半筒形(はんづつがた)〔注:口縁がほぼ水平で、胴はやや直立、全体に筒形(つつがた)を基調としつつ高さを抑えた茶碗形式〕が桃山様式としていつ始まったかは断定し難いが、室町後期から桃山初頭の和物茶碗の動向を総覧すると、契機は天正年間(1573–92)に求められ、そこには千利休(せん の りきゅう)〔注:茶の湯を大成した数寄者〕の嗜好が及んだと考えられる。天正十一年、とくに十四年頃から茶会記に「瀬戸茶碗」の使用が急増するが、それは室町末の天目(てんもく)中心の「瀬戸茶碗」とは異なる新形式、すなわち半筒を基調とする志野(しの)〔注:美濃の白長石釉・釉下鉄絵の茶陶〕や瀬戸黒(せとぐろ)〔注:鉄釉を高温から引き出し急冷して漆黒を得る黒茶碗〕であったと推測される。
同じく天正十四年頃から、京都で長次郎(ちょうじろう)〔注:楽家初代。黒楽を創始〕が焼いた黒茶碗が「宗易形(そうえきがた)」〔注:利休(宗易)の好みに適う意〕として記録に現れ、これは瀬戸黒と同様に「引き出し黒(ひきだしぐろ)」〔注:焼成途中に器を窯外へ引き出し急冷して黒発色を得る技法〕で、全体はふくよかでありつつも半筒を基調とする点で造形理念を共有する。ゆえに天正十四年頃を境に、美濃(みの)の諸窯でも筒形・半筒形の茶碗が一挙に流行したとみられ、天正十八年九月十日の利休邸での茶会では、黒くない瀬戸茶碗から台子上の黒茶碗へと取り替えた旨が『神谷宗湛日記』に記録され、ここで言う非黒の瀬戸茶碗は白釉の志野か黄瀬戸(きせと)〔注:灰釉系の黄褐色釉の美濃茶陶〕であった可能性が高い。
可児郡大萱(おがや)の牟田洞窯については『美濃古文書』所収「大萱竃之記」に、天正五年(1577)に加藤源十郎景成が開いたとの伝承があり、確度は限定的ながらも、実際の出土資料は天正中葉から文禄・慶長初頭に最盛を示し、伝世の志野茶碗の優品が同窯で多く焼成されたことを裏付ける。したがって、半筒を基調とする志野は天正十年前後から慶長初めにかけて集中的に焼かれ、同時に水指・香合・花入・鉢・向付などの器種も増え、天正十四年以後には志野らしい鉢・皿の用例が茶会記に頻出するようになる。
成形には、端正な轆轤(ろくろ)〔注:回転台で成形する道具・技法〕挽きを保ち、低くくっきりした円形高台(こうだい)を削り出す素直な作風と、挽き上げ後に手で胴を撓ませたり、付高台を歪ませて手捏ね風の景色を与える意図的変形系が併存する。前者は絵付が簡素に留まる傾向があり、後者は箆目(へらめ)〔注:箆で抑えた面の痕跡〕や歪みと響き合う多様な釉下鉄絵(ゆうかてつえ)〔注:鉄絵具を釉下に施す〕が好まれ、図様の変化にも富む。
釉調からは、赤い火色(ひいろ)〔注:釉薄部や縁に生じる温かな赤発色〕がほのぼのと立つ柔らかな釉膚の志野と、火色を伴わずつるりと溶けた肌の二系が識別され、後者は文様の多彩さに富み、皿・向付など食器が圧倒的に多い。後者はかつて志野織部(しのおりべ)〔注:志野と織部の中間的性格を指す呼称〕と称され、時代も慶長期に入り織部(おりべ)様式と併行して焼かれた作が多い。
窯の形態は、慶長期に唐津風の連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)〔注:斜面に房(焼成室)を連ねる多室窯。大量生産に向く〕が導入される以前は、半地上式単室の穴窯(あながま)〔注:地中〜斜面に掘り込む小規模窯。昇温が緩やか〕が主であった。荒川豊蔵は、穴窯は焔の引きが弱く昇温が緩慢で長時間の焼成を要する不経済な窯だが、長石釉(ちょうせきゆう)〔注:長石を主溶剤とする白色系釉〕の志野には最も適し、短時間焼成の窯では良質な志野は生まれにくいと述べ、実見される遺片でも、柔らかな釉膚と火色の立つ志野はほぼ例外なく穴窯焼成であることが確認される。
のち経済性に勝る連房式登窯で焼かれた志野は、従来「志野織部」と区別されたが、近年は同質の系統として一括して志野と呼ぶ傾向が強い。ただし味わいの差は歴然で、江戸期箱書にも向付を「ヲリヘ」としつつ茶碗・水指を「志野」と書き分ける例があり、当時から両者を弁別する認識が存在したと考えられる。
要約(300〜500字)
半筒形の志野は、天正期に利休嗜好の影響下で台頭し、天目中心の従来「瀬戸茶碗」とは異なる新形式として、瀬戸黒や長次郎黒楽と歩調を合わせて普及した。天正十四年頃を画期に美濃各窯で筒形・半筒形が流行し、利休の茶会記録にも白釉の瀬戸茶碗(志野・黄瀬戸相当)使用がうかがわれる。大萱・牟田洞窯は天正中葉〜慶長初頭に最盛で、優品を多出。成形は端正な轆轤挽きと作為的変形が併存し、釉調は火色の立つ柔らかい肌と、つるりと溶けた肌の二系に大別され、後者は皿・向付に多い。穴窯は昇温緩慢ながら志野に適し、火色と柔肌を生む根拠となり、のちの連房式登窯焼成との味わいの差は当時から意識されていた。
【関連用語】
- 志野:美濃焼の一種。白い長石釉と鉄絵文様が特徴。桃山時代に誕生。
- 織部:古田織部に由来する美濃様式。緑釉と大胆な造形で知られる。
- 黄瀬戸:黄褐色の釉を用いる美濃の茶陶。室町後期〜桃山期に流行。
- 瀬戸:尾張の大窯場で「せともの」の語源。中世以降の基幹産地。
- 美濃:岐阜県東濃の陶郷。志野・織部・黄瀬戸の中心。
- 長次郎:楽家初代。利休の指導で黒楽・赤楽を確立。

