碗;半磁器薄青釉配呉洲描。西窯:鶯釉小皿(足无釉)、栗色釉縞反茶漬碗、浪刷毛目+内霙刷毛目,并行“蛇の目”刮底敷砂烧。東窯:栗色釉波刷毛目+内霙刷毛目深碗、褐釉碗盖作兜巾形无釉高台、薄鼠色半磁铁书碗。
下窯:褐胎淡青冰裂“蛇の目積”小皿及诸多无釉足;进步期有暗鶯釉丸碗,外小立浪刷毛目、内木根状霙刷毛目,精致乃現川式。又有栗/小豆/赤茶釉白浪刷毛目、栗茶釉细浪+内霙、黑茶/小豆釉小波刷毛目之突立火入,及鶩茶/小豆釉反茶漬碗之縞/波刷毛目。
堂の前(庵の前)出无釉低足小皿施小冰裂青/灰釉,栗色地鱼形手盐皿施笔化妆之薄胎,鱼形与长角香合作白象嵌呈炻器质;另有濤亂刷毛目之五寸鉢。鼠釉平碗嵌波刷毛目与梅白纹、内显霙刷毛目;栗茶釉反形碗内外霙刷毛目、腰部细波目;同釉小波与立浪之佳作。七寸樽形水指:绿霙刷毛目、胴云刷毛目、呉洲绘兰、柄流群青釉。黑栗釉莲华刷毛目、茶釉呉洲散兰、白象嵌藤与鷺之分銅形切綠六寸向付,尽显現川风。薄鼠色磁器期亦有蛇の目積粗小皿。
其后随时势所向,木原之妙刷毛目亦由黑物转白磁。初期多薄鼠软质磁器:厚深碗,下呉洲粗缘书与简山水。允用網代并并用天草原料后,色相显著改善。木原焼以刷毛目见长,松浦藩主用品由小山田佐平・横石藤七兵衛主理。横石家世袭,磁器发展稍晚。转型时西窯二十七间登窑大作,三寸五分深红碗以呉洲书“大阪新町お笹紅”。古文书述:“盃一ツ六八色百二十文……白物后用日向國檮皮灰”。白磁如玉珍贵,“里見の廣東”“池田の九菊”“横藤の盃”名噪大阪;横藤盃满笼上阪,归来巨利。其盃薄胎妙技,修坯定量,一只不逾二匁四分(约9g)。
【中国語訳(現代語訳から繁體字)】[Chinese Traditional from Japanese]
在吉の元,古窯品有飴釉、薄青茶釉、鶯茶釉等小皿,亦見七八寸大皿。皆高臺無釉且器形偏小,小者徑至五分。大皿一二處設「割高臺」,蓋為促底部受熱。亦多天目茶碗與灰釉茶碗,皆行目積燒。茶碗與水指常具「竹の節高臺」,淺削痕成「雌尻」。鐵釉草紋、大皿擂鉢形與小皿之溝作,與原明「窯の谷」同技可注意。
吉の元周邊韓人墓甚多,多屬正德年間,推為歸化數代。木原文書載自吉の元移住者:池田氏二、横石氏二、樋口氏二、岩永氏一、石田氏一、山村氏一;同姓見於元祿九年木原大神宮碑施主,足證土著化。前平太子堂旁一「韓人墓」為自然石,刻大梵字,下記宗全與妙永,似夫婦墓,被樹根擠壓,斜四十五度而不動。
柳の元(西南四丁)所出與吉の元大同;有近古萩之冰裂淡黃釉茶碗、寂黑天目茶壺,飴/灰釉縁淵皿與揺鉢形大皿畫結び鳥,高臺極小,常見倒置燒結。亦有赤土薄白化妝之目積深皿、薄綠釉糸切小皿,後期燒染附磁器且有珍品。木原山去十餘丁,存地蔵平、下窯、谷窯、西窯、東窯、堂の前等遺址。
地蔵平見結び鳥大皿、飴釉鐵描目積小皿與茅紋茶碗、同釉糸切底德利之目積燒、下呉洲繪底目積七寸丼。褐胎白化妝鐵描小皿,多「蛇の目」剝底敷砂燒,足皆無釉。另有鶯/薄墨/栗/小豆釉配縞刷毛目之茶碗(後期作),及軟質磁器之鳥羽繪、李朝風染附。青磁稀少,然見釉上針/彫花鳥。
谷窯:暗紫釉白縞茶漬碗、栗色釉霙刷毛目、金茶釉內外濤亂刷毛目、桃色釉小冰裂配呉洲筋。高臺無釉系:褐胎黑茶釉+縞、白化妝蛇の目積皿碗;半磁器薄青釉配呉洲描。西窯:鶯釉小皿(足無釉)、栗色釉縞反茶漬碗、浪刷毛目+內霙刷毛目,並行「蛇の目」刮底敷砂燒。東窯:栗色釉波刷毛目+內霙刷毛目深碗、褐釉碗蓋作兜巾形無釉高臺、薄鼠色半磁鐵書碗。
下窯:褐胎淡青冰裂「蛇の目積」小皿與諸多無釉足;進步期有暗鶯釉丸碗,外小立浪刷毛目、內木根狀霙刷毛目,精緻乃現川式。亦有栗/小豆/赤茶釉白浪刷毛目、栗茶釉細浪+內霙、黑茶/小豆釉小波刷毛目之突立火入,及鶩茶/小豆釉反茶漬碗之縞/波刷毛目。
堂の前(庵の前):無釉低足小皿施小冰裂青/灰釉;栗色地魚形手鹽皿筆化妝之薄胎;魚形與長角香合白象嵌,呈炻器質;另有濤亂刷毛目五寸鉢。鼠釉平碗嵌波刷毛目與梅白紋、內現霙刷毛目;栗茶釉反形碗內外霙刷毛目,腰部細波;同釉小波與立浪之佳作。七寸樽形水指:綠霙刷毛目、胴雲刷毛目、呉洲蘭、柄流群青釉。黑栗釉蓮華刷毛目、茶釉呉洲散蘭、白象嵌藤與鷺之分銅形切綠六寸向付,盡現現川風。薄鼠磁器期亦見蛇の目積粗小皿。
其後隨時勢,木原之刷毛目亦自黑物轉白磁。初期多薄鼠軟質磁器:厚深碗,下呉洲粗緣書與簡筆山水。允用網代並用天草原料後,色相大為改良。木原焼以刷毛目稱妙,松浦藩主用品由小山田佐平・横石藤七兵衛主承。横石家世襲,磁器發展稍晚。轉型時西窯二十七間登窯大作,三寸五分深紅碗以呉洲題「大阪新町お笹紅」。古文書曰:「盃一ツ六八色百二十文……白物後用日向國檮皮灰」。白磁若玉,稱「里見の廣東」「池田の九菊」「横藤の盃」名噪大阪;横藤盃滿籠上阪,歸來巨利。其盃薄胎妙造,每只修坯秤量,不逾二匁四分(約9g)。
【中国語訳(英語から簡体字)】[Chinese Simplified from English]
在吉の元,可见飴釉、淡蓝褐、鶯茶等小盘与七八寸大盘;足多无釉且极小,部分大盘设“割高台”以利受热。常见天目与灰釉碗,采用目積叠烧。碗与水指常具“竹の節高台”,浅削痕呈雌尻;铁绘草纹、擂鉢形与沟作法,与原明之「窯の谷」相同。
周边留有多座韩人墓,多为正德年间,显示家族已归化。前平太子堂旁一墓,巨石刻梵字,下书“宗全・妙永”,被树根挤压倾斜而固。
柳の元(西南四丁)出土与吉の元相似:近古萩风冰裂淡黄碗、黑天目壶、飴/灰釉縁淵皿与揺鉢形大盘绘“结び鳥”,足极小且常反叠烧结;亦见赤土薄白化妆之目積深碗、淡绿线切小盘,后期烧染付。木原山存地蔵平、下窯、谷窯、西窯、東窯、堂の前等遗址。
地蔵平:结び鳥大盘、飴釉铁绘目積小盘、草纹碗、线切底德利之目積烧、下呉洲绘底目積七寸丼;褐胎白化妆铁绘小盘多“蛇の目”剥底敷砂。后期有鶯/薄墨/栗/小豆釉配刷毛目;再后软瓷见鳥羽与李朝风染付;青瓷稀而有釉上刻花鸟。
谷窯:暗紫+白条、栗色霙刷毛、金茶内外涛乱、粉色细裂并呉洲线;亦见黑茶+条纹、白化妆蛇の目積、半瓷淡蓝+呉洲描。西窯与東窯同具“蛇の目”刮底与多样刷毛目。
下窯:褐胎淡蓝裂“蛇の目積”小盘及诸多无釉足;先进作有暗鶯釉圆碗外立浪、内霙刷毛,精如現川。另有多种釉色之浪/小波刷毛目碗与突立火入。
堂の前:低足小盘施小裂青/灰釉;鱼形盐皿薄作笔化妆;鱼形与长方香合白象嵌呈炻器;亦有涛乱刷毛五寸钵。平碗嵌波刷与梅白纹,内霙刷;反形碗内外霙刷、腰细波;七寸樽形水指配绿霙刷、云刷、呉洲兰、柄滴群青;黑栗釉莲刷、茶釉呉洲兰、白嵌藤与鹭之分銅形向付;薄灰瓷期见粗“蛇の目積”小盘。
随时势,木原由黑物转白瓷。初期软瓷厚深碗、下呉洲粗缘与草绘山水;准用網代并用天草后,色身大进。木原焼以刷毛目著称,松浦藩主器由小山田佐平与横石藤七兵卫供给;后期西窯27间登窑盛烧,“大阪新町お笹紅”深红碗著名。文献述白瓷改用日向檮皮灰。白瓷贵如玉:“里見の廣東”“池田の九菊”“横藤の盃”为名牌;横藤盃满箱入阪,回程巨利;每只盃修坯称量不超2匁4分(≈9g)。
【中国語訳(英語から繁體字)】[Chinese Traditional from English]
於吉の元,見飴釉、淡藍褐、鶯茶等小盤與七八寸大盤;足多無釉且極小,部分大盤設「割高臺」促熱。常見天目與灰釉碗,採目積疊燒。碗與水指具「竹の節高臺」,淺削痕呈雌尻;鐵繪草紋、擂鉢形與溝作法,與原明「窯の谷」一致。
周邊多韓人墓,多屬正德年間,示其世代歸化。前平太子堂旁一墓,巨石刻梵字,下記「宗全・妙永」,為樹根擠壓傾斜而固。
柳の元(西南四丁)所出近似:近古萩風冰裂淡黃碗、黑天目壺、飴/灰釉縁淵皿與揺鉢形大盤繪「結び鳥」,足極小且常反疊燒;亦有赤土薄白化妝之目積深盤、淡綠線切小盤;後期燒染付。木原山存地蔵平、下窯、谷窯、西窯、東窯、堂の前等。
地蔵平:結び鳥大盤、飴釉鐵繪目積小盤、草紋碗、線切底德利之目積燒、下呉洲繪底目積七寸丼;褐胎白化妝鐵繪小盤多「蛇の目」剝底敷砂。後期見鶯/薄墨/栗/小豆釉配刷毛目;再後軟瓷有鳥羽與李朝風染付;青瓷稀,但有釉上刻花鳥。
谷窯:暗紫+白條、栗色霙刷毛、金茶內外濤亂、粉色細裂並呉洲線;亦見黑茶+條紋、白化妝蛇の目積、半瓷淡藍+呉洲描。西窯與東窯俱見「蛇の目」刮底與多樣刷毛目。
下窯:褐胎淡藍裂「蛇の目積」小盤及諸多無釉足;進階作有暗鶯釉圓碗外立浪、內霙刷,精如現川。亦有多釉色浪/小波刷毛目碗與突立火入。
堂の前:低足小盤施小裂青/灰釉;魚形手鹽薄作筆化妝;魚形與長方香合白象嵌呈炻器;亦有濤亂刷毛五寸鉢。平碗嵌波刷與梅白紋,內霙刷;反形碗內外霙刷、腰細波;七寸樽形水指綠霙刷、雲刷、呉洲蘭、柄滴群青;黑栗釉蓮刷、茶釉呉洲蘭、白嵌藤與鷺之分銅形向付;薄灰瓷期見粗「蛇の目積」小盤。
隨時勢,木原由黑物轉白瓷。初期軟瓷厚深碗、下呉洲粗緣與速寫山水;准用網代並天草後,色身大進。木原焼以刷毛目著稱,松浦藩主器由小山田佐平與横石藤七兵衛供給;後期西窯27間登窯盛產,「大阪新町お笹紅」深紅碗著名。文獻載白瓷改用日向檮皮灰。白瓷珍若玉:「里見の廣東」「池田の九菊」「横藤の盃」名噪大阪;横藤盃滿箱入阪,歸途巨利;每只盃修坯秤量不逾2匁4分(≈9g)。

