伯庵茶碗(ばくあん ちゃわん)

この記事は約2分で読めます。

黄瀬戸系の特異作として知られるのが「伯庵茶碗」です。名の由来は、幕府医官・曾谷白庵(そだに はくあん)が所持したことによると伝えます。瀬戸系のどの窯かは未詳ながら、土味や釉調から慶長(1596–1615)から元和・寛永頃の作と推定されます。一般的な瀬戸系と異なり、唐津(からつ)系の蹴轆轤(けろくろ)成形に似た作振りで、姿も奥高麗・高麗茶碗に通じるため、唐津または朝鮮半島産とみる説も近年出ています。

慶長期には、唐津風の登窯が美濃・久尻(くじり)の元屋敷に築かれ、唐津では志野写しと思われる文様も数多く焼かれました。地誌以上に美濃と唐津の交流が深かった可能性は高く、一定時期に唐津風の異色作が美濃で生まれても不思議ではありません。筆者はかつて京瀬戸系の関与も想定しましたが、それは京焼(きょうやき)系陶工に「伯庵」と称する者がいたという傍証に基づく仮説です。他方、小堀遠州(こぼり えんしゅう)が伯庵茶碗の箱書に「瀬戸伯庵」と記す例があり、製作時期に近い書付である点からも、瀬戸・美濃系窯の作とみる根拠になり得ます。

伯庵茶碗は一見素直な椀形の轆轤びきですが、全体には意匠的作為が通底します。意識的に胴へ横一文字の切り込みを入れ、そこから海鼠釉(なまこゆう)〔注:釉が帯状に垂れて海鼠のような景を生む表現〕を流しかけるのは、偶発ではなく共通の作法です。高台は片薄高台〔注:片側を薄く削いだ不均整な高台〕に仕立て、高台周りを除いて黄釉を厚く掛け、よく溶けた釉膚はぐい呑手の黄瀬戸に近い潤いを帯びます。伝世は十数碗に及び、同手で割れや海鼠釉を施さない無地作も数例知られ、いずれも共通の約束事を具えることから、当時の特別注文に応じたまとまった制作と考えられます。

要約(伯庵茶碗/300–500字)
伯庵茶碗は、曾谷白庵の所持伝来にちなむ名称で、慶長~元和・寛永頃に瀬戸・美濃系の窯で作られた可能性が高い特異な黄瀬戸系茶碗です。唐津系の蹴轆轤を思わせる成形や奥高麗風の姿から、唐津・朝鮮半島産とする説もある一方、小堀遠州の「瀬戸伯庵」箱書は瀬戸系制作説を補強します。作為的に胴へ一文字の割れを入れ、そこへ海鼠釉を流す共通手法、片薄高台、厚掛けの黄釉が特徴で、伝世は十数碗。無地ながら同手の作も確認され、当時の特注による統一設計の一群として理解されます。

【関連用語】

  • 黄瀬戸:黄褐色の釉をかけた美濃焼。室町後期〜桃山時代に流行。
  • 瀬戸:尾張の産地。中世以降、日本の施釉陶を牽引。
  • 美濃:岐阜県東濃の産地。志野・織部・黄瀬戸の中心地。
  • 唐津:佐賀の陶器。桃山期に茶陶として評価が高まる。
  • 京焼:京都の陶磁。のちに高い芸術性を示す系譜に発展。